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2023年11月21日 06:25
21日に行われる日本対シリアのワールドカップアジア二次予選。 シリアを率いるのは、アルゼンチン人のエクトル・クーペル監督だ。68歳の同氏は、かつてバレンシアやインテルなども指揮した人物。 シリアサッカー協会によれば、クーペル監督は日本との対戦についてこう述べていたそう。「日本相手に勝利を成し遂げられるかもしれない。サッカーではどんなことでも起きうるからだ。 難しい試合だが、ポジティブな結果を目指している。 日本代表のことはよく知っている。欧州の一流クラブでプレーするいい選手たちが多く揃っている。 彼ら全員の危険性を減らすことは、個人ではなく、コレクティブな取り組みや戦術によってのみ可能だ。日本戦がどれほど難しい試合かはよく分かっている。だが、格差を縮めるためのメソッドや戦術を模索するつもりだ」 日本戦は難しい展開になると予想しつつ、勝てないことはないとも話していたようだ。
2023年12月06日 21:00
先月25日、ヴィッセル神戸は名古屋グランパスを2-1で破り、J1リーグ戦初優勝を達成した。Jリーグはすべての日程を終えた中で、最終決戦に挑む“神戸の男”がいる。
来季神戸へ加入する筑波大MF山内翔(4年、神戸U-18)は、今月10日(午前11時、東京・AGFフィールド)に大学最後の全国大会である全日本大学選手権(インカレ)の初戦を迎える。
今季はアジア大会(9月19日〜10月7日、中国・杭州)に臨むU-22日本代表に選出され、関東大学1部MVPに輝いた大学屈指の司令塔と称される山内にキャリアの始まり、神戸アカデミーの日々、あるサポーターとの思い出などを聞いた。 グラウンドで育った大学屈指の司令塔
山内は小学校を卒業してから、兄の背中を追うようにしてヴィッセル神戸U-15伊丹へ加入した。ピッチ全体を見渡すような視野の広さ、戦局がきびしい状況でも落ち着いた立ち振る舞い、正確なパスと繊細(せんさい)なタッチコントロール技術など、中盤に求められる能力を高水準で備えている。大学最高の司令塔と称される山内だが、中学世代の環境は意外にも恵まれたものではなかった。
――サッカーを始めたきっかけを教えてください。
父がサッカーをやっていたことが1番ですけど、一つ上の兄(山内颯、昨季現役引退)が少年団に入るタイミングで、自分もそのときはまだ(保育園)年長でしたけど、チームに入って、そこからサッカーを始めることになりました。小学校を卒業するまでフォレストFC京都でプレーして、そこからヴィッセルに入りました。
――地元に京都サンガのアカデミーがありますけど、なぜ神戸U-15伊丹に入団しましたか。
自分がいた小学校のチームは京都府内で強かったです。チームには明治大の太田龍之介選手(J2ファジアーノ岡山内定)がいて、彼はセレッソ大阪(U-15)に行きましたし、他にもガンバ大阪ジュニアユースに二人行きました。
兄がヴィッセルの伊丹に入ったことが伊丹を知ったきっかけです。試合を観に行って、だんだん(伊丹の)サッカーや環境を知りました。たくさんのチームの中から選ぶというより、行けるチームに行った感覚です。
――伊丹の環境面はいかがでしたか。
いまは人工芝でやっていますけど、僕がいたときは3年間土のグラウンドで、平日だとフルピッチでの練習はほぼできなかった。火曜日は伊丹FCと(一緒に練習して)、水金か木金か忘れたんですけど、そのときはFCパスィーノ伊丹という伊丹市内のチームと(グラウンドを)半分、半分で使わせてもらう形でやっていました。
環境面でいうと他のJクラブアカデミーより過酷で、当時はちょっと特殊なチームではありました。そこで毎日練習もしましたし、電車での移動など、いろんな面でタフになれました。伊丹に行ったことは正解だったと、いまでは思っています。
――土のグラウンドで練習していたんですね。いまのプレースタイルを考えるとかなりの逆境ですね。いまのスタイルにつながる経験はありましたか。
中学のときは特に身長が小さくて、線も細かったので、初めは「キツいな」と思いました。その中でなにかしら自分の価値を見出さないといけないと中学生ながらに思っていました。
狭い中でもボール取られないことや、例えトラップが浮こうが、どうなろうがプレーし続けないといけないことは変わらないです。
そういうところは培えたと思いますし、パスの部分は周りの素晴らしい選手や、仲間にすごくレベルの高い選手いたからこそ、その人たちのお陰で成長したと思います。自分でなにかということよりも、「周りに負けたくない」や「周りの選手たちより自分が頑張る」など、いろいろ考えながらやっていたと思います。恩師後藤ダイレクターの下で成長
神戸U-18に昇格した山内は、現アカデミーダイレクターの後藤雄治コーチ、現サンフレッチェ広島ユース監督の野田知U-18監督の指導を受けて世代別代表に選出されるほどの選手へと成長を遂げた。高校1年から頭角を現した司令塔は、当時指導を受けた後藤コーチの叱咤に感謝していた。
――アカデミー時代の印象的な思い出などを教えてください。
高校もそうですけど、中学生のときが1番きつかった思い出があります。小学生のときは京都府内やいろんな選抜も行っていた中で、「1年から試合に出られるだろう」と想いを持っていました。僕は飛び級をしたことがなくて、中学3年になって初めて自分の代で出始めたぐらいの選手だった。
