2023年12月06日 21:00
先月25日、ヴィッセル神戸は名古屋グランパスを2-1で破り、J1リーグ戦初優勝を達成した。Jリーグはすべての日程を終えた中で、最終決戦に挑む“神戸の男”がいる。 来季神戸へ加入する筑波大MF山内翔(4年、神戸U-18)は、今月10日(午前11時、東京・AGFフィールド)に大学最後の全国大会である全日本大学選手権(インカレ)の初戦を迎える。 今季はアジア大会(9月19日〜10月7日、中国・杭州)に臨むU-22日本代表に選出され、関東大学1部MVPに輝いた大学屈指の司令塔と称される山内にキャリアの始まり、神戸アカデミーの日々、あるサポーターとの思い出などを聞いた。 グラウンドで育った大学屈指の司令塔 山内は小学校を卒業してから、兄の背中を追うようにしてヴィッセル神戸U-15伊丹へ加入した。ピッチ全体を見渡すような視野の広さ、戦局がきびしい状況でも落ち着いた立ち振る舞い、正確なパスと繊細(せんさい)なタッチコントロール技術など、中盤に求められる能力を高水準で備えている。大学最高の司令塔と称される山内だが、中学世代の環境は意外にも恵まれたものではなかった。 ――サッカーを始めたきっかけを教えてください。 父がサッカーをやっていたことが1番ですけど、一つ上の兄(山内颯、昨季現役引退)が少年団に入るタイミングで、自分もそのときはまだ(保育園)年長でしたけど、チームに入って、そこからサッカーを始めることになりました。小学校を卒業するまでフォレストFC京都でプレーして、そこからヴィッセルに入りました。 ――地元に京都サンガのアカデミーがありますけど、なぜ神戸U-15伊丹に入団しましたか。 自分がいた小学校のチームは京都府内で強かったです。チームには明治大の太田龍之介選手(J2ファジアーノ岡山内定)がいて、彼はセレッソ大阪(U-15)に行きましたし、他にもガンバ大阪ジュニアユースに二人行きました。 兄がヴィッセルの伊丹に入ったことが伊丹を知ったきっかけです。試合を観に行って、だんだん(伊丹の)サッカーや環境を知りました。たくさんのチームの中から選ぶというより、行けるチームに行った感覚です。 ――伊丹の環境面はいかがでしたか。 いまは人工芝でやっていますけど、僕がいたときは3年間土のグラウンドで、平日だとフルピッチでの練習はほぼできなかった。火曜日は伊丹FCと(一緒に練習して)、水金か木金か忘れたんですけど、そのときはFCパスィーノ伊丹という伊丹市内のチームと(グラウンドを)半分、半分で使わせてもらう形でやっていました。 環境面でいうと他のJクラブアカデミーより過酷で、当時はちょっと特殊なチームではありました。そこで毎日練習もしましたし、電車での移動など、いろんな面でタフになれました。伊丹に行ったことは正解だったと、いまでは思っています。 ――土のグラウンドで練習していたんですね。いまのプレースタイルを考えるとかなりの逆境ですね。いまのスタイルにつながる経験はありましたか。 中学のときは特に身長が小さくて、線も細かったので、初めは「キツいな」と思いました。その中でなにかしら自分の価値を見出さないといけないと中学生ながらに思っていました。 狭い中でもボール取られないことや、例えトラップが浮こうが、どうなろうがプレーし続けないといけないことは変わらないです。 そういうところは培えたと思いますし、パスの部分は周りの素晴らしい選手や、仲間にすごくレベルの高い選手いたからこそ、その人たちのお陰で成長したと思います。自分でなにかということよりも、「周りに負けたくない」や「周りの選手たちより自分が頑張る」など、いろいろ考えながらやっていたと思います。恩師後藤ダイレクターの下で成長 神戸U-18に昇格した山内は、現アカデミーダイレクターの後藤雄治コーチ、現サンフレッチェ広島ユース監督の野田知U-18監督の指導を受けて世代別代表に選出されるほどの選手へと成長を遂げた。高校1年から頭角を現した司令塔は、当時指導を受けた後藤コーチの叱咤に感謝していた。 ――アカデミー時代の印象的な思い出などを教えてください。 高校もそうですけど、中学生のときが1番きつかった思い出があります。小学生のときは京都府内やいろんな選抜も行っていた中で、「1年から試合に出られるだろう」と想いを持っていました。僕は飛び級をしたことがなくて、中学3年になって初めて自分の代で出始めたぐらいの選手だった。 中学1、2年のときも同じポジションに兄がいたので、「兄に負けたくない」と、負けたくない想いが中学生のときは強かった。きつかったですけど、アカデミー中高6年を考えれば、そのときが1番の思い出ですね。 ――U-18時代は世代別代表に定着していました。印象的な思い出はありましたか。 