2024年06月15日 21:00
「僕はいま彼からこの話を聞くために記者になったのか」 そう感じる瞬間が取材中にあった。これまで多種多様なスポーツ取材をしてきたが、そう思う瞬間は過去を振り返ってもあの瞬間以外ない。ある取材中に起きた出来事を振り返る。 昨年12月初旬にJ1ヴィッセル神戸から来季内定を勝ち取った当時筑波大蹴球部MF山内翔(かける)選手のインタビュー取材のため、筆者は筑波大へと向かった。山内選手にとって大学最後の全国大会となるインカレを控えていたため、全国大会への意気込み、神戸での展望、アカデミー時代の思い出などを聞く予定だった。 そしてこのインタビューの肝となる部分は山内選手と中学時代から熱心に応援していた山城和也さんとのエピソードだ。山城さんは神戸アカデミーを熱心に応援するサポーターとして神戸サポーター界隈では有名人だった。だが2022年2月に山城さんは50歳で逝去してしまった。複数の神戸サポーターから山内選手が山城さんの声援を受けていたことを知っていたため、山内選手に山城さんとの思い出を聞こうと思っていた。神戸アカデミーを応援する山城和也さん ただ懸念があった。故人が関わるエピソードの記事は故人を美化しがちになるケースが多い。実際に取材を進めるうえで山城さんの人物像を複数の神戸サポーターから聞いた際、あるサポーターは「あのおっさんは滅茶苦茶だった」というほど奔放な性格の持ち主だったという。そのため好き嫌いが別れる人物だったようで、極力山城さんを美化しないようにありのままの事実ベースで執筆するよう心掛けた。このために記者に 取材が始まると、はきはきと元気に質問を分かりやすく答える山内選手の賢さに感心した。そして大学での振り返りがある程度話し終わった際に、筆者は「サポーターの山城和也さんは覚えていますか」と切り出した。 山内選手は優し気な笑顔を浮かべて「はい。覚えています」と答え、山城さんとの思い出を楽しげに語り始めた。中学時代から熱い声援を送ってくれた話、育成年代の代表に初めて入った際に新神戸駅に駆けつけて横断幕を広げて見送ってくれた話などだった。 エピソードをある程度話すと山内選手が「これは誰にも言ってないというか、初めてなんですけど、去年のシーズンに入る前に自分でレガースを作ったとき、山城さんがよく言っていた『enjoy football』という言葉がありました。その言葉をレガースに入れています。それを試合前に目にすることがあります」と話した瞬間、筆者はいままで感じたことがない不思議な感情を抱いた。 「僕はいま彼からこの話を聞くために記者になったのか」 このような錯覚に近い感覚を記者人生で初めて覚えたのだ。この話を聞いた際、脳内にある原稿の構成はすべて完成し、1秒でも早く執筆したいと思うくらい体の芯が熱くなった。そして山内選手からレガースの写真を後日提供を受けて記事掲載に至った。 取材後の帰り道にある有名漫画のワンシーンを思い出した。平安時代に天才棋士として活躍するも非業の死を遂げて幽霊となった藤原佐為が主人公の進藤ヒカルを囲碁の世界へと導くストーリーで有名な人気囲碁漫画「ヒカルの碁」に、佐為が「神はこの一局をヒカルに見せるため、私に千年の時を長らえさせたのだ」と発言した有名なシーンがフラッシュバックのように浮かび上がった。 【インタビュー】“ヴィッセル神戸の未来”筑波大MF山内翔のアカデミー時代、あるサポーターの追憶 どこか導かれたかのような感覚を抱いた。同時に山内選手を取材できて、記者をやっていて良かったと胸をなでおろした。プロとなった山内選手は今季J1第8節FC町田ゼルビア戦でプロ初ゴールを決めた。その瞬間どこかで彼の熱心なサポーターが喜んでいたらいいなと心から思った。
2024年06月26日 07:50
フランス代表は25日に行われたポーランドとのEUROグループステージ最終節に1-1で引き分けた。
初戦で鼻骨を骨折したキリアン・エムバペはフェイスマスクを装着して初めてピッチに立つと、後半にPKを決めて今大会初ゴールをマーク。その後、ロベルト・レヴァンドフスキもPKを決めて、試合はドローとなった。
試合後、フランスのディディエ・デシャン監督は、エムバペについてこう述べている。