中学1、2年のときも同じポジションに兄がいたので、「兄に負けたくない」と、負けたくない想いが中学生のときは強かった。きつかったですけど、アカデミー中高6年を考えれば、そのときが1番の思い出ですね。
――U-18時代は世代別代表に定着していました。印象的な思い出はありましたか。
僕は早生まれだったので、高校1年のときに初めてU-15の代表に入りました。そのときが初めての代表でしたね。僕はエリートじゃないと思っていたから「自分がまさか代表なんて…」というところから始まっています。
そのとき後藤雄治さんがU-18のAチームのコーチで、(当時U-18監督の)野田知さんの隣にいました。
後藤さんから「代表に行ける力もあるし、プロに行く力もあるのになんでそんないい加減…」と言われていて、後藤さんに「クソガキだった」とよく言われました(苦笑)。毎日きびしく指導してもらって1年のときプレミア(高円宮杯 JFA U-18サッカープレミアリーグWEST)に出させてもらったことで代表に入りました。後藤さんにきびしく指導されていなかったら、代表に入っていないと思います。自分の力でというよりは、後藤さんに言われたから代表に入れました。
――世代を代表する選手たちとの競争は刺激になりましたか。
そこからはU-17ワールドカップがあったので、そこが一つのモチベーションでした。なにより1年のときは試合に出たり、出なかったりと、自チームで試合に出るために頑張ろうと思っていました。
そのまま代表活動で評価されて選ばれ続けて、同世代の選手だったら半田陸選手(J1ガンバ大阪)、西川潤選手(J1サガン鳥栖)が呼ばれていましたので、普段ではできないような選手ともできた経験は自分にとってすごく刺激にもなっていましたし、すごく楽しかったです。
――後藤ダイレクターの指導が大きかったんですね。
それがなかったら筑波にも入れていなかったです。すごく言葉は悪いんですけど、“普通の選手”というか、そこそこで終わっていたんだろうなと思います。同期小田の存在、スペイン改革
山内の同期には高校3年でトップチーム昇格を決めた小田裕太郎がいた。今年1月にスコットランド1部ハーツへと完全移籍した自分の前を進む同期の活躍は、負けず嫌いの山内にとって大きな刺激になっている。
――同期の小田選手がトップチームに昇格して、現在はヨーロッパで活躍されています。山内選手にとって彼はどのような存在ですか。
入学当初から自分と小田選手がAチームでした。ほとんどAチームで帯同していて、ずっと一緒に試合に出ていましたね。
語弊はあるかもしれませんけど、そんなに仲良くないというか(苦笑)、ユースのときはめっちゃ仲良く喋っていたというわけではないです。僕は早生まれの代表(1個下の世代の代表)に入っていましたけど、彼は(早生まれで1個前の世代別代表に入っていた)僕より1個上の“自分の代”の代表に入っていた。
代表に選ばれている彼は本当に刺激になっていました。ポジションは違いますけど、一緒に2種登録もして、当時のナビスコカップ(JリーグYBCルヴァンカップ)も一緒にベンチに入りました。自分は出られなかったですけど、彼はその試合に出ました。試合は負けましたけど、そのプレーが評価されてトップに上がったと思うので。
悔しい気持ちはもちろんありましたけど、いまもスコットランドで活躍していてすごいと思うし、負けられないと思っています。小田裕太郎(左)
――高2のときにスペイン人指導者ベナイジェスさんが来られましたけど、チームの環境は変わったりしましたか。
当時は分からなかったですけど、そういう新たな部署ができて、アカデミーはかなり変わりましたね。サッカーをより細かくというか、アカデミーがユースからジュニアまで(ベナイジェスさんが)来てから統一されたなと。アカデミー自体もすごく変わった印象があります。
――選手視点で変わったと思った部分はありましたか。
もともと野田監督が後ろからボールを大事にというか、そういう意味ではちょっとスペイン代表に近いサッカーをしていました。僕たちはそんなに変わらなかったですけど、練習もちょっと筑波とも似ているというか、練習時間がすごく短い。
短い中で100%を出すことや、自主練とかもそうですね。彼らが来る前は最後の最後まで自主練とかめっちゃ遅くまでできましたけど、(ベナイジェスさんが来てから)「早く帰れ」と言われて、当時はいろいろとストレスもありました(苦笑)。
こっち(筑波)に来てから(振り返ると)、そういう効率やケガのリスクを考えてやってもらっていたんだとすごく感じています。プロとの差に無力さを痛感
世代別代表の常連となり、この世代で注目を受ける存在だった山内だったが、トップチーム昇格を逃してしまった。当時は同じポジションにMF山口蛍を筆頭にスペイン人MFセルジ・サンペールなど名手がそろっていた。プロの分厚い壁にはじき返されたが、ただでは転ばない。世界的な名手たちの姿勢、振る舞いを見て新たな学びを得た。
――トップチームへの昇格を逃しました。チームから伝えられた時期はいつでしたか。
日付までよく覚えてないんですけど、はっきり覚えているのが高3のクラブユースの(夏季)全国大会に出発する前の日に言われた記憶があります。
――そのときの心境はいかがでしたか。
