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2023年12月06日 21:00
先月25日、ヴィッセル神戸は名古屋グランパスを2-1で破り、J1リーグ戦初優勝を達成した。Jリーグはすべての日程を終えた中で、最終決戦に挑む“神戸の男”がいる。 来季神戸へ加入する筑波大MF山内翔(4年、神戸U-18)は、今月10日(午前11時、東京・AGFフィールド)に大学最後の全国大会である全日本大学選手権(インカレ)の初戦を迎える。 今季はアジア大会(9月19日〜10月7日、中国・杭州)に臨むU-22日本代表に選出され、関東大学1部MVPに輝いた大学屈指の司令塔と称される山内にキャリアの始まり、神戸アカデミーの日々、あるサポーターとの思い出などを聞いた。 グラウンドで育った大学屈指の司令塔 山内は小学校を卒業してから、兄の背中を追うようにしてヴィッセル神戸U-15伊丹へ加入した。ピッチ全体を見渡すような視野の広さ、戦局がきびしい状況でも落ち着いた立ち振る舞い、正確なパスと繊細(せんさい)なタッチコントロール技術など、中盤に求められる能力を高水準で備えている。大学最高の司令塔と称される山内だが、中学世代の環境は意外にも恵まれたものではなかった。 ――サッカーを始めたきっかけを教えてください。 父がサッカーをやっていたことが1番ですけど、一つ上の兄(山内颯、昨季現役引退)が少年団に入るタイミングで、自分もそのときはまだ(保育園)年長でしたけど、チームに入って、そこからサッカーを始めることになりました。小学校を卒業するまでフォレストFC京都でプレーして、そこからヴィッセルに入りました。 ――地元に京都サンガのアカデミーがありますけど、なぜ神戸U-15伊丹に入団しましたか。 自分がいた小学校のチームは京都府内で強かったです。チームには明治大の太田龍之介選手(J2ファジアーノ岡山内定)がいて、彼はセレッソ大阪(U-15)に行きましたし、他にもガンバ大阪ジュニアユースに二人行きました。 兄がヴィッセルの伊丹に入ったことが伊丹を知ったきっかけです。試合を観に行って、だんだん(伊丹の)サッカーや環境を知りました。たくさんのチームの中から選ぶというより、行けるチームに行った感覚です。 ――伊丹の環境面はいかがでしたか。 いまは人工芝でやっていますけど、僕がいたときは3年間土のグラウンドで、平日だとフルピッチでの練習はほぼできなかった。火曜日は伊丹FCと(一緒に練習して)、水金か木金か忘れたんですけど、そのときはFCパスィーノ伊丹という伊丹市内のチームと(グラウンドを)半分、半分で使わせてもらう形でやっていました。 環境面でいうと他のJクラブアカデミーより過酷で、当時はちょっと特殊なチームではありました。そこで毎日練習もしましたし、電車での移動など、いろんな面でタフになれました。伊丹に行ったことは正解だったと、いまでは思っています。 ――土のグラウンドで練習していたんですね。いまのプレースタイルを考えるとかなりの逆境ですね。いまのスタイルにつながる経験はありましたか。 中学のときは特に身長が小さくて、線も細かったので、初めは「キツいな」と思いました。その中でなにかしら自分の価値を見出さないといけないと中学生ながらに思っていました。 狭い中でもボール取られないことや、例えトラップが浮こうが、どうなろうがプレーし続けないといけないことは変わらないです。 そういうところは培えたと思いますし、パスの部分は周りの素晴らしい選手や、仲間にすごくレベルの高い選手いたからこそ、その人たちのお陰で成長したと思います。自分でなにかということよりも、「周りに負けたくない」や「周りの選手たちより自分が頑張る」など、いろいろ考えながらやっていたと思います。恩師後藤ダイレクターの下で成長 神戸U-18に昇格した山内は、現アカデミーダイレクターの後藤雄治コーチ、現サンフレッチェ広島ユース監督の野田知U-18監督の指導を受けて世代別代表に選出されるほどの選手へと成長を遂げた。高校1年から頭角を現した司令塔は、当時指導を受けた後藤コーチの叱咤に感謝していた。 ――アカデミー時代の印象的な思い出などを教えてください。 高校もそうですけど、中学生のときが1番きつかった思い出があります。