僕は早生まれだったので、高校1年のときに初めてU-15の代表に入りました。そのときが初めての代表でしたね。僕はエリートじゃないと思っていたから「自分がまさか代表なんて…」というところから始まっています。 そのとき後藤雄治さんがU-18のAチームのコーチで、(当時U-18監督の)野田知さんの隣にいました。 後藤さんから「代表に行ける力もあるし、プロに行く力もあるのになんでそんないい加減…」と言われていて、後藤さんに「クソガキだった」とよく言われました(苦笑)。毎日きびしく指導してもらって1年のときプレミア(高円宮杯 JFA U-18サッカープレミアリーグWEST)に出させてもらったことで代表に入りました。後藤さんにきびしく指導されていなかったら、代表に入っていないと思います。自分の力でというよりは、後藤さんに言われたから代表に入れました。 ――世代を代表する選手たちとの競争は刺激になりましたか。 そこからはU-17ワールドカップがあったので、そこが一つのモチベーションでした。なにより1年のときは試合に出たり、出なかったりと、自チームで試合に出るために頑張ろうと思っていました。 そのまま代表活動で評価されて選ばれ続けて、同世代の選手だったら半田陸選手(J1ガンバ大阪)、西川潤選手(J1サガン鳥栖)が呼ばれていましたので、普段ではできないような選手ともできた経験は自分にとってすごく刺激にもなっていましたし、すごく楽しかったです。 ――後藤ダイレクターの指導が大きかったんですね。 それがなかったら筑波にも入れていなかったです。すごく言葉は悪いんですけど、“普通の選手”というか、そこそこで終わっていたんだろうなと思います。同期小田の存在、スペイン改革 山内の同期には高校3年でトップチーム昇格を決めた小田裕太郎がいた。今年1月にスコットランド1部ハーツへと完全移籍した自分の前を進む同期の活躍は、負けず嫌いの山内にとって大きな刺激になっている。 ――同期の小田選手がトップチームに昇格して、現在はヨーロッパで活躍されています。山内選手にとって彼はどのような存在ですか。 入学当初から自分と小田選手がAチームでした。ほとんどAチームで帯同していて、ずっと一緒に試合に出ていましたね。 語弊はあるかもしれませんけど、そんなに仲良くないというか(苦笑)、ユースのときはめっちゃ仲良く喋っていたというわけではないです。僕は早生まれの代表(1個下の世代の代表)に入っていましたけど、彼は(早生まれで1個前の世代別代表に入っていた)僕より1個上の“自分の代”の代表に入っていた。 代表に選ばれている彼は本当に刺激になっていました。ポジションは違いますけど、一緒に2種登録もして、当時のナビスコカップ(JリーグYBCルヴァンカップ)も一緒にベンチに入りました。自分は出られなかったですけど、彼はその試合に出ました。試合は負けましたけど、そのプレーが評価されてトップに上がったと思うので。 悔しい気持ちはもちろんありましたけど、いまもスコットランドで活躍していてすごいと思うし、負けられないと思っています。小田裕太郎(左) ――高2のときにスペイン人指導者ベナイジェスさんが来られましたけど、チームの環境は変わったりしましたか。 当時は分からなかったですけど、そういう新たな部署ができて、アカデミーはかなり変わりましたね。サッカーをより細かくというか、アカデミーがユースからジュニアまで(ベナイジェスさんが)来てから統一されたなと。アカデミー自体もすごく変わった印象があります。 ――選手視点で変わったと思った部分はありましたか。 もともと野田監督が後ろからボールを大事にというか、そういう意味ではちょっとスペイン代表に近いサッカーをしていました。僕たちはそんなに変わらなかったですけど、練習もちょっと筑波とも似ているというか、練習時間がすごく短い。 短い中で100%を出すことや、自主練とかもそうですね。彼らが来る前は最後の最後まで自主練とかめっちゃ遅くまでできましたけど、(ベナイジェスさんが来てから)「早く帰れ」と言われて、当時はいろいろとストレスもありました(苦笑)。 こっち(筑波)に来てから(振り返ると)、そういう効率やケガのリスクを考えてやってもらっていたんだとすごく感じています。プロとの差に無力さを痛感 世代別代表の常連となり、この世代で注目を受ける存在だった山内だったが、トップチーム昇格を逃してしまった。当時は同じポジションにMF山口蛍を筆頭にスペイン人MFセルジ・サンペールなど名手がそろっていた。プロの分厚い壁にはじき返されたが、ただでは転ばない。世界的な名手たちの姿勢、振る舞いを見て新たな学びを得た。 ――トップチームへの昇格を逃しました。チームから伝えられた時期はいつでしたか。 