中学からヴィッセル神戸というチームを身近に感じていましたので、そこに上がりたいという中でユースもやっていたから悔しい思いが1番強かったです。2、3年と、ユースでトップの練習に参加させていただく機会が多かった。当時は高2のときにアンドレス・イニエスタ選手が来て、高2の冬にはダビド・ビジャ選手、山口蛍選手、西大伍選手、高3の夏にはトーマス・フェルマーレン選手、酒井高徳選手が来ました。神戸の入れ替わりが激しい、来る選手のレベルが上がった時代でしたね。
練習をやっている中で上がりたい気持ちはもちろんありましたけど、自分が上がれる力があるかといったらそうではなかったので…。それは練習に行ったら自分のレベルの低さというか、自分の力の無さをすごく感じていたからです。
上がりたいと思っていましたけど、上がってすぐに活躍できたかと言ったら絶対そうではなかったと思う。悔しい思いが1番強いというのはありますけど、その反面納得というか、いま考えれば「それはそうでしょう」と思うときもありました。アンドレス・イニエスタ
――すごい選手ばかりですよね。彼らからどのような刺激を受けましたか。
ユースとプロはまったく違うなと…。それは選手どうこうじゃなくて、プロはまったく別物だとユースのときに思いました。もうなにもかも違うし、スピード感や周りの環境がまず違います。スタッフの数、練習にかける準備と、1日にかけるトレーニングも。
そのときの監督もリージョさんやフィンクさんと初めての外国人の監督でした。自分は日本人の監督が当たり前の中でやっていたので、プロという世界は本当に別物だというのが始めの印象です。追憶、レガースに書いた言葉
山内にとって忘れられない存在がいる。中学時代から自身を応援してくれたファンの山城和也さんだ。神戸が創設したころからチームを応援し、ユース、ジュニアユース世代のチームも会場に駆けつけて声援を送り続けた。
だが別れは突然やってきてしまった。2022年2月に山城さんが50歳で逝去した。アカデミーの選手たちからは慕われる存在だった。それでも山城さんの意志はいまも生きている。山内は自身を応援し続けたファンの言葉とともに、ピッチに立っている。山城和也さん
――サポーターの山城和也さんは覚えていますか。
はい。覚えています。
――伊丹時代から山内選手を応援されていた山城さんは、恐らく1番最初の山内選手のファンだったと思うんですけど、どのような存在でしたか。
自分だけじゃなくて自分の家族と仲良くさせてもらっていた中で、突然のことだったので本当に驚きました。
ずっと応援してくれていましたし、自分が(育成年代の)代表に初めて入ったときも新神戸駅まで来てくれて、横断幕を掲げてくれて…。そこまでしてくれる人はいないと思うので、自分からすれば本当にありがたかったです。そういう方が不幸なことになってしまったことが本当に残念です。
自分がプロになって活躍する姿を見せたかったと素直に思います。これは誰にも言ってないというか、初めてなんですけど、去年のシーズンに入る前に自分でレガースを作ったとき、山城さんがよく言っていた『enjoy football』という言葉がありました。その言葉をレガースに入れています。それを試合前に目にすることがあります。
――そのレガースはいまも使われていますか。
いまも使っているやつですね。持ってきたら良かったんですけど(笑)。
――天国で喜んでいると思いますよ。
いつだったかな。アカデミーのときも毎試合のように来てくれていました。ユースなので、高校サッカーと違って観客の数も少ないです。その中でジュニアユースも応援している方がユースの応援も来ていただいて。自分たちのために応援していただいたことは感謝してもしきれない想いがあります。本当にいい報告ができればと思っています。
――山城さんにどのような活躍を見せたいですか。
山城さんはずっと「サッカーを楽しむ」とよく言っていたので、自分がどんな活躍ができるか分からないですけど、サッカーを楽しんでいる姿を1年でも長く。それがJリーグであれ海外であれどのカテゴリーに行っても、自分がサッカーを純粋に楽しんでいる姿を見せたいと思います。
2023年12月06日 20:42
チェルシーを率いるマウリシオ・ポチェッティーノ監督が、同クラブに所属しているフランス代表FWクリストファー・エンクンクの状況について語った。チェルシーのクラブ公式HPが5日に同監督のコメントを伝えている。
今夏にライプツィヒからの完全移籍でチェルシーに加わったエンクンクは、プレシーズンマッチの4試合でチーム最多の3ゴールを記録するなど、新たな“ブルーズ”の顔としての活躍が期待されていた。しかし、プレシーズンマッチの中で左ひざ半月板を損傷し、手術を実施。シーズン開幕には間に合わず、長期離脱を強いられていた。
一時は年内に復帰できるかどうかといった状況が予想されていたものの、11月の下旬にはイギリスメディア『イブニング・スタンダード』が復帰に近づいていると報道。既にトレーニングに参加していることが明かされた一方、ポチェッティーノ監督は慎重な姿勢を保っていた。11月のインターナショナルマッチウィーク明けに待望の公式戦デビューを飾る可能性も報じられていたが、11月25日に行われたプレミアリーグ第13節ニューカッスル戦(●1−4)、12月3日に行われた第14節ブライトン戦(○3−2)ではメンバーに入っていない。
このような状況の中、チェルシーは現地時間6日に第15節でマンチェスター・ユナイテッドとのアウェイゲームに臨む。前日会見でエンクンク復帰の可能性について問われたポチェッティーノ監督は「明日はまだ早すぎる」と返答。「もちろん、起用できるのならば今すぐにでも起用したい。だが、大きな負傷に悩まされた後は慎重に経過を見ていかなければならない」と付け加え、焦りは禁物だと主張した。