「キリアンが味わってきたことは難しいものだが、今日はとてもよかった。
汗をかいた時にマスクの端が目に入ったとしても、それに慣れ始めている。彼は意欲を見せてくれた」
顔に汗をかくと、ずれたマスクの端が視界に入ってくるということだろうか。
エムバペも装着!フェイスマスクをつけた世界のスター6人とその姿
フランスは1勝2分の2位で決勝トーナメントに進出。7月1日に戦う相手はまだ決まっていない。
2024年06月26日 07:30
レアル・マドリードは25日、スペイン代表DFナチョ・フェルナンデス(34)の退団を発表した。
レアル・マドリードの下部組織からトップチームに昇格したナチョは、同クラブに通算で23年間在籍。3つのメジャータイトルを獲得した2023−24シーズンは、キャプテンとしてチームを牽引した。
元フランス代表FWカリム・ベンゼマの移籍によりキャプテンに就任したナチョだったが、今回の退団にとって1年でその座を退くことに。前任のベンゼマも、その前の元ブラジル代表DFマルセロもキャプテン就任から1年で退団しており、2021年の元スペン代表DFセルヒオ・ラモス以来、4年連続でキャプテンが退団することになった。
■歴代キャプテン
2015〜2021年 セルヒオ・ラモス
2021〜2022年 マルセロ
2022〜2023年 カリム・ベンゼマ
2023〜2024年 ナチョ・フェルナンデス
レアル・マドリードのキャプテンは在籍年数によって決まるため、2012年から同クラブに在籍し、残留が濃厚となっているクロアチア代表MFルカ・モドリッチが次期キャプテンとなる見込み。第2キャプテンには、同じくスペイン代表DFダニエル・カルバハルが第3キャプテンから繰り上がることになる。
ウルグアイ代表MFフェデリコ・バルベルデ、ブラジル代表FWヴィニシウス・ジュニオールらの台頭以降、徐々に世代交代がはかられている近年のレアル・マドリード。ドイツ代表MFトニ・クロースの引退とナチョの退団により、ジネディーヌ・ジダン前監督の下で成し遂げたチャンピオンズリーグ3連覇メンバーで現在も在籍しているのは、モドリッチ、カルバハル、MFルーカス・バスケスの3選手を残すのみとなっている。
【動画】レアル・マドリードが投稿したお別れ動画
👏 #GraciasCapitán 👏 pic.twitter.com/SW28XRasXM— Real Madrid C.F. (@realmadrid) June 25, 2024
2024年06月26日 07:25
イングランド代表はEUROのグループCを首位で通過した。
1勝2分の勝点5ながら、3試合で奪った得点はわずか2ゴール。スロベニアとの最終節もスコアレスドローに終わっている。
スター軍団だが、試合内容が伴わないためファンの不満は募っており、『BBC』によれば、試合後にはギャレス・サウスゲイト監督に空のカップが投げつけらたり、ブーイングが浴びせられたりしたそう。
そのサウスゲイト監督とDFジョン・ストーンズはこう述べていた。
サウスゲイト監督
「理解はできる。逃げるつもりはない。一番大事なのは、サポーターがチームと一緒にいてくれること。
私への批判は理解できるし、選手たちに向かうよりはチームにとっていい。だが、しかし、それは活動する上で異常な環境を作り出している。他のチームが突破して、こんな扱いを受けるのは見たことがない」
ジョン・ストーンズ
「これまでの2試合からかなり改善されたと思う。ポケットに侵入して、チャンスを作った。正しい方向に進んでいる。ファンがチャンスを逃したことにイラつくのは分かる。でも、これがサッカーさ。簡単な試合なんてないんだ」
一方、元イングランド代表DFギャリー・ネヴィルは「前半はとても基本的なプレーに見えた。見ているのがつらかったが、後半はかなり前進した。結果は出なかったが、可能性を垣間見ることができた。イングランドには、コール・パーマー、ブカヨ・サカ、ジュード・ベリンガム、コビー・メイヌー、フィル・フォーデンといったタレントが揃っている。彼らのマネジメントを誤るわけにはいかない」と述べていた。
「EURO優勝経験がない最強ベストイレブン」