小学生のときは京都府内やいろんな選抜も行っていた中で、「1年から試合に出られるだろう」と想いを持っていました。僕は飛び級をしたことがなくて、中学3年になって初めて自分の代で出始めたぐらいの選手だった。 中学1、2年のときも同じポジションに兄がいたので、「兄に負けたくない」と、負けたくない想いが中学生のときは強かった。きつかったですけど、アカデミー中高6年を考えれば、そのときが1番の思い出ですね。 ――U-18時代は世代別代表に定着していました。印象的な思い出はありましたか。 僕は早生まれだったので、高校1年のときに初めてU-15の代表に入りました。そのときが初めての代表でしたね。僕はエリートじゃないと思っていたから「自分がまさか代表なんて…」というところから始まっています。 そのとき後藤雄治さんがU-18のAチームのコーチで、(当時U-18監督の)野田知さんの隣にいました。 後藤さんから「代表に行ける力もあるし、プロに行く力もあるのになんでそんないい加減…」と言われていて、後藤さんに「クソガキだった」とよく言われました(苦笑)。毎日きびしく指導してもらって1年のときプレミア(高円宮杯 JFA U-18サッカープレミアリーグWEST)に出させてもらったことで代表に入りました。後藤さんにきびしく指導されていなかったら、代表に入っていないと思います。自分の力でというよりは、後藤さんに言われたから代表に入れました。 ――世代を代表する選手たちとの競争は刺激になりましたか。 そこからはU-17ワールドカップがあったので、そこが一つのモチベーションでした。なにより1年のときは試合に出たり、出なかったりと、自チームで試合に出るために頑張ろうと思っていました。 そのまま代表活動で評価されて選ばれ続けて、同世代の選手だったら半田陸選手(J1ガンバ大阪)、西川潤選手(J1サガン鳥栖)が呼ばれていましたので、普段ではできないような選手ともできた経験は自分にとってすごく刺激にもなっていましたし、すごく楽しかったです。 ――後藤ダイレクターの指導が大きかったんですね。 それがなかったら筑波にも入れていなかったです。すごく言葉は悪いんですけど、“普通の選手”というか、そこそこで終わっていたんだろうなと思います。同期小田の存在、スペイン改革 山内の同期には高校3年でトップチーム昇格を決めた小田裕太郎がいた。今年1月にスコットランド1部ハーツへと完全移籍した自分の前を進む同期の活躍は、負けず嫌いの山内にとって大きな刺激になっている。 ――同期の小田選手がトップチームに昇格して、現在はヨーロッパで活躍されています。山内選手にとって彼はどのような存在ですか。 入学当初から自分と小田選手がAチームでした。ほとんどAチームで帯同していて、ずっと一緒に試合に出ていましたね。 語弊はあるかもしれませんけど、そんなに仲良くないというか(苦笑)、ユースのときはめっちゃ仲良く喋っていたというわけではないです。僕は早生まれの代表(1個下の世代の代表)に入っていましたけど、彼は(早生まれで1個前の世代別代表に入っていた)僕より1個上の“自分の代”の代表に入っていた。 代表に選ばれている彼は本当に刺激になっていました。ポジションは違いますけど、一緒に2種登録もして、当時のナビスコカップ(JリーグYBCルヴァンカップ)も一緒にベンチに入りました。自分は出られなかったですけど、彼はその試合に出ました。試合は負けましたけど、そのプレーが評価されてトップに上がったと思うので。 悔しい気持ちはもちろんありましたけど、いまもスコットランドで活躍していてすごいと思うし、負けられないと思っています。小田裕太郎(左) ――高2のときにスペイン人指導者ベナイジェスさんが来られましたけど、チームの環境は変わったりしましたか。 当時は分からなかったですけど、そういう新たな部署ができて、アカデミーはかなり変わりましたね。サッカーをより細かくというか、アカデミーがユースからジュニアまで(ベナイジェスさんが)来てから統一されたなと。アカデミー自体もすごく変わった印象があります。 ――選手視点で変わったと思った部分はありましたか。 もともと野田監督が後ろからボールを大事にというか、そういう意味ではちょっとスペイン代表に近いサッカーをしていました。僕たちはそんなに変わらなかったですけど、練習もちょっと筑波とも似ているというか、練習時間がすごく短い。 