日付までよく覚えてないんですけど、はっきり覚えているのが高3のクラブユースの(夏季)全国大会に出発する前の日に言われた記憶があります。 ――そのときの心境はいかがでしたか。 中学からヴィッセル神戸というチームを身近に感じていましたので、そこに上がりたいという中でユースもやっていたから悔しい思いが1番強かったです。2、3年と、ユースでトップの練習に参加させていただく機会が多かった。当時は高2のときにアンドレス・イニエスタ選手が来て、高2の冬にはダビド・ビジャ選手、山口蛍選手、西大伍選手、高3の夏にはトーマス・フェルマーレン選手、酒井高徳選手が来ました。神戸の入れ替わりが激しい、来る選手のレベルが上がった時代でしたね。 練習をやっている中で上がりたい気持ちはもちろんありましたけど、自分が上がれる力があるかといったらそうではなかったので…。それは練習に行ったら自分のレベルの低さというか、自分の力の無さをすごく感じていたからです。 上がりたいと思っていましたけど、上がってすぐに活躍できたかと言ったら絶対そうではなかったと思う。悔しい思いが1番強いというのはありますけど、その反面納得というか、いま考えれば「それはそうでしょう」と思うときもありました。アンドレス・イニエスタ ――すごい選手ばかりですよね。彼らからどのような刺激を受けましたか。 ユースとプロはまったく違うなと…。それは選手どうこうじゃなくて、プロはまったく別物だとユースのときに思いました。もうなにもかも違うし、スピード感や周りの環境がまず違います。スタッフの数、練習にかける準備と、1日にかけるトレーニングも。 そのときの監督もリージョさんやフィンクさんと初めての外国人の監督でした。自分は日本人の監督が当たり前の中でやっていたので、プロという世界は本当に別物だというのが始めの印象です。追憶、レガースに書いた言葉 山内にとって忘れられない存在がいる。中学時代から自身を応援してくれたファンの山城和也さんだ。神戸が創設したころからチームを応援し、ユース、ジュニアユース世代のチームも会場に駆けつけて声援を送り続けた。 だが別れは突然やってきてしまった。2022年2月に山城さんが50歳で逝去した。アカデミーの選手たちからは慕われる存在だった。それでも山城さんの意志はいまも生きている。山内は自身を応援し続けたファンの言葉とともに、ピッチに立っている。山城和也さん ――サポーターの山城和也さんは覚えていますか。 はい。覚えています。 ――伊丹時代から山内選手を応援されていた山城さんは、恐らく1番最初の山内選手のファンだったと思うんですけど、どのような存在でしたか。 自分だけじゃなくて自分の家族と仲良くさせてもらっていた中で、突然のことだったので本当に驚きました。 ずっと応援してくれていましたし、自分が(育成年代の)代表に初めて入ったときも新神戸駅まで来てくれて、横断幕を掲げてくれて…。そこまでしてくれる人はいないと思うので、自分からすれば本当にありがたかったです。そういう方が不幸なことになってしまったことが本当に残念です。 自分がプロになって活躍する姿を見せたかったと素直に思います。これは誰にも言ってないというか、初めてなんですけど、去年のシーズンに入る前に自分でレガースを作ったとき、山城さんがよく言っていた『enjoy football』という言葉がありました。その言葉をレガースに入れています。それを試合前に目にすることがあります。 ――そのレガースはいまも使われていますか。 いまも使っているやつですね。持ってきたら良かったんですけど(笑)。 ――天国で喜んでいると思いますよ。 いつだったかな。アカデミーのときも毎試合のように来てくれていました。ユースなので、高校サッカーと違って観客の数も少ないです。その中でジュニアユースも応援している方がユースの応援も来ていただいて。自分たちのために応援していただいたことは感謝してもしきれない想いがあります。本当にいい報告ができればと思っています。 ――山城さんにどのような活躍を見せたいですか。 山城さんはずっと「サッカーを楽しむ」とよく言っていたので、自分がどんな活躍ができるか分からないですけど、サッカーを楽しんでいる姿を1年でも長く。それがJリーグであれ海外であれどのカテゴリーに行っても、自分がサッカーを純粋に楽しんでいる姿を見せたいと思います。
2024年10月09日 17:43
レッドブルは9日、ユルゲン・クロップ氏がグローバルサッカー部門の責任者に就任したことを発表した。
公式発表によると、クロップ氏はレッドブルの傘下にあるサッカークラブの国際ネットワークを統括しつつ、戦略的ビジョンを提供し、レッドブルの哲学を推進する個々のスポーツディレクターのサポートにあたるという。また、各クラブの日常業務には関与しないが、組織のグローバルスカウト活動をサポートし、コーチ陣のトレーニングと育成にも携わるようだ。なお、2025年1月中旬には記者会見が開かれる予定となっている。