イングランドは30日に決勝トーナメント1回戦を戦うが、また相手は決まっていない。
2024年06月26日 07:01
クロアチア代表がEURO2024のグループステージで姿を消す。
2024年06月26日 07:01
EURO2024では連日熱戦が繰り広げられている。グループステージが終了に近づき、笑う者もあれば、泣く者も増えてきた。ただ、その舞台に立つこともできなかった者たちもいる。
ウニオン・ベルリンのロビン・ゴゼンスは、ユリアン・ナーゲルスマン監督率いるドイツ代表に選出されなかった。1年前の移籍で母国に戻ったにもかかわらず、大きな大会に出ることが叶わず、その落胆から心がむしばまれたようだ。
イタリア『fanpage』によると、ゴゼンスはドイツ『ZDF』のインタビューで、EURO落選のショックからカウンセリングを受けたと明かした。
ゴゼンスは「一生の夢が叶わなかった。どう対処すればいいか分からなかった。落胆のシーズン後のこの状況から抜け出せなかった。EUROに出ることを見据えて家族が僕とイタリアからドイツに引っ越してくれたのに、EUROに出られないのは簡単じゃなかった」と話している。
「受け入れて前に進むというだけじゃない。世界が崩れ落ちたようだったからだ。だからカウンセラーと話すのがとても役立つと学んだ」
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様々な理由からメンタルヘルスの問題に悩まされるサッカー選手は少なくない。プロアスリートは計り知れない重圧にさらされている。だが、一見すると人生の成功者である彼らだけに、心ない声が寄せられることもあるのは周知のとおりだ。
ゴゼンスは「単純にうつのことが無視されているようなコメントを見聞きしたときだね。『大金を稼いでいるのになんでうつ?』といったコメントには吐き気がする」と述べた。
「稼いでいるというだけで、その金で健康を買えることにはならない。自分がとても恵まれた立場にいることや、おそらくは稼ぎすぎなのは分かっている。でも、だからといって人間らしさがなくなるわけじゃない」
いつ、誰にでも起こり得ることを改めて考えつつ、選手たちが心身ともに力を発揮できることを願うばかりだ。
構成●サッカーダイジェストWeb編集部
2024年06月26日 06:50
グループステージの戦いが佳境を迎えているEURO2024。
オランダ代表はグループDの最終節でオーストリアに2-3で敗れた。開始6分に失点すると前半のうちにチャビ・シモンズを投入。2度追い付いたものの、終盤に勝ちこされて万事休すとなった。
グループDはオーストリアが勝点6の首位、フランスが勝点5の2位で突破。オランダは勝点4の3位となったが、3位グループの上位4チームまでに入っており、決勝トーナメントには進むことができる。
ただ、ロナルト・クーマン監督は、この試合は最悪だったとこぼしていた。
「多くの面で非常に悪いスタートになった。相手に多くのチャンスがあった。我々は積極的ではなく、相手にプレッシャーをかけることが足りなかった。
最悪だった。恥ずべきことだ。こんなことでは勝てない…。デュエルでアグレッシブにならず、ボールを失い続けるなら…それは恥ずべきことだ。
彼らがハイラインでプレーすることは分かっていた。(相手の)パスラインを閉じることと、DFラインはゾーンを維持することを決めていた。しかし、どちらかが実現しなければ、物事はうまくいかない。
守備のポジションもよくなかったし、不必要にボールを失いすぎた。30分での交代はいいことのはずがないが、状況を変えるために何かをしなければいけなかった。選手を犠牲にすることは残念だが、それが現実。最終的には私の責任だ」
一方、オランダ代表コーディ・ガクポはこう話していた。
「相手は非常にいい立ち上がりを見せた。キレていたし、デュエルも強い。俺達はそうではなかった。
驚きだったとは言えない。そういうことが起きるかもしれないと分かっていたからね。ただ、最初からうまくいかなかった。責められるべきは俺達だけだ」
「EURO優勝経験がない最強ベストイレブン」
クーマン監督は前半からサイドラインから指示を出したり、怒鳴ったりしていた。元オランダ代表ラファエル・ファンデルファールトはそれを見て、「泣き言サッカー」と言い放っていたそう。