短い中で100%を出すことや、自主練とかもそうですね。彼らが来る前は最後の最後まで自主練とかめっちゃ遅くまでできましたけど、(ベナイジェスさんが来てから)「早く帰れ」と言われて、当時はいろいろとストレスもありました(苦笑)。 こっち(筑波)に来てから(振り返ると)、そういう効率やケガのリスクを考えてやってもらっていたんだとすごく感じています。プロとの差に無力さを痛感 世代別代表の常連となり、この世代で注目を受ける存在だった山内だったが、トップチーム昇格を逃してしまった。当時は同じポジションにMF山口蛍を筆頭にスペイン人MFセルジ・サンペールなど名手がそろっていた。プロの分厚い壁にはじき返されたが、ただでは転ばない。世界的な名手たちの姿勢、振る舞いを見て新たな学びを得た。 ――トップチームへの昇格を逃しました。チームから伝えられた時期はいつでしたか。 日付までよく覚えてないんですけど、はっきり覚えているのが高3のクラブユースの(夏季)全国大会に出発する前の日に言われた記憶があります。 ――そのときの心境はいかがでしたか。 中学からヴィッセル神戸というチームを身近に感じていましたので、そこに上がりたいという中でユースもやっていたから悔しい思いが1番強かったです。2、3年と、ユースでトップの練習に参加させていただく機会が多かった。当時は高2のときにアンドレス・イニエスタ選手が来て、高2の冬にはダビド・ビジャ選手、山口蛍選手、西大伍選手、高3の夏にはトーマス・フェルマーレン選手、酒井高徳選手が来ました。神戸の入れ替わりが激しい、来る選手のレベルが上がった時代でしたね。 練習をやっている中で上がりたい気持ちはもちろんありましたけど、自分が上がれる力があるかといったらそうではなかったので…。それは練習に行ったら自分のレベルの低さというか、自分の力の無さをすごく感じていたからです。 上がりたいと思っていましたけど、上がってすぐに活躍できたかと言ったら絶対そうではなかったと思う。悔しい思いが1番強いというのはありますけど、その反面納得というか、いま考えれば「それはそうでしょう」と思うときもありました。アンドレス・イニエスタ ――すごい選手ばかりですよね。彼らからどのような刺激を受けましたか。 ユースとプロはまったく違うなと…。それは選手どうこうじゃなくて、プロはまったく別物だとユースのときに思いました。もうなにもかも違うし、スピード感や周りの環境がまず違います。スタッフの数、練習にかける準備と、1日にかけるトレーニングも。 そのときの監督もリージョさんやフィンクさんと初めての外国人の監督でした。自分は日本人の監督が当たり前の中でやっていたので、プロという世界は本当に別物だというのが始めの印象です。追憶、レガースに書いた言葉 山内にとって忘れられない存在がいる。中学時代から自身を応援してくれたファンの山城和也さんだ。神戸が創設したころからチームを応援し、ユース、ジュニアユース世代のチームも会場に駆けつけて声援を送り続けた。 だが別れは突然やってきてしまった。2022年2月に山城さんが50歳で逝去した。アカデミーの選手たちからは慕われる存在だった。それでも山城さんの意志はいまも生きている。山内は自身を応援し続けたファンの言葉とともに、ピッチに立っている。山城和也さん ――サポーターの山城和也さんは覚えていますか。 はい。覚えています。 ――伊丹時代から山内選手を応援されていた山城さんは、恐らく1番最初の山内選手のファンだったと思うんですけど、どのような存在でしたか。 自分だけじゃなくて自分の家族と仲良くさせてもらっていた中で、突然のことだったので本当に驚きました。 ずっと応援してくれていましたし、自分が(育成年代の)代表に初めて入ったときも新神戸駅まで来てくれて、横断幕を掲げてくれて…。そこまでしてくれる人はいないと思うので、自分からすれば本当にありがたかったです。そういう方が不幸なことになってしまったことが本当に残念です。 自分がプロになって活躍する姿を見せたかったと素直に思います。これは誰にも言ってないというか、初めてなんですけど、去年のシーズンに入る前に自分でレガースを作ったとき、山城さんがよく言っていた『enjoy football』という言葉がありました。その言葉をレガースに入れています。