「私は一刻も早く負傷している選手たちをピッチに立たせたい。だから選手が復帰に近付いていることを喜ばしく思っている。しかし、我々のような立場の人間は慎重さを欠いてはならないんだ。もちろん、彼については準備が整えば、すぐにでも合流してもらうつもりだよ」
また、ポチェッティーノ監督は今夏の完全移籍加入以降、負傷離脱が続いているベルギー代表MFロメオ・ラヴィアにも言及。「ロメオは復帰に向けて最大限の力を尽くしているが、クリスト(エンクンク)と同じく明日の試合に参加することはない」と話している。U−21フランス代表MFレスリー・ウゴチュク、U−21イングランド代表FWノニ・マドゥエケについても「レスリーは先週に小さな違和感を訴えてきた。だが、軽傷だよ。ノニについても、日曜日のブライトン戦の時と同じく、未だに軽い問題を抱えている。できる限り早く練習に復帰し、チームのためにピッチに立てるようになることを願っている」と語り、マンチェスター・ユナイテッド戦は回避すると伝えた。 数多くの負傷者を抱える中で、チェルシーは2012−13シーズンを最後に未勝利が続いている『オールド・トラフォード』に乗り込むこととなる。イングランド代表MFコナー・ギャラガーが出場停止のため、ポチェッティーノ監督にとっては悩ましい状況が続くこととなるが、中盤の構成については「あまり大きくは変わらないだろう。明日のメンバーを見てもらえばわかると思うが、私の決断はそんなにも複雑なものではない」とコメント。「アカデミーからも多くの若手が参加することになるだろう」と話したものの、「選択肢はあまり多くないが、私は満足している。良い試合ができると確信している」と“鬼門突破”へ自信をのぞかせた。
2023年12月06日 20:40
今季もパリ・サンジェルマンFWキリアン・ムバッペは止まらない。3日に行われたリーグ・アン第14節のル・アーヴル戦で1ゴールを挙げたムバッペは、これでリーグ・アン通算得点数が179点に達した。これはリーグ・アン歴代TOP10に入る数字なのだ。
リーグ・アン通算179ゴールはグンナー・アンデション氏、カルロス・ビアンキ氏と並ぶ9位タイの数字となっており、ムバッペはまだ24歳というのだから恐ろしい。リーグ・アンでの通算成績は230試合で179ゴール69アシストだ。
ムバッペより上にいるのは、フルーリー・ディ・ナロ氏(187)、ジョゼフ・ウイラキ氏(190)、ロジェ・ピアントニ氏(203)、タデ・シソフスキ氏(206)、ロジェ・クルトワ氏(210)、エルヴェ・レヴェリ氏(216)、ベルナール・ラコンブ氏(255)、デリオ・オニス氏(299)の8人で、ムバッペならば今季で単独7位あたりには入れるかもしれない。
ムバッペは今季終了後の去就が不透明となっており、リーグ・アンでこのままプレイする可能性は高くない。リーグ・アン最多得点記録を塗り替えるシナリオは現実的ではないが、ここまでのペースを考えればリーグ・アンの歴史に残るゴールゲッターであることは間違いない。
ムバッペはここまで1試合平均0.77ゴールのペースを記録しているが、歴代得点ランクTOP10の中でこれを上回るのは同じ179ゴールを挙げているビアンキ氏のみ。同氏は220試合で179ゴールを奪っており、ムバッペを僅かに上回る。ムバッペは今季もリーグ得点ランク首位を独走しており、2位に8ゴール差をつける15ゴールと勢いが止まらない。得点王のタイトルは射程圏内にあり、今のリーグ・アンにムバッペを止められるDFは存在しない。
2023年12月06日 20:40
現在浦和レッズの新監督に就任するという噂が流れているペル=マティアス・ヘグモ氏が、現所属クラブのヘッケンに退任を宣告したとのこと。
2023年12月06日 20:30
12月2日に行われたKSLアストエンジカップの決勝トーナメント1回戦。関西サッカーリーグの6チームと街クラブ、Jクラブユースが一同に介して行われる異色の大会だ。
その1回戦で対決することになったのが、今年関西サッカーリーグで最下位という成績に終わったおこしやす京都ACと、優勝を果たしたアルテリーヴォ和歌山。
シーズンの明暗が分かれた2チームの対戦は、悔しい思いを抱いたおこしやす京都ACが勝利を収めることになる。
先制したのはアルテリーヴォ和歌山であったが、それからしばらくしておこしやす京都ACの野田樹が放ったシュートのこぼれ球を高田淳平が押し込み、同点に追いつく。
さらに後半開始直後にもアルテリーヴォ和歌山が追加点を決めたが、おこしやす京都ACは再び追いつく。佐々木陽介のクロスを野田樹が合わせ、2-2と食い下がる。
そして持ち込まれたPK戦。両者ともに3者連続成功したあと、勝負が動いたのは4人目だった。
先攻のおこしやす京都ACは4人目の康起甫が成功。そしてその後、GK森山雄介がアルテリーヴォ和歌山4人目の小久保裕也のシュートをストップする。
5人目となったおこしやす京都ACの高田淳平はポストに当てて外してしまうも、アルテリーヴォ和歌山の5人目北野純也も枠を外して失敗。
この時点でPK戦は4-3という結果でおこしやす京都ACが勝利。9日に行われる準決勝へと駒を進めることになった。
PK戦での強さを見せたおこしやす京都ACのGK森山雄介は、この試合を振り返って以下のように話した。
――森山選手お疲れ様でした。PK戦の感想は?