ドイツメディア『スカイスポーツ』が報じたところによると、クロップ氏とレッドブルは長期契約を締結しており、2025年1月よりグローバル・サッカー部門の責任者としての仕事を開始するようだ。また、契約には将来的な退任オプションも付随している模様で、ユリアン・ナーゲルスマン監督の後任としてドイツ代表の指揮官に就任する選択肢も確保されていると報じられている。
オーストリア・ザルツブルクに本社を構えるレッドブル・ゲーエムベーハー(Red Bull GmbH/以下レッドブル)は、主にエナジードリンク事業で知られる企業。近年は、飲料製品の製造・販売だけでなく、F1レーシングチームやアイスホッケー、サッカークラブなど、スポーツマネジメントの運営も行なっている。
サッカークラブの運営に本格的に参入したのは2005年。オーストリア1部のザルツブルクを買収したことを皮切りに、ガーナ、ブラジル、アメリカ、オーストリア、ドイツなどでクラブ運営を行ってきた。2024年8月に株式取得が発表された大宮アルディージャを含め、現在はライプツィヒ、ザルツブルク、ニューヨーク・レッドブルズ、レッドブル・ブラガンチーノと実質的に主に5つのクラブを運営している。
新たにレッドブルの要職に就任したクロップ氏は現在57歳。2001年2月の現役引退と同時にマインツの監督に就任。2003−04シーズンには2.ブンデスリーガ(ドイツ2部)で3位という好成績を残し、クラブをトップリーグ昇格に導いた。その後、2008年夏から7年間指揮したドルトムントでは、ブンデスリーガ連覇やDFBポカール優勝を達成。2015年夏にはリヴァプールの指揮官に就任し、プレミアリーグ優勝やチャンピオンズリーグ(CL)制覇を成し遂げた。昨シーズン終了後に9年間に及んだ“長期政権”に終止符を打ち、以降はフリーの身となっていた。
就任に際し、クロップ氏は次のようなコメントを発表している。
「25年近く外から見ていたが、このようなプロジェクトに携われることにとても興奮している。役割は変わったかもしれないが、サッカーとサッカーを形作る人々に対する私の情熱は変わっていない。レッドブルに加わることで我々が持つ素晴らしいサッカーの才能を育成し、向上させ、サポートしたい。レッドブルが持つ優れた経験と知識を活用することから、他のスポーツや業界から学ぶことまで、それを実行する方法はたくさんある」
「ともにさらなる可能性を発見していきたい。私の役割は主にレッドブルのクラブのコーチ陣や経営陣のメンターだと思っているが、最終的にはユニークで革新的かつ前向きな組織の一員となることだ。これ以上に興奮することはない」
2024年10月09日 17:18
フィジカルの問題がなければ、立場は安泰のはずだ。しかし、戦列離脱を繰り返していることで、去就を巡るうわさは後を絶たない。それでも、冨安健洋はアーセナルで栄光を目ざし続けている。
今季もプレシーズンに負ったケガのために開幕から出遅れ、先日ようやくシーズンデビューを飾ったばかりの冨安。度重なる負傷に、放出報道も浮上している。実力が確かなだけに、関心を寄せるクラブは少なくない。
そのひとつが、イタリア王者のインテルだ。ボローニャ時代の実績で、守備の国における冨安の評価は高い。ユベントスやナポリ、ミランといった他の強豪たちとともに、シモーネ・インザーギ監督率いる昨季チャンピオンは、動向を注視していると言われる。
だが、インテル専門サイト『InterLive.it』は10月8日、「夏のマーケットで複数のイタリア勢からの関心が報じられていたが、選手が考えているのはできるだけ早く復帰することのみ」と報じた。
さらに、同メディアは「フィジカルの問題が続き、テクニカルスタッフの中で序列が落ちていくリスクは避けられない。そこで(インテル会長ジュゼッペ・)マロッタはイタリア復帰という提案を受け入れるように説得できると信じていた。インテルのように勝つ準備がすでに整っている野心的なクラブであればなおさらだ」と続けている。
「だが、どうしようもなかった。直近の情報によれば、ロンドンに残って勝負するというのが選手の強い考えだ。最後まで、たとえスタメンになれずベンチスタートになっても、だ。そもそも、現時点の序列で後れをとっているというだけで、すべてを諦めるような日本人がいるだろうか?」
足りないのは、シーズンを通じて継続的にピッチに立つことだけだ。戦列に戻った冨安が、今季を戦い抜けることを期待したい。
構成●サッカーダイジェストWeb編集部