それを試合前に目にすることがあります。 ――そのレガースはいまも使われていますか。 いまも使っているやつですね。持ってきたら良かったんですけど(笑)。 ――天国で喜んでいると思いますよ。 いつだったかな。アカデミーのときも毎試合のように来てくれていました。ユースなので、高校サッカーと違って観客の数も少ないです。その中でジュニアユースも応援している方がユースの応援も来ていただいて。自分たちのために応援していただいたことは感謝してもしきれない想いがあります。本当にいい報告ができればと思っています。 ――山城さんにどのような活躍を見せたいですか。 山城さんはずっと「サッカーを楽しむ」とよく言っていたので、自分がどんな活躍ができるか分からないですけど、サッカーを楽しんでいる姿を1年でも長く。それがJリーグであれ海外であれどのカテゴリーに行っても、自分がサッカーを純粋に楽しんでいる姿を見せたいと思います。
2024年07月27日 14:58
日本サッカー協会の公式YouTubeチャンネルが7月26日、パリ五輪を戦うU-23日本代表に密着した『Team Cam』の最新回を投稿。無念の離脱を強いられた半田陸(ガンバ大阪)が、チームメイトに送ったラストメッセージを公開した。
22歳のDFは、パラグアイとの初戦(5−0)を2日後に控えた22日の練習中に負傷。代わりに鈴木海音(ジュビロ磐田)が本メンバーとなり、空いたバックアップメンバーには内野貴史(デュッセルドルフ)が急遽入った。
メンバー交代あたり、大岩剛監督はミーティングで「今までの陸のこのチームに対する功績は全く変わらないし、みんなへの影響も大きいものがあったのは変わらない事実だ」と説明。さらに半田本人も、次のような熱い言葉を伝えた。
【PHOTO】U-23日本代表のパラグアイ戦出場16選手&監督の採点・寸評。三戸&藤尾が2発ずつ、CBの2人も評価
「このタイミングで離脱することはすごく悔しいですけど、みんなのメダル獲得を願っていますし、ここにいる選手・スタッフみんな大好きなので、それぞれの活躍を本当に願っています。僕も早く怪我を治してまた違うところで、成長した姿でみんなに会えるように頑張るので、絶対に金メダルを取れるように頑張ってください」
陸の分まで――。悲願のメダル獲得に向けて、また1つ大きなモチベーションができた。
構成●サッカーダイジェストWeb編集部
2024年07月27日 14:54
元日本代表DFの田中マルクス闘莉王氏が、自身のYouTubeチャンネルでU-23日本代表の次戦を占った。
大岩ジャパンは、現地時間7月24日に行なわれたパリ五輪グループステージ第1戦でU-23パラグアイ代表に5−0で勝利。第2戦は、同27日にマリと激突する。
闘莉王氏は、パリ五輪予選でブラジルに1−0で勝利していたパラグアイに圧勝した日本のレベルが、確実に上がっているという。
「ブラジルだったら同じことをやって勝ったかといったら、そうじゃないかもしれない。だけど、またブラジルと戦ったら、今の日本代表だったら勝ってもおかしくないし、奇跡って呼ばれないぐらいまでレベルが上がったことは間違いない」
【動画】闘莉王がパラグアイ戦の大岩Jを採点!
次戦に向けてのポイントは、こう述べる。
「現実的に物事を見なきゃいけない。引き分けでも悪い結果ではない。勝ったらこれに越したことはない。期待するのが勝利。これだけの勢いがあると、簡単に勝っちゃうよってなったりするかもしれないんだけど、そうじゃない。新たな試合はまた全く違う人だし。マリ戦で何が要求されるか。選手たちがピッチのなかで、対応できるかどうか」
そして、2−1で日本の勝利を予想した。
構成●サッカーダイジェストWeb編集部
2024年07月27日 14:33
湘南ベルマーレは7月27日、DF畑大雅とFW石井久継の負傷を発表した。両者は、ともに20日に行なわれたJ1第24節のガンバ大阪戦で怪我を負った。
22歳の畑は、市立船橋高を卒業した2020年に湘南でプロキャリアをスタート。1年目から出場機会を得て、今季はここまで21試合2得点を記録していた。
湘南の下部組織出身で19歳の石井は、24年からトップチームに昇格。今季はここまで13試合で1得点を挙げていた。
【PHOTO】大量得点を呼び込む大声援を送り続けた湘南ベルマーレサポーター!