2024年06月26日 06:20
グループステージの戦いが佳境を迎えているEURO2024。この日までにグループDまでの戦いが終わった。
24チームが参加する今大会はグループ3位になっても、6チーム中上位4チームに入れば、決勝トーナメントに進出できる。
クロアチア代表は勝点2でグループBの3位だったが、この日の結果、3位グループの5位以下が確定し、敗退が決まった。
39歳ロナウドが1位じゃない!EURO2024に出場する38歳オーバーの鉄人6人
38歳ルカ・モドリッチは昨日のイタリア戦に引き分けた後、代表引退については明言を避けたが、今後の動向が注目されそうだ。
2024年06月26日 06:10
元日本代表DFの内田篤人氏がMCを務めるDAZNの『内田篤人のFOOTBALL TIME』に、ボルシアMGに所属する福田師王がゲスト出演した。
2024年06月26日 06:10
57歳にして現役としてプレーするカズこと三浦知良。
横浜FCからポルトガル2部オリヴェイレンセへのローン移籍が終了した彼の新天地は、JFLのアトレチコ鈴鹿クラブに決まった。カズは2022年にもプレーした同クラブに横浜FCから再ローンで加入する。
そのカズはSNSを通じて、オリヴェイレンセに感謝のメッセージを送った。
「ポルトガルにいた1年半の間、チームメイト、スタッフ、そして私を支えてくれた全ての人に感謝します。
多くの試合に出場できなかったことには悔しさを感じますが、ポルトガルサッカーとポルトガルの文化を学んだ経験は、自分の人生にとって本当に財産となりました。
自分の強みをここでの経験に変えるために戦い続け、成功の知らせを皆さんと分かち合いたいと思います。グッドラック」
カズの移籍は「57歳の世界最年長プロ選手が現役続行」として、世界各国のメディアで伝えられている。『ESPN』も、「世界最年長選手の“キングカズ”が57歳で新クラブ加入」と取り上げていた。
また、香川真司もこの知らせに反応し、カズとの2ショットをSNSに投稿! この投稿をInstagramで見る Shinji Kagawa 香川真司(@sk23.10)がシェアした投稿
「The King of Japan カズさんの新たなチャレンジ楽しみです!いつも最高の刺激とアドバイスありがとうございます!」
カズも…日本代表「W杯で“サプライズ落選”」した悲劇の7名
この投稿には南野拓実もハートの絵文字で反応していた。
2024年06月26日 06:08
EURO2024・グループC第3節が25日に行われ、デンマーク代表とセルビア代表が対戦した。
グループCの戦いもいよいよ最終節に突入。デンマーク代表は、初陣のスロベニア代表戦は“エース”のクリスティアン・エリクセンの得点で先手を取るも、終盤に同点ゴールを許して1−1でタイムアップ。続くイングランド代表戦は、先制を許しながらもモルテン・ヒュルマンドのゴールでドローに持ち込み、“スリーライオンズ”から勝ち点をもぎ取った。前回大会でベスト4まで進んだチームが、グループステージで負けるわけにはいかない。
対するセルビア代表は16日に行われた初陣で、“優勝候補”と謳われるイングランド代表相手に互角と言えるような戦いを見せながら、0−1で敗れて黒星スタートに。続くスロベニア代表との一戦では、後半アディショナルタイムまで1点をリードされながら、最後の最後に“伏兵”ルカ・ヨヴィッチが同点ゴールを挙げ、なんとか勝ち点を拾った。グループステージ突破のためには、最終節で大会初勝利を飾る必要がある。
デンマーク代表を率いるカスパー・ヒュルマンド監督は、キャプテンのGKカスパー・シュマイケルを筆頭に、アンドレアス・クリステンセン、エリクセン、ラスムス・ホイルンドとスタートから盤石の布陣を並べた。一方で、セルビア代表を率いるドラガン・ストイコヴィッチ監督は、“主砲”のアレクサンダル・ミトロヴィッチを最前線の置きながら、ドゥシャン・ヴラホヴィッチやドゥシャン・タディッチらをベンチからのスタートとさせた。