PK戦は今シーズン2回あったんです。その結果は1勝1敗だったんですけど、自分は前日しっかり練習していたので、自信を持って望めたかなと思います。
――そういえば、味方のPKは見ないんですね(笑)
そうなんです(笑)見ると緊張してしまうので、周りの歓声を聞いて反応するという感じにしていますね。
――全体の流れとしては2失点もありましたが、振り返ると?
前半1-1で折り返して、後半は絶対に無失点で行きたかったんですけど、再開から1分ちょっとくらいで失点してしまって。それが結果としてPKまで繋がってしまったので、今度は90分で決められるように無失点で抑えたいですね。
――リーグ戦では2部降格してしまいました。それから2ヶ月ほど、どのように取り組んでいましたか?
最近はキーパー的な部分よりも足元やキックを意識してやってきました。あとはゲームマネジメントというところにも取り組んでいました。
今日は先制されてはいけないところで先制されたり、同点に追いついたあとも後半最初に失点してしまったり、なかなか成果を見せられなかったので悔しい思いがあります。
ただ足元のプレーやキックの部分では落ち着いた部分がありましたし、パントキックでカウンターにつなげるところは成果が出たと思います。
そして、前半に貴重な同点ゴールを決めた高田淳平は以下のように話していた。
――勝利おめでとうございます、試合の感想は?
率直に「勝つって気持ちいいな」と。このような試合展開になりましたけど、やっぱり勝つこと、みんなでやるべきことをやってチーム一丸となれたことがすごく良かったなと思います。
ゴールについては祥太くん(林祥太)からボールが出て…野田選手がシュートを打つだろうというのは分かったので、僕はリバウンドのボールに突っ込んでいこうと。
アルテリーヴォ和歌山にはなんとしても勝ちたかったので、あそこに突っ込んでいこうと思いました。
――魂が見える瞬間でしたね
自分はそこしかないと思っているので(笑)
――PK戦の最終キッカーではポストに当ててしまいましたね
ちょっと言い訳にはなっちゃうんですけど(笑)。置いたボールがずっと右に少し転がっていて…ちゃんとセットしたかったんですけどね。
それをしっかり止めておきたかったな…というのは少し後悔があるので、次からは気をつけていきたいと思います。
たけびしスタジアムの夏は本当にとてもきれいな芝なんですけど、先日ここでラグビーもやっていたということで、ちょっと凸凹があったんです…けど、言い訳せずに練習を積み重ねるだけですね、コツコツと(笑)
――残り2試合に向けて
もう優勝しか見ていないです。チーム一丸となってやれば勝てるということを証明できたと思うので、そこだけを目指してやっていきます。
リーグ戦で1分1敗だった相手、しかもチャンピオンになったアルテリーヴォ和歌山と戦う。地元のたけびしスタジアムで試合ができる。しかも負けたら終わりというシチュエーション。
選手一人一人が「ここは僕たちが勝つべき舞台だ」と認識していたと思うんです。それが勝利に繋がったと思います。
そして、関東リーグやJリーグも経験した野田樹選手は、このKSLアストエンジカップでの戦いについて以下のように話した。
――勝利の感想は?
残りの試合数が少なくなっているなか、負ければチームの活動が終わってしまう。今日を含めて絶対に3試合全てやるんだという気持ちで試合に入れました。勝利できたことは本当に嬉しかったです。
ゴールについては、いまKSLアストエンジカップでは連続して得点できているので自信を持って挑めているというのもありますね。勝利に貢献できたことは非常に嬉しいです。
――この大会までかなり間が空いていましたが…
そのように試合の間隔が空いたときだからこそ、選手としての価値、チームとしての価値が問われます。
選手としてもチームとしても上に行くために何をするか。みんなしっかり練習で強度高く、試合のようにやれていた。それが勝利に繋がったかなと思います。
――KSLカップは4年ぶりの復活。12月半ばまで目標があるという状況は?
Jリーグのチームも12月の1週目に活動が終わってオフシーズンに入っていく中、最後までチームで試合ができるのは非常に幸せなことです。
もちろんKSLアストエンジカップは地域CLのような目標ではないですけど、タイトルというのはチームとして大事なことなので、目指してやっていきたいと思います。
――このあと準決勝、そして決勝もあります。最後にファンへひとこと
残り2試合は本当にこの1年の集大成ですし、やってきたことを存分に発揮して、そして自分のゴールで優勝に導きたいと思います。
一年間本当に応援ありがとうございます。あと2試合ありますので、皆さんと優勝を分かち合えるように頑張ります。
2023年12月06日 20:00
プレミアリーグ第15節。ウォルバーハンプトン・ワンダラーズはバーンリーと対戦し、1-0で勝利。勝ち点3で暫定12位に順位を上げることに成功した。
この試合を決めたのは、韓国代表FWファン・ヒチャンの一撃だ。42分、高い位置でボールを奪ったウルブズ。ゴール中央のマテウス・クーニャから右にいたファン・ヒチャンにボールが渡ると、ヒチャンはワンフェイクを入れて右足を振り抜く。これが決勝点となっている。
これで今季8ゴールと絶好調のヒチャン。王者マンチェスター・シティを破った第7節でも、決勝点を決めたのは彼だ。アストン・ヴィラのオリー・ワトキンス、ウェストハムのジャロッド・ボーウェンと得点数が並んでおり、プレミア得点ランキング4位タイまで上がってきた。