クラブは、畑が右脛骨高原骨折、石井は右膝内側側副靱帯損傷の診断を受けたと公表。ともに、全治期間は明らかにしていない。
有望な若手2選手の離脱は、小さくない痛手だ。
構成●サッカーダイジェストWeb編集部
2024年07月27日 14:30
令和6年度全国高校総体(インターハイ)は27日、1回戦の20試合が福島県内各地で行われた。
2024年07月27日 14:06
7月27日、福島県で開催されている令和6年度全国高校総体(インターハイ)の男子サッカー競技は1回戦を消化し、20試合が開催された。
強豪の神村学園(鹿児島)は、西目(秋田)相手に前後半で4点ずつ奪い、8−0で大勝。また、同じく優勝候補の一角を担う青森山田(青森)も旭川実(北海道)を7−1で撃破し、初戦から圧巻の得点力を見せつけた。
玉田圭司新監督が率いる昌平(埼玉)ほか、静岡学園(静岡)、仙台育英(宮城)、東山(京都)、山梨学院(山梨)なども2回戦に進出した。
1回戦の対戦カードと結果は以下のとおり。
【7月27日:インターハイ1回戦全結果】
鵬学園(石川) 2 - 2(PK 1 - 3) 日章学園(宮崎)
東山(京都) 1 - 0 高川学園(山口)
興國(大阪) 1 - 2 静岡学園(静岡)
西目(秋田) 0 - 8 神村学園(鹿児島)
近江(滋賀) 1 - 3 徳島市立(徳島)
東邦(愛知) 1 - 1(PK 3 - 4) 米子北(鳥取)
神戸弘陵(兵庫) 0 - 1 帝京(東京)
山梨学院(山梨) 2 - 0 那覇西(沖縄)
遠野(岩手) 1 - 0 三重(三重)
昌平(埼玉) 2 - 1 尽誠学園(香川)
東京都市大塩尻(長野) 0 - 1 仙台育英(宮城)
富山一(富山) 3 - 3(PK 0- 3) 札幌大谷(北海道)
瀬戸内(広島) 2 - 3 龍谷(佐賀)
柳ヶ浦(大分) 0 - 5 帝京長岡(新潟)
旭川実(北海道) 1 - 7 青森山田(青森)
駒澤大学(東京) 2 - 1 済美(愛媛)
大津(熊本) 1 - 2 阪南大高(大阪)
丸岡(福井) 2 - 3 近大和歌山(和歌山)
作陽(岡山) 1 - 0 山形明正(山形)
帝京大可児(岐阜) 6 - 1 立正大淞南(島根)
【画像】帝京、国見、鹿実、市船… 強豪校別 歴代ベストイレブン!
2回戦のカードは次のように確定した。
【7月28日:インターハイ2回戦】
鹿島学園(茨城) vs 日章学園(宮崎)
東山(京都) vs 静岡学園(静岡)
神村学園(鹿児島) vs 高知小津(高知)
徳島市立(徳島) vs 尚志(福島)
米子北(鳥取) vs 帝京(東京)
山梨学院(山梨) vs 国見(長崎)
東海大相模(神奈川) vs 遠野(岩手)
帝京安積(福島) vs 昌平(埼玉)
共愛学園(群馬) vs 仙台育英(宮城)
市立船橋(千葉) vs 札幌大谷(北海道)
龍谷(佐賀) vs 帝京長岡(新潟)
生駒(奈良) vs 青森山田(青森)
駒澤大学(東京) vs 矢板中央(栃木)
阪南大(大阪) vs 福大若葉(福岡)
近大和歌山(和歌山) vs 作陽(岡山)
帝京大可児(岐阜) vs 桐光学園(神奈川)
構成●サッカーダイジェストWeb編集部
2024年07月27日 14:00
ついに開幕したパリ五輪。
オーバーエイジなしで今大会に挑んだU-23日本代表は、24日に行われたパラグアイとの初戦に5-0で勝利した。
三戸舜介の得点で先制した後に相手に退場者が出ると、後半には水戸、山本理仁、藤尾翔太(2点)が追加点を奪っている。
そうしたなか、Instagramのフォロワー数50万人以上を誇るスタッツ系サイト『Sofascore』は、パリ五輪第1節のベストイレブンを発表。
日本からは水戸、藤尾、斉藤光毅の3人が選ばれた。藤尾は後半28分の途中出場から2ゴールを奪い、8.6という全体トップのレーティングを記録。2ゴールの水戸と2アシストの斉藤も8.5という高レーティングを叩き出していた。