【記事】「5戦4発でも不在なのは、アジアへの軽蔑だ」ブンデスで得点ランク3位のFWが日本代表に選外。ライバル国も驚き!「森保監督は軽視しているのでは?」
2024年10月09日 17:10
J1の鹿島アントラーズは9日、中後雅喜コーチ(42)を新たな指揮官に任命したことを発表した。
鹿島は先週末アルビレックス新潟に4-0で勝利したが、翌6日にランコ・ポポヴィッチ監督との契約解除を発表。優勝争いからは後退したもののリーグ戦4位という成績での解任には驚きも広がった。
発表された新体制には、いずれも鹿島の黄金期を彩ったクラブOBの名前が含まれた。
コーチの中後雅喜氏が監督に昇格した他、パリ五輪でU-23日本代表のコーチだった羽田憲司氏(42)、鹿島アカデミースカウトの元日本代表の本山雅志氏(45)がトップチームコーチへ(本山氏はアカデミースカウトも兼務)。
今季からフットボールディビジョン・プログループ(強化部)のマネージャーを任されていた元日本代表の中田浩二氏(45)が、退任した吉岡宗重氏に代わってフットボールダイレクター(強化責任者)に就任した。
新監督の中後氏は千葉県出身で、駒澤大学から2005年に鹿島アントラーズに加入した。
その後ジェフ千葉、セレッソ大阪、東京ヴェルディでプレーし、2017年に現役を引退。引退後は古巣鹿島のアカデミーコーチに転身し、今季からポポヴィッチ監督のコーチを務めていた。
羽田氏、本山氏、中田氏も現役時代は鹿島でプレーし、本山氏と中田氏は日本代表としても活躍した。
クラブの公式サイトにはそれぞれのコメントが掲載されている。
「まずはチームのために走る、戦うという、クラブが今まで大切にしてきた基礎を改めて徹底し、全員が同じ方向を向いて戦うために意識を合わせていきたいと思います。どんな状況でも勝利を目指し、一体感を発揮することがアントラーズの伝統であり、強みなので、自分たちにフォーカスしながら、ファン・サポーターの皆様とともに今シーズン残り6試合を勝利のために戦っていきます。応援、よろしくお願いします」
(中後雅喜監督)
「今シーズンも残り6試合というタイミングですが、最後まで監督、選手を支え、クラブのため、勝利のために、全力を尽くします。アントラーズファミリー全員で戦いましょう」
(羽田憲司コーチ)
「中後監督のサポートとともに、監督と選手の橋渡し役になることが求められるので、コーチとしての役割をしっかり果たせるよう頑張ります。アカデミースカウトと兼務にはなりますが、アントラーズの勝利に貢献するため、自分の持っているすべてを捧げたいと思います」
(本山雅志コーチ)
「アントラーズのため、伝統を継承しながら全員が団結して戦い、勝利という使命を果たすことが自分の仕事だと思っています。強化責任者としてチームを良い方向へ導けるよう、選手、スタッフ、フロントと手を携えながら、全力を尽くしていきます」
(中田浩二フットボールダイレクター)
J1鹿島、ポポヴィッチ監督契約解除と吉岡FDの退任が「妥当」である理由
また、鹿島の小泉文明代表取締役社長は「中長期的な視点に立った強化戦略が求められていることも理解しており、強化部門の先頭に立つ中田FDをしっかりとサポートするとともに、勝利を追求するという伝統を守りながら、チームを成長、発展させていく必要があります。クラブがこれまで大切にしてきた結束力を選手、スタッフ、フロントが協力して示し、これからもファン、サポーターの皆様とともに戦ってまいります」とコメントしている。
2024年10月09日 17:06
サウジアラビア代表のロベルト・マンチーニ監督が、ファンに後押しを求めた。
2024年10月09日 16:41
昨シーズンまでリヴァプールを率いていたユルゲン・クロップ氏が、レッドブルのサッカー部門の要職に就任するようだ。8日、『スカイスポーツ』や『ビルト』など複数のドイツメディアが伝えている。
報道によると、クロップ氏はレッドブルのサッカー部門の「グローバルヘッド」に就任するとのこと。レッドブル傘下の全サッカークラブの国際的な連携の責任者として、各クラブのスタッフ陣をサポートし、スカウティングやトレーナーの選定にも携わる見込みと報じられている。すでに長期契約が締結されており、同氏は2025年1月1日より「グローバルヘッド」としての仕事を開始するようだ。
なお、レッドブルとの契約には将来的な退任オプションも付随している模様。移籍市場に精通する『スカイスポーツ』のフロリアン・プレッテンベルク記者は、将来的にユリアン・ナーゲルスマン監督の後任としてドイツ代表の指揮官に就任する選択肢が確保されていると指摘している。