もちろん韓国のスターの活躍はこれだけではない。トッテナムでは、ハリー・ケインの代わりにCFを務めるようになったFWソン・フンミンが得点を量産。現在9得点はリーグ3位で、堂々の撃ち合いを演じた先日のシティ戦でも先制点を奪っている。アンジェ・ポステコグルーの攻撃サッカーを体現する存在となっており、素早いトランジションからのカウンターでソンが抜け出すシーンは今季何度も見られる。ソンが得点を量産するのはある意味いつものことだが、今季はヒチャンの活躍も目立ち、コリアン・パワーがプレミアリーグを席巻している。両者ともに王者シティ相手に得点を決めているのは象徴的だ。1月のアジアカップで両者ともに離脱予定なのが寂しいが、新年まではアジアのスター2人が暴れてくれることにも期待したい。
2023年12月06日 20:00
京都サンガF.C.とキットサプライヤーのPumaは6日、2024シーズンの明治安田生命J1リーグほかで着用する新ユニフォームを発表した。
2023シーズンのJ1を13位で終えた京都。クラブは4日に者貴裁監督との契約を更新し、2024シーズンも引き続き者監督がトップチームの指揮を執ることが決定した。Kyoto Sanga F.C. 2024 Puma Home
京都サンガF.C. 2024 Puma ホーム ユニフォーム
2024新ユニフォームのコンセプトは「FOREVER.KYOTO.」。
各ユニフォームには京都の伝統工芸のひとつである「組子細工」からインスピレーションを得たオリジナルデザインを採用し、新たなものの創造や成長をイメージする三角形を、幾何学模様のテキスタイルで3色のパープルを用いてグラフィック化したものだ。
この幾何学模様の三角形で、クラブに関わる全ての人の思いが折り重なり、様々な形に変化して成長していく無限の可能性を表現したという。
首元や袖口に飽くなき勝利への情熱を表現するレッドをあしらう。エンブレムの色でもあるレッドが通常のユニフォームで差し色に使われるのは3年ぶり。近年は特別ユニフォームで大胆にあしらうことが多かった色だ。
レッドを使った直近3つのユニフォームはどのようなデザインだったか。2024アウェイユニフォームとともに簡単にご紹介したい。
この3つのユニフォームが直近でレッドを使用したもの。左から2021ホーム、2022リミテッド、2023リミテッドとなる。2021ホームはかなり大胆で異色のカラーリングだった。
襟と袖口を彩るという点で2024モデルは、2022リミテッドのスタイルに近いと言えるかもしれない。Kyoto Sanga F.C. 2024 Puma Away
京都サンガF.C. 2024 Puma アウェイ ユニフォーム
2024新アウェイユニフォームは、近年定番のホワイトを基調にライトグレーを組み合わせたカラーリングに。パンツとソックスはライトグレーを基調とする。
画像を見る限り各部のスポンサーは、胸に「KYOCERA(京セラ)」、鎖骨左に「HORIBA」、鎖骨右に「WACOAL」、背中上に「任天堂」、背中下に「au」、左袖に「京都銀行」、パンツ前面に「大和証券」。スポンサー企業につては変更の可能性もあるかもしれない。
2023年12月06日 19:30
12月2日に行われたKSLアストエンジカップの決勝トーナメント1回戦で現役を引退したGK池上尚孝。
2023年12月06日 19:26
今年も残すところ1か月を切った。本稿では、2023年のサッカー界における名場面を『サッカーダイジェストWeb』のヒット記事で振り返る。今回は、女子サッカーで起きた審判への集団暴行を取り上げた記事を再掲する。
記事初掲載:2023年2月20日
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目を疑うような光景だった。
『MEDIA ITA』は2月17日、「女子サッカーチームがペナルティを与えなかったレフェリーを追い詰め、残酷な攻撃をする」という衝撃的なニュースを掲載した。
記事によれば、DRコンゴの女子サッカークラブ、DCモテマ・ペンベの選手たちが、マゼンベ戦でPKが与えられなかった判定に抗議。「レフェリーを追いかけて、残忍な暴行を加えた」という。1−5で大量リードされている状況だった。
SNSでは、逃げ回る男性の主審を捕まえ、スタッフも加わってパンチや飛び蹴り浴びせるショッキングな動画が拡散されている(ちょうど視界に隠れ、暴行を受ける主審は映っていない)。
【動画】「なんて野蛮な」「酷くて見てられない」と批判殺到!女子チームが逃げる主審を捕まえて集団暴行
当然、止めに入った関係者もいて、その隙に主審がトンネルへと逃げ込んだものの、後ろから数人の選手が追いかけて行く様子も確認できる。
この蛮行には、世界のサッカーファンから次のような非難の声が続々と上がっている。
「恥を知れ」
「気分が悪い。全く笑えない」
「なんという暴挙」
「信じられない」
「現代サッカーとは思えない」
「なんて野蛮な」
「酷くて見てられない」
「何という不名誉な行為。チーム全員を解雇しろ」
記事よれば、DRコンゴ・サッカー協会はモテマ・ペンベの一部の選手に出場停止処分を科したという。
構成●サッカーダイジェストWeb編集部
2023年12月06日 19:00
マンチェスター・シティに所属するノルウェー代表FWアーリング・ハーランド(23)は英『BBC』が選出するワールド・スポーツ・スター・オブ・ザ・イヤーの6人の候補者の1人として発表された。