それ以外は、フランスとエジプトから2人、スペイン、モロッコ、イラク、ニュージーランドから1人が選ばれている。
日本代表、パリ五輪メンバーに含まれなかった逸材11名
最高のスタートとなった日本だが、相手に退場者が出た影響があったのも確か。マリ、イスラエルとの試合では、どんなパフォーマンスを見せるのか注目だ。
2024年07月27日 13:57
ジローナに所属するFWアルテム・ドフビクの代理人が、有力視されていたアトレティコ・マドリード移籍が破談したことを示唆しているようだ。26日、ウクライナメディア『UkrFootball』が報じている。
今夏のミラン加入のためにクラブを退団したFWアルバロ・モラタの後釜として、FWアルテム・ドフビクに白羽の矢を立てたアトレティコ・マドリード。2023−24シーズンはラ・リーガ初挑戦ながらピチーチの称号を手に入れた“点取り屋”に対して、同クラブは契約解除金として設定される4000万ユーロ(約67億円)を下回る金額での合意を目指してきた中、報道によるとクラブ間交渉が成立。また、選手本人もステップアップを望んでいることから、ロヒブランコスの新戦力となることが有力視されていた。
既報では、アトレティコ・マドリードと選手本人が合意に達していることが伝えられていた他、23日には移籍市場に精通するジャーナリストのファブリツィオ・ロマーノ氏も「移籍の準備ができている」と見解を示すなど、移籍は現実味を帯びていくばかりだった。が、ここにきて事態が一転。『UkrFootball』に、同選手の去就について語った代理人のオレクシー・ルンドフスキー氏は、アトレティコ・マドリードと折り合いがつかなかったことを明かした。
「アトレティコは素晴らしいクラブだけど、そこにアルテムのための真剣なプロジェクトは見受けられなかった。彼らのオファーは経済的な側面で、リーグ最高のストライカーに興味を持っている他クラブのオファーよりもかなり劣っている」
なお現在、ドフビクはローマ加入に迫っているとのこと。ロマーノ氏によれば、個人間合意に至っており、今後はクラブ間交渉に移行していくようだ。
2024年07月27日 13:49
プレミアリーグの強豪トッテナムは、7月27日にJリーグワールドチャレンジ2024でヴィッセル神戸と対戦する。
2024年07月27日 13:41
日本ツアーで来日中のスタッド・ドゥ・ランスは7月26日、クラブの公式Xで、所属する伊東純也と中村敬斗がファンサービスする姿を公開した。
27日に行なわれる清水戦に向けたトレーニングの後、両アタッカーは自撮りやサインを求めるファンに快く対応した。
【動画】トレーニング後に伊東純也と中村敬斗がファンサービス!
この投稿には、「素敵」「羨ましい」「優しい笑顔」「みんな嬉しそう」「女の子メロメロやん」「元気に頑張って」「キラキラすぎて眩しい」「現地にいる皆さんの興奮がリアルに伝わってくる」などの声が上がった。
ファンにとっても、忘れられない時間となったことだろう。
構成●サッカーダイジェストWeb編集部
2024年07月27日 13:39
元日本代表DFの田中マルクス闘莉王氏が、自身のYouTubeチャンネルでU-23日本代表について語った。
大岩ジャパンは、現地時間7月24日に行なわれたパリ五輪グループステージ第1戦でU-23パラグアイ代表に5−0で勝利。闘莉王氏は、その試合を振り返るなかで、A代表に即昇格可能な選手にも言及している。
まずは4−3−3のアンカーでフル出場した藤田譲瑠チマに言及。目立たなくても守備に安定をもたらし、玄人が好きになるタイプとして、森保ジャパンの大黒柱である遠藤航との違いを述べる。
「どちらかというと、藤田の方がちょっと賢さがあるプレーをする。困る前に動き出す。遠藤は困った後に出てくる選手だから、ちょっとタイプが違う。間違いなく上にも引っ張られる選手」
【動画】闘莉王がパラグアイ戦の大岩Jを採点!