オーストリア・ザルツブルクに本社を構えるレッドブル・ゲーエムベーハー(Red Bull GmbH/以下レッドブル)は、主にエナジードリンク事業で知られる企業。近年は、飲料製品の製造・販売だけでなく、F1レーシングチームやアイスホッケー、サッカークラブなど、スポーツマネジメントの運営も行なっている。
サッカークラブの運営に本格的に参入したのは2005年。オーストリア1部のザルツブルクを買収したことを皮切りに、ガーナ、ブラジル、アメリカ、オーストリア、ドイツなどでクラブ運営を行ってきた。2024年8月に株式取得が発表された大宮アルディージャを含め、現在はライプツィヒ、ザルツブルク、ニューヨーク・レッドブルズ、レッドブル・ブラガンチーノと実質的に主に5つのクラブを運営している。
現在57歳のクロップ氏は2001年2月の現役引退と同時にマインツの監督に就任。2003−04シーズンには2.ブンデスリーガ(ドイツ2部)で3位という好成績を残し、クラブをトップリーグ昇格に導いた。その後、2008年夏から7年間指揮したドルトムントでは、ブンデスリーガ連覇やDFBポカール優勝を達成。2015年夏にはリヴァプールの指揮官に就任し、プレミアリーグ優勝やチャンピオンズリーグ(CL)制覇を成し遂げた。昨シーズン終了後に9年間に及んだ“長期政権”に終止符を打ち、以降はフリーの身となっていた。
2024年10月09日 16:39
大岩剛監督が率いたU-23日本代表は、今夏のパリ五輪で、オーバーエイジ枠なしでベスト8進出を果たした。
ただ、そのメンバーからその後にA代表に食い込んだのは4人のみ。9月シリーズでは、DF高井幸大(川崎フロンターレ)とFW細谷真大(柏レイソル)、10月シリーズでは、MF藤田譲瑠チマ(シント=トロイデン)と関根大輝(柏レイソル。怪我の高井に代わって追加招集)と27人のA代表メンバーの中で、2人ずつだけだ。
現在、森保ジャパンの主力を務める三笘薫、久保建英、堂安律、上田綺世、冨安健洋、板倉滉ら東京五輪組の壁は低くないとはいえ、やや物足りない印象だ。
そうした現状について、パリ五輪代表のキャプテンだった藤田に尋ねると、「思うところは、今のところはそんなにはないです」と前置きしたうえで、こう言葉を続けた。
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「おそらく前回の東京(オリンピック)の時に比べたら、(東京五輪世代の)選手のそれぞれのレベルが相当上がっているから、なかなかパリから食い込めないという現状あると思うんですけど、それは日本サッカー協会としては喜ばしいことではあるかなと思います」
22歳のMFは、「そこに食い込んでこそパリ・オリンピックが意味あるものになると思うので、自分もまだ1回しか選ばれてないので何か言える立場じゃないですけど、自分たちの世代ももっと頑張ってどんどん上を脅かす存在になれたらいいなと思います」と思いを口にした。
今回、高井に代わって緊急招集された関根については、「関根ができることは自分もよくわかってますし、そんなに驚くべきことではないかなと思う」とコメント。「今後もお互いが選ばれるように、高井だったり、細谷だったりと一緒のメンバーとして戦えるように、お互いに切磋琢磨できればいいなと」と底上げを誓った。
次のワールドカップは2年後。現状では順風満帆に見える森保ジャパンも、今後の成長がなければ、強豪国との競争には打ち勝てない。パリ五輪のメンバーから、東京五輪組を蹴落とすような選手で出てこなければ、明るい未来は描けない。
取材・文●江國森(サッカーダイジェストWeb編集部/現地特派
2024年10月09日 16:24
鹿島アントラーズが10月9日、新体制初の練習を実施した。
鹿島は6日にランコ・ポポヴィッチ監督とミラン・ミリッチコーチとの契約を解除し、9日に中後雅喜コーチの新監督就任を発表。同時に、本山雅志アカデミースカウトやクラブOBの羽田憲司氏がコーチに加わり、退任した吉岡宗重フットボールダイレクターの後任は、中田浩二プログループマネージャーが務める新たな体制となっていた。
オフ明けの荒天でランニングがメインの調整となったなか、負傷で別メニューだった田川亨介も全体練習に復帰。鈴木優磨、植田直通、関川郁万、知念慶ら主力と共に汗を流した。
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シーズンも残り少なくなったタイミングでの指揮官交代。安西幸輝は「選手が悪かったというのは感じています」と胸の内を明かす。
新指揮官とは東京ヴェルディ時代に同じピッチで戦ったことがある。「18歳の時、自分がプロ1年目の時から4年間一緒にプレーした」。それだけに思うところもある。「そんな人がこんなに早いタイミングで監督になる、(岩政)大樹さんの時も同じ感覚だったんですけど、勝たせてあげたいなって思います」と決意を口にする。