以前は、「BBC海外スポーツ・パーソナリティ・オブ・ザ・イヤー」とも言われていたこの賞は、年間を通じて世界の舞台で最も注目すべきスポーツの成功を収めたアスリートに贈られる。
ハーランドと並び、最終候補となっているのは、3度のF1ワールドチャンピオンであるマックス・フェルスタッペンと、ラグビーワールドカップで優勝した南アフリカのキャプテン、シヤ・コリシ、テニスのノバク・ジョコビッチ、伝説の体操選手とも言われるシモーネ・バイルズ、そしてスペイン代表として女子W杯で優勝し、バルセロナでCLも優勝したアイタナ・ボンマティだ。
英『Daily Mail』によると、この賞を獲得したサッカー選手はエウゼビオ(1966年)、ペレ(1970年)、ロナウド(2002年)、クリスティアーノ・ロナウド(2014年)、リオネル・メッシ(2022年)のみだという。
ハーランドは昨シーズン、公式戦53試合で52ゴールを記録。シティの3冠に大きく貢献し、プレミアリーグ年間最優秀選手賞と年間最優秀若手選手賞、プレミアリーグ得点王を獲得。数々の記録を更新したハーランドは今季、プレミア50ゴールを最速で記録している。ワールド・スポーツ・スター・オブ・ザ・イヤーの発表は『BBC Sport』のウェブサイトで一般投票で選ばれ、12月19日に発表されるという。シティ加入後、数々の記録を更新している怪物ストライカーはメッシやC・ロナウドらと並ぶ賞を獲得することができるだろうか。
2023年12月06日 18:39
2023年12月9日、いよいよ天皇杯決勝が国立競技場で開催される。柏レイソルのGK松本健太とDF古賀太陽は対戦相手の川崎フロンターレについて、それぞれ次のような印象を抱いている。
【動画】古賀&松本の特別対談(後編)
「今年はリーグ戦の順位こそ良くないですが、対戦して感じたのは単純に上手いです。特に攻撃力、前線の個はすごく高いので、受け身になると苦しい試合展開になると思います」(松本)
「リーグ戦でのホームゲームは10人になった川崎に点を取られているし、攻撃力はリーグでトップクラス。自分たちがどう守っていくか、失点しない時間帯を長くしているのが重要。あれだけタイトルを獲得していて、国立でのファイナルもなれている部分があると思うので、受け身にならないことが大事」(古賀)
今季リーグ戦ではアウェーで0-2、ホームでは1-1と柏は川崎に勝ててない。その経験を踏まえてのふたりの回答から判断すれば、川崎攻略の鍵はやはり「受け身にならないこと」だ。松本は言う。
「相手がボールを握っても焦れずに粘り強い守備をできるかは重要。そうした守備から良い攻撃に持ち込めれば、柏のストロングポイントであるカウンターも出せると思うので、我慢強く守って自分たちのペースに持ち込みたいです」
残念ながらDF犬飼智也は今季浦和で天皇杯に出場しているので決勝戦にも出られない。この犬飼の欠場について、古賀はこう話している。
「後半戦、ワンくん(犬飼)にだいぶ助けられました。まあ、代わりに誰が出てもチームとしてやるべきことは変わりません。練習の時から共通意識を持ってやっているので、大きな心配はしていません。
ワンくんがピッチでリーダーリップを持って発言したりとか、そういう行動を見ているので、決勝では自分が細かいところにいち早く気づいて周りとコミュニケーションを取ることは意識したいと思います」
粘り強い守備を実践するうえで、松本と古賀は間違いなくキーマンになる。構成●サッカーダイジェストTV編集部
2023年12月06日 18:33
2023年12月9日、国立競技場で天皇杯決勝が開催される。
2023年12月06日 18:30
今季ドイツのシュツットガルトでは、開幕からギニア代表FWセール・ギラシがゴールを量産してきた。そのおかげでブンデスリーガ3位と好位置につけているのだが、ここからのシュツットガルトはさらに面白いことになるかもしれない。
ここからのシュツットガルトで期待されるのは、ギラシとデニス・ウンダブの2トップだ。この2人は今月2日に行われたブンデスリーガ第13節・ブレーメン戦で2トップを組んでおり、それぞれ1ゴールずつ挙げて2-0の勝利を収めている。
ウンダブも10月より調子を上げ、ここまでリーグ戦10試合の出場で8ゴールの大活躍だ。ただ、序盤は膝の故障で出遅れており、なかなかギラシとの共演が実現しなかった。
ウンダブの調子が上がり始めた10月には、今度はギラシが負傷で離脱。その後のギラシは途中出場からコンディションを整えていたのだが、ようやく先日のブレーメン戦で2人の2トップが完成することになった。
ブンデスリーガ公式もこの2トップに注目しており、ギラシは187cmのサイズを活かしてボールを収めることもできる。一方のウンダブも相手最終ラインの裏へ飛び込むことができ、この2トップの相性が噛み合えば面白い。今季開幕直後はギラシだけでは強さを維持できないと思われていたが、ウンダブも調子を上げてきたことで状況は変わりつつある。この2トップを軸とした[4-4-2]がフィットすれば、後半戦のシュツットガルトも侮れないチームとなるだろう。
2023年12月06日 18:22
「2023 Jリーグアウォーズ」で最優秀ゴール賞を受賞したのは、FC東京の渡邊凌磨だった。選ばれたのは、4月15日のセレッソ大阪(8節)で68分に決めた衝撃のボレー弾だ。
【動画】最優秀ゴール賞に選出!FC東京・渡邊凌磨のボレー弾
右サイドバックの中村帆高からのアーリークロス気味のパスを、走ったままの状態から胸トラップでポンッと浮かすと、ゴールのやや正面、エリア外から身体を反転させてボレーシュートで叩き込んだ一撃は、文字通りスーパー。正真正銘のゴラッソだった。