続いて、右SBでフル出場した関根大輝をピックアップする。
「面白い選手が、また出てきた。パスもそうだし、上がっていく攻撃に対するエネルギーの使い方。これはA代表でも見てみたい感じがする。非常に面白いサイドバックが、また出てきたような感じ。Aですぐデビューしてもおかしくない」
さらに、完封勝利に貢献したGK小久保玲央ブライアンも「オリンピック前もそうだったけど、落ち着き、時には熱くなり、ゴールキーパーのなかでも存在感を出してくれるのかな。A代表ですぐデビューして欲しいぐらい」と称えた。
「森保(一監督)さんが見ているなら、この試合だと、次のA代表を呼ぶ時は、必ず4、5人ぐらいは呼ばれると思う」と、大岩ジャパンの選手のパフォーマンスを高く評価した。
構成●サッカーダイジェストWeb編集部
2024年07月27日 13:20
日本サッカー協会が7月26日、パリ五輪を戦うU-23日本代表に密着した『Team Cam』の最新回を公開。その中で24日のパラグアイ戦(5−0)で2発を叩き込んだ三戸舜介が、インタビューに対応し、率直な心境を明かした。
オランダのスパルタに所属する21歳は、19分に大畑歩夢の折り返しを、ペナルティエリア内で受けると、冷静にニアを撃ち抜いて先制点をゲット。これで俄然勢いに乗り、さらに63分、今度は斉藤光毅のクロスに豪快なヘッドで合わせた。
試合直後に「自分たちが狙いとしているポケットを取って、大畑選手から折り返しをもらいました。フリーだったので時間がありすぎたのですが、上手く決められて良かったです。ヘディングでのゴールは、斉藤選手がクロスを上げる前から目が合っていて、ドンピシャのボールが来たので決めるだけでした」と語っていたなか、改めて得点場面を回想。1点目はやはり、余裕がありすぎた部分が強く印象に残っているようだ。
【PHOTO】U-23日本代表のパラグアイ戦出場16選手&監督の採点・寸評。三戸&藤尾が2発ずつ、CBの2人も評価
「ボールを受けた時は、どフリーすぎてちょっとびっくりしましたけど...フリーだったのでリラックスして打てました。2点目はここにボールが来たらいいなってところに、本当に光毅君から良いボールが来たので。プロになって初めてヘディングで決めました(笑)。嬉しかったですね。
ゴールにはこだわっていたので、2点取れたのは嬉しかったです。だけど、他のプレーの質でまだまだ改善するところはあるので、そこは満足せずにまた次に向けてやっていきたいです」
次は中2日でマリ戦。上り調子で気合は十分だ。
「初戦は難しくなると思うんですけど、しっかり勝てたのは大きいですし、5点取れたのは得失点のところでも大事になってくると思います。まだ突破とか何も決まっていないので、また2戦目、良い準備をして向かいたいです」
パラグアイ戦では、スパルタでも共闘した1歳上の斉藤と、息のあったダンスセレブレーションも披露した。再び歓喜の舞を披露し、日本中を沸かすことはできるか。
構成●サッカーダイジェストWeb編集部
2024年07月27日 13:00
昨季ブンデスリーガ無敗優勝&DFBポカール制覇の偉業を達成したレヴァークーゼン。
2024年07月27日 13:00
日本代表として歴代3位となる126試合に出場した吉田麻也。Jリーグを経て、オランダ、イングランド、イタリア、ドイツ、アメリカでプレーしてきた。
彼は『Tokyo FM』の「吉田麻也の切り替えて行こう!」でこんな話をしていた。
「僕は日本のスポーツのなかで、ミスをしてゴメンって謝る文化は変えたほうがいいと思ってるんですよね。というのも、欧州でミスに対してゴメンって謝る人ってほとんどいなくて。
このゴメンはプレーを他の誰かのためにプレーしている、うまく他に合わせられなくてゴメンっていう、基準が他の選手なんですよね。
でも、欧州とかの選手たちは、自分がうまくなるという主軸のもとにプレーしているので、ミスをした時にゴメンという発想ではなくて、『やっちまった!畜生…なんでミスしちゃったんだ』って、ベクトルが自分に向いてるんですよ。
もちろん、試合でうまくいかなくて、みんなに迷惑かけてゴメンねって試合後に言うのはいいんですけど、試合中は自分がどうしたらうまくプレーできるかとか、どうやったら自分が成長できるかっていうことにベクトルを向けてプレーするべきだし。