鹿島OBでもある中後監督のもとでは「フォーメーションだったり、オーソドックスな形で昔の姿を取り戻すという意味もある」という。さらに「アップデートし、新監督の色が出てくるのはまだこれから」とし、「次に向かってやるしかないなっていう感じです」と前を向く。
現在リーグでは4位。“中後アントラーズ”はどんな戦いを見せるか。
取材・文●渡邊裕樹(サッカーダイジェスト編集部)
2024年10月09日 16:20
ローマ所属のマッツ・フンメルスは、新天地デビューを気長に待っているようだ。
2024年10月09日 16:00
ACミランはマンチェスター・ユナイテッドでプレイするスウェーデン代表DFヴィクトル・リンデロフ(30)の獲得に動く可能性があるようだ。
2017年にベンフィカからユナイテッドに加入したリンデロフは今シーズン限りで契約満了を迎える。クラブは名門復活に向けて今後もチームを刷新していくことが予想されており、リンデロフは来夏の退団が濃厚だと考えられている既存戦力の1人だ。
そんなリンデロフの獲得を熱望しているのが現在、ミランでシニアアドバイザーを務めているズラタン・イブラヒモビッチのようだ。『milanlive.it』が報じている。同メディアによると、イブラヒモビッチは来夏フリーで獲得できるリンデロフをミランに推薦しているとのこと。
イブラヒモビッチとリンデロフはスウェーデン代表でチームメイトだったこともあり、同選手のポテンシャルを知っているからこそ熱望しているようだ。
経験豊富な選手をフリーで獲得できることはミランにとっても魅力的な選択肢となるが、同メディアによるとインテルやフィオレンティーナも注目しているという。しかし、イブラヒモビッチの存在がミランにとって有利に働く可能性が高いと同メディアは見解を示している。
今夏には同選手を好んで起用したジョゼ・モウリーニョが監督に就任したフェネルバフチェへの移籍も噂されたが、母国のレジェンドがいるミランが現在有力候補となっているようだ。
2024年10月09日 16:00
トッテナムに所属するFWドミニク・ソランケが、約7年ぶりにイングランド代表に招集された喜びを口にした。8日、イギリス紙『イブニング・スタンダード』が伝えている。
現在27歳のソランケはチェルシーの下部組織出身で、リヴァプールやボーンマスでのプレーを経て、今夏にクラブ史上最高額となる移籍金6500万ポンド(約126億円)でトッテナムに加入。ここまで公式戦8試合出場で3ゴール2アシストを記録している。
そんなソランケは2017年11月にイングランド代表デビューを果たしているが、これが代表では唯一の出場機会となっており、昨シーズンはプレミアリーグ全38試合に出場してリーグ4位タイとなる19ゴールを挙げたものの、一度も代表に招集されることはなかった。
それでも、UEFAネーションズリーグ(UNL)の2試合に臨む今月のイングランド代表メンバーが発表されると、約7年ぶりにソランケが招集されたことが話題になっていた。
念願の代表復帰を果たしたソランケは「チャンスが来ないとは思っていなかった。今やっていることを続けて、いいプレーをしてゴールを決め続けていれば、必ずここに戻って来られると信じていた」と喜びを口にしながら、次のように続けた。
「とても大きな意味がある。ここに戻るために一生懸命努力してきた。もちろん、デビューしたのは随分前で、ここに戻って来るまでには長い道のりだったが、僕と家族にとっては素晴らしい気持ちだ」
「最初にチームに入った時はまだ若かったように感じる。たくさん学んで、成長し、いろいろなことをしてきた。今はずっと成熟していて、当然ながらいい立場にいると思う。自分に満足しているし、ここに戻って来られて嬉しいよ」
先月に続いてリー・カーズリー暫定監督の下で活動しているイングランド代表は、10日にホームでギリシャ代表、13日にアウェイでフィンランド代表との対戦を予定している。
2024年10月09日 15:58
サウジアラビア代表は現地10月10日、北中米ワールドカップ・アジア最終予選で日本代表と激突する。
9月に行なわれた2連戦は1勝1分の無敗で終えたサウジアラビア。しかし初戦は格下のインドネシアを相手に1−1のドロー。続く中国戦も、終了間際のゴールで何とか2−1の逆転勝利を収めるなど苦戦を強いられた。
ロベルト・マンチーニ監督の立場も危うくなるなか、中東メディア『Erem News』は「日本戦がマンチーニ監督の運命を左右する」とし、指揮官の去就に言及している。
【画像】サウジアラビア・オーストラリアと対戦!W杯アジア最終予選で難敵との連戦に挑む日本代表招集メンバーを一挙紹介!