試合は立ち上がりからデンマーク代表がボールを握る展開となり、セルビア代表としては我慢の時間が続く。16分には左サイドで顔を上げたヨアキム・メーレのクロスボールから、アレクサンダー・バーがヘディングシュートを狙ったが、ここは枠の外へ。続く21分には敵陣でのボール奪取から、エリクセンがミドルシュートを放つも、ここはGKプレドラグ・ライコヴィッチに阻まれた。
このプレーからデンマーク代表のコーナーキックが続くと、エリクセンの蹴った右コーナーキックをGKライコヴィッチがキャッチしたままゴールラインを越えたが、直前にヨーナス・ヴィンドのファウルがあったため得点とはならず。32分にはボックス右で顔を上げたホイルンドが左足を振り抜いたが、ここも仕留め切ることはできなかった。
後半に入る前、両監督が動く。デンマーク代表はヴィンドに代えてアンドレアス・スコフ・オルセン、セルビア代表はネマニャ・グデリとラザール・サマルジッチを下げて、タディッチとヨヴィッチを投入した。
すると早速そのヨヴィッチが大仕事を果たす。53分、セルビア代表はピッチ中央付近でボールを奪ったところから一気にスピードアップ。タディッチがスルーーパスを送ると、抜け出したヨヴィッチのシュートはGKシュマイケルに阻まれたが、こぼれ球を中央へ折り返し、これがオウンゴールを誘発。セルビア代表が先手を取ったかに思えたが、ここはヨヴィッチのポジションがオフサイドだったため得点は認められない。
対するデンマーク代表はホイルンドがフィニッシュまで持ち込むシーンを作り、65分には右コーナーキックから決定機。エリクセンの蹴ったボールがボックス中央で頭1つ抜け出したヤニク・ヴェステルゴーアの頭にピタリと合ったが、強烈なヘディングシュートはわずかに枠を外れた。
終盤に入っても激戦が繰り広げられたが、両チームともにゴールネットを揺らすことはなく、試合はこのままタイムアップ。この結果、デンマーク代表は他会場で試合を終えたスロベニア代表と勝ち点、当該チーム間の成績、得失点差、総得点、さらにフェアプレーポイントまで並ぶ結果となったが、EURO2024予選の総合ランキングで上回ったことで、2位に入ることが確定。ただし、決勝トーナメント1回戦の対戦相手は開催国のドイツ代表となった。一方で、セルビア代表は勝ち点は「2」で敗退が確定した。
この後、決勝トーナメントの戦いは29日よりスタートする。
【スコア】
デンマーク代表 0−0 セルビア代表
【得点者】
なし
2024年06月26日 06:08
EURO2024・グループC第3節が25日に行われ、イングランド代表とスロベニア代表が対戦した。
大会前から“優勝候補”と謳われながら、なかなか調子の上がってこないイングランド代表。16日に行われた初陣は、10番を背負うジュード・ベリンガムのゴールで序盤に先手を取ったものの、その後追加点を挙げるには至らず、セルビア代表に1−0と辛勝。続く20日のデンマーク代表戦は、“エース”のハリー・ケインが先制点を挙げながら、34分に追いつかれ、1−1のドローでタイムアップ。他グループの結果を反映させた3位通過の条件により、既に決勝トーナメント進出こそ決めているものの、なかなか前評判通りの戦いぶりを見せられていない。
対するスロベニア代表は、16日の初陣でデンマーク代表との試合を1−1で終え、1ポイントを分け合うと、続くセルビア代表戦では後半アディショナルタイムまでリードを奪いながら、最後に失点を喫し、またも1−1のドローでタイムアップ。ここまで2つの引き分けで勝ち点「2」を獲得しており、決勝トーナメント進出を自力で決めるためにも“スリーライオンズ”相手にサプライズを起こしたい。
グループステージ最終戦に向けて、イングランド代表を率いるガレス・サウスゲート監督はデンマーク代表戦からスターティングメンバー1名を変更。2試合連続中盤起用されていたトレント・アレクサンダー・アーノルドに代わって、コナー・ギャラガーが先発に入った。一方、スロベニア代表はセルビア代表戦と同じ11名の顔ぶれがスタメンに並び、GKヤン・オブラクやベンヤミン・シェシュコらが先発に名を連ねた。
試合はキックオフ直後からイングランド代表がボールを保持する時間が続いたものの、イージーミスも目立ち、なかなかリズム良く前進ができない。チャンスの数を増やせないまま時計の針が進む。