謝っている時間があるんだったら、次のプレーをどうしたらいいかを考えるほうが大事だと思っているので。
これは日本のスポーツ全体でなくしていくべき悪しき習慣じゃないかなと思っているんですけど」
日本代表、定着・招集に期待したいイケメン5人
ミスをして謝る日本の文化は、自分にベクトルが向いていないため、なくすべき悪しき習慣だと感じているとのこと。
2024年07月27日 12:30
U-23日本代表は24日に行われたパラグアイとのパリオリンピック初戦に5-0で勝利した。前半に先制すると退場者を出した相手から大量得点を奪っている。
28日の第2戦で戦うのはマリ。3月に行われた強化試合で、日本はマリに1-3で敗れている。
そうしたなか、元日本代表監督であるフィリップ・トルシエ氏がマリとの再戦に向けて日本へのアドバイスを行っていた。
69歳になったトルシエ氏は、『テレビ東京』のインタビューで「マリ戦ではフィジカルの接触を避けること、デュエルを避けることが大事だ。日本がマリ相手にフィジカル勝負をしようと思ったら、マリのほうがフィジカルが強いので負ける。デュエルを避けるにはボールを使ったチームプレーの質で十分だろう。日本は自分たちの哲学を変えてはいけない」などと述べていた。
かつて“白い魔術師”とも呼ばれた同氏は、コートジボワール、ナイジェリア、ブルキナファソ、南アフリカなどの代表チームを指揮した経験を持つアフリカ通。
U-23日本代表、パリ五輪でのメダル獲得を左右する逸材5名
なお、マリはイスラエルとの初戦に1-1で引き分けている。
2024年07月27日 12:22
リヴァプールは現地時間26日、プレシーズンマッチでベティスと対戦し、1−0で勝利した。
今夏のプレシーズンにはアメリカでツアーを開催しているリヴァプール。26日にはツアーの初陣として、スペインのベティスとの一戦に臨んだ。
今夏にEURO2024とコパ・アメリカ2024が開催された関係で、現時点でベストメンバーは揃っていないが、アルネ・スロット新監督はMF遠藤航を筆頭に、DFジャレル・クアンサー、MFドミニク・ソボスライ、FWモハメド・サラーらをスターティングメンバーにチョイス。一方のベティスは、MFウィリアム・カルバーリョ、MFパブロ・フォルナルス、MFナビル・フェキルらが先発に名を連ねたほか、今夏に新加入したDFディエゴ・ジョレンテもスタメンに入り、GKアドリアンは早速の古巣対決となった。
試合は立ち上がりからリヴァプールがボールを保持。20分にはボックス手前中央でDFコスタス・ツィミカスがボールを奪うと、FWハーヴェイ・エリオット、FWファビオ・カルヴァーリョと繋ぎ、最後は遅れて走り込んだ遠藤が左足でミドルシュートを放つも、枠を捉えきれない。31分にはMFカーティス・ジョーンズが負傷し、MFトレイ・ナイオニと交代となるアクシデントにも見舞われた。
それでも、直後の34分にはリヴァプールが先制に成功。敵陣右サイド内側のスペースでナイオニからのパスを受けたソボスライが、素早く前を向いて右サイドへボールを預ける。ソボスライはそのまま前方へ走り込み、ボックス右のスペースでサラーからのリターンパスを受けると、ダイレクトでゴール左下にシュートを流し込んだ。
前半はリヴァプールの1点リードで終了。後半に入ると、フェキルがボックス手前左寄りの位置で得たフリーキックで際どいシュートを放つなど、ベティスもゴールに迫るシーンを作る。
一方のリヴァプールはサラーやソボスライが中心となって攻撃を続け、この2名を含む8名を一気に交代した64分以降も、FWハーヴェイ・ブレアやFWカイデ・ゴードンら若手選手が中心となって追加点を狙う。だが、これ以上の得点は生まれず、試合はこのままタイムアップ。先発出場していた遠藤は、GKクィービーン・ケレハーとともにハーフタイムで交代となった。
この後、リヴァプールは31日にアーセナルと激突。一方のベティスは、8月3日にアル・イテハドとの試合が予定されている。
【スコア】
リヴァプール 1−0 ベティス
【得点者】
1−0 34分 ドミニク・ソボスライ(リヴァプール)