その試合の数日後、本人にインタビューする機会に恵まれた。そこで「今季の年間ベストゴールは、あれで決まりじゃないですか?」との問いかけに対し、彼が「いえいえ、まだ序盤戦ですから」と笑みをこぼした姿をよく覚えている。
どうやってあのゴールは生まれたのか。当時、その背景を渡邊は次のように説明してくれた。
「狙い通りではなかったけど、事前にキーパーを見ていたからこそ、シュートという判断ができました。常に周りを見る大切さ、常に相手ゴールを見る大切さを改めて実感したゴールでもありました」
特筆すべきは、絶妙な位置に収めた胸トラップだろう。本人曰く「シュートを選択するためのトラップ」だった。
「それができたのもやはりキーパーを見ていたからです。見ていなかったら、たぶんあんな良いトラップはできませんでした」
GKを見る、すなわち自身の矢印がゴールへ向いていたからこそ、あのゴラッソは生まれた。サッカーの本質を示したシュートとも言えるだろう。
とにかく、彼には「おめでとうございます」と伝えたい。文●白鳥和洋(サッカーダイジェストTV編集長)
2023年12月06日 18:19
清水エスパルスは6日、同クラブに所属しているGK大久保択生、DF井林章、MF神谷優太の3選手について、来季の契約を締結せず、今季をもって契約満了とすることを発表した。
大久保は1989年9月18日生まれの現在34歳。2008年に横浜FCでプロキャリアをスタートさせると、その後はジェフユナイテッド千葉、V・ファーレン長崎、FC東京、サガン鳥栖でプレー。2019年8月に完全移籍で清水へ加入した。同シーズンは明治安田生命J1リーグで11試合に出場。翌シーズンは15試合でゴールマウスを守った。2021シーズンからはGK権田修一の加入もあって出場機会こそ減少したが、貴重なバックアッパーとしてチームに貢献。今季は明治安田生命J2リーグでの出場こそなかったものの、JリーグYBCルヴァンカップでは6試合、天皇杯JFA第103回全日本サッカー選手権大会では1試合に出場。J1昇格プレーオフでは、権田の不在に伴い準決勝のモンテディオ山形戦、決勝の東京ヴェルディ戦と2試合ともにゴールマウスを守った。
井林は1990年9月5日生まれの現在33歳。関西学院大学を経て2013年に東京Vへ入団すると、初年度から主力の1人として活躍し、2015シーズンからの4年間はキャプテンも務めた。2019年からはサンフレッチェ広島でプレーし、2021年6月に清水へ完全移籍加入。今季は明治安田生命J2リーグ18試合に出場して3ゴールを挙げたほか、JリーグYBCルヴァンカップでも5試合のピッチに立った。
神谷は1997年4月24日生まれの現在26歳。青森山田高校を経て、2016年に湘南ベルマーレへ加入した。2018年からの2シーズンは愛媛FCへ期限付き移籍し、2020年には柏レイソルへ完全移籍。柏では2シーズンプレーし、2022年に清水へ完全移籍加入した。昨季は明治安田生命J1リーグで21試合出場1得点を記録。背番号を「7」に変更して臨んだ今季は、明治安田生命J2リーグで22試合に出場して3ゴールを挙げた。また、JリーグYBCルヴァンカップでも2試合に出場しており、J1昇格プレーオフでも決勝の東京V戦に途中出場した。
契約満了に伴い、大久保、井林、神谷はクラブを通してコメントを発表している。
▼大久保択生
「今シーズンをもちまして契約満了となり、清水エスパルスを離れることになりました。2019年の夏から4年半の間、清水エスパルスの選手として戦えたことを誇りに思います。どんな時でも変わらずに応援してくださったサポーターの皆様には感謝しかありません。プレーオフ決勝のあの最高の応援の中で、PKを止めて皆さんと喜び合えなかったことが心残りで、自分の実力不足を痛感しています」
「来年も清水エスパルスでプレーできないのは寂しいですが、来年こそJ1へ昇格して強いエスパルスになることを楽しみにしています。まだまだ現役を続けるつもりなので、またアイスタでプレーする姿を見せれるように頑張りたいと思います。4年半ありがとうございました」
▼井林章
「このたび、清水エスパルスを退団することになりました。まずは昨年の降格のこと、そして今年J1昇格を果たせなかったこと、本当に申し訳なく思います。2年前の夏にきてから苦しい時間ばかりでしたが、自分らしさを出すことはできたと思うので過ごした時間に悔いはありません。また清水エスパルスが躍動することを祈っています。井林軍団は解散となりますが、皆さんの記憶に留めておいていただけると嬉しいです。本当にありがとうございました」
▼神谷優太
「2年間、短い間でしたがありがとうございました。満了と言う形で終わってしまったこと、すごく悔しい気持ちでいっぱいです。清水でJ1昇格し、皆さんとたくさんの喜びを分かちあいたかったです。それが叶わない現実をすごく残念に思っています。しかし、それがサッカー選手の人生です。ここ数年、怪我に苦しみ中々満足するプレーができなく悩んだ時期が多かったですが、トレーナーやスタッフの方々のおかげで、今年1年最後までピッチの上で終えることができました」「まだ今後のことは決まっていませんが、人生なるようになると思っています。もちろん努力することを怠らないよう毎日必死で頑張ります。僕の人生にはいつも分岐点があります。正しい道は分かりませんが、迷わず自分が思った道に進みたいと思います。これからも応援よろしくお願いします」