「ジャーナリストの情報によると、サウジアラビアサッカー協会は、代表チームがもし日本戦でつまずいた場合、マンチーニ監督を辞めさせる準備をしているようだ。しかし日本、バーレーンとの2連戦で勝利を収めれば、このイタリア人指揮官を2027年のアジアカップまで支援するだろう」
サウジアラビアにとって、グループ首位浮上を懸けた重要なゲームなる日本戦は、指揮官にとっても大一番となりそうだ。
構成●サッカーダイジェストWeb編集部
2024年10月09日 15:30
冬の移籍が濃厚と考えられているチェルシーのMFカーニー・チュクウェメカ(20)にサウジアラビアのクラブも注目しているという。
2024年10月09日 15:23
ローマの伝説の元主将は、故ディエゴ・マラドーナに計り知れない敬意を抱いている。
フランチェスコ・トッティはかつて、ローマの本拠地オリンピコで開催されたチャリティーマッチで、マラドーナからキャプテンマークを渡されかけたが断った。
イタリア紙『Gazztta dello Sport』によると、トッティは『Betsson Sport』で「自分にとって彼はサッカーの歴史だ。彼はサッカーそのものだった。オリンピコだったとはいえ、自分にとっては彼が腕章を巻くことが大事だった。自分には彼が世界ナンバーワンだったんだ」と話している。
「ディエゴは(リオネル・)メッシより上だった。私と彼なら? トッティだなんて言ったらふざけている」
当然、トッティが思い描く理想の選手像にはマラドーナが含まれる。そして、自分の“目”も、だ。
「クリスチアーノ・ロナウドの右足、マラドーナの左足、(ルカ・)トーニのヘディング、怪物ロナウド(元ブラジル代表)のスピード、メッシのドリブル、ジュード・ベリンガムのフィジカル、そして私のプレービジョンだね」
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一方、愛するローマひと筋でキャリアを終えたトッティは、「今のセリエAでは自分のようなユニームとの絆を持つ選手がいない」とも話している。それだけに、先日ローマで解任の憂き目に遭ったダニエレ・デ・ロッシ前監督については「素晴らしい人物」と語った。
「素晴らしい心の持ち主で友人だ。私が愛しているようにローマを愛している」
ナポリで英雄として永遠に愛され続けているマラドーナ、ローマのレジェンドとしてリスペクトされるトッティやデ・ロッシ、彼らのような存在は今後現れるのだろうか。
構成●サッカーダイジェストWeb編集部
2024年10月09日 15:00
ボーンマスでプレイするガーナ代表FWアントワーヌ・セメニョ(24)の獲得にプレミアリーグのビッグクラブが興味を示しているようだ。英『GIVEMESPORT』が報じている。
2023年冬にボーンマスにやってきた同選手は昨シーズン、プレミアリーグ33試合に出場し、8ゴール2アシストを記録。今シーズンもボーンマスの攻撃の中心的存在として躍動しており、ここまでリーグ戦7試合で3ゴール1アシストを記録している。
プレミアリーグで印象的なパフォーマンスを見せているセメニョにはリヴァプール、トッテナム、そしてニューカッスルといったプレミアリーグのビッグクラブが注目しており、来夏の移籍市場での獲得を目指して動き出す可能性があるという。
ボーンマスは今夏ドミニク・ソランケをトッテナムへ売却したが、セメニョの退団を恐れており、移籍となっても2029年まで契約を残す同選手に高額な移籍金を要求する姿勢とのこと。しかし、上述したクラブだけではなく、イングランド国外のクラブも動向を注意深く監視しているようだ。
同メディアはセメニョについて、ブレントフォードのFWブライアン・ムベウモ(25)と並んで来年の人気銘柄になる可能性があると綴っているが、ステップアップは時間の問題か。
2024年10月09日 14:56
ナポリに所属するスロバキア代表MFスタニスラフ・ロボツカが、アントニオ・コンテ監督への信頼を強調した。8日、イタリアメディア『フットボール・イタリア』が伝えている。
今夏からコンテ監督が率いているナポリは、今シーズンのセリエA開幕節ヴェローナ戦に0−3で敗れたものの、以降は無敗を継続しており、第7節終了時点で5勝1分け1敗で首位に立っている。第2節以降の6試合では「14」得点を記録している一方、失点はわずか「2」に抑えており、安定した戦いを見せている。
そんななか、今季ここまで公式戦全9試合に先発出場しているロボツカが、スロバキア代表での会見に出席し、ナポリでの戦いについて聞かれると「今シーズンは特別なシーズンになる可能性があるが、まだ始まったばかりだ」と語りながら、コンテ監督の下でいいシーズンが送れている事を明かした。
「スクデットを獲得した後、少しハングリー精神に欠けていたかもしれない昨年と比べると、今年は違う。コンテ監督は新鮮なアイデアと違った雰囲気をもたらしてくれているし、僕たちを肉体的にも精神的にも優れたレベルに押し上げてくれている」
「これまでのところ、結果は僕たちの味方になってくれていて、このまま続けていきたいと思っている。監督は僕たちをより高いレベルに導いてくれると思う」
リーグ戦6試合無敗で2連勝中のナポリは次戦、20日にアウェイで10位のエンポリと対戦する。