一方で、スロベニア代表は両サイドで数的優位を作りながらスペースを作り出し、クロスボールを起点にゴールを目指す。だが、ゴール前のシェシュコに合う場面は限定的で、フィニッシュまで持ち込むことはできない。
このような様相で迎えた21分、イングランド代表は左サイド深い位置を取ったフィル・フォーデンがマイナスへ繋ぐと、フォローしたキーラン・トリッピアーが中央へ鋭いパスを送る。ライスとのコンビネーションでフォーデンがボックス左のスペースに侵入し、ダイレクトで中央へ折り返すと、ファーサイドへ詰めていたブカヨ・サカが押し込んだが、ここはフォーデンのポジションがオフサイドだったため得点は認められない。
イングランド代表はベリンガムやフォーデン、さらにはトリッピアーのキックの質などをうまく活かしながらゴールに迫る場面を作りながらも、決め手を欠き、前半はスコアレスで終了する。
後半に入ると、サウスゲート監督が動く。ギャラガーに代えてコビー・メイヌーをピッチへ送り出した。後半も立ち上がりはイングランド代表が押し込む時間となり、両サイドを起点としながらポケットを攻略するシーンが目立つが、スロベニア代表の守備陣も最後の最後に体を投げ出す守備で決定的な仕事をやらせない。
60分ごろまではイングランド代表がスロベニア代表を敵陣へ“閉じ込める”時間に。それでも均衡を破れずにいると、63分にはアダム・グネズダ・チェリンがミドルシュートを放つなど、スロベニア代表も徐々に攻撃のシーンも作れるようになる。
なんとか先手を取りたいイングランド代表は71分、サカを交代させることを決断。代わって送り出されたのはコール・パルマー。チェルシーで充実のシーズンを送ったアタッカーが今大会初出場を果たすも、なかなか相手ゴールをこじ開けることはできない。75分にはうまくボックス左のスペースへ侵入したデクラン・ライスが右足を振り抜いたが、シュートは枠を外れる。
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2024年06月26日 05:50
ガンバ大阪は、7月にレアル・ソシエダとの親善試合をパナソニックスタジアム吹田で行うと発表した。
2024年06月26日 05:30
6月25日、J2の横浜FCからJFLのアトレチコ鈴鹿クラブへの期限付き移籍が発表された三浦知良が、国立競技場で記者会見を実施した。契約期間は来月7月1日から2025年1月31日までとなっている。
また、現役時代には京都パープルサンガ(現:京都サンガF.C.)やヴィッセル神戸でカズと共にプレーしたパク・カンジョの新監督就任も発表され、会見に同席した。
パク・カンジョ監督は「カズさんという大尊敬している選手が加わるというのも、監督就任の決め手の一つになりました」と述べ、以下のように意気込みを語った。
「監督としてはまず、チームが勝つことが大事だと思っています。ただ、私はカズさんが活きることによって、勝てるとも考えています。なので、チームもカズさんも活きるという場面を作り出せるように頑張っていきたいです」
【画像】“11”のトレーニングウェアで練習するカズ
そして、カズの起用法については「まずはカズさんや他の選手のコンディションを見させてもらって、どのような形で使っていくか決めたいと思っています」としながらも、現段階でのプランを明かした。
「基本的には最前線の位置を考えています。もちろん試合の展開によっては少し下がって、ゲームを落ち着かせてほしいというのもあります。ただ、優先順位が高いのは頂点のポジションですね」
再共演する二人は、チームに勝利をもたらせるか。
取材・文●中川翼(サッカーダイジェストWeb編集部)
2024年06月26日 05:27
アストン・ビラ・ウィメンで活躍するスイス女子代表MF、アリシャ・レーマンが公式インスタグラムを更新。SNSフォロワー数が1664万を数え、英国メディアから“世界一セクシーなフットボーラー”に認定された25歳はいま、コパ・アメリカが開催されているアメリカに滞在しているようだ。
【PHOTO】SNSフォロワー数が1660万超! スイス女子代表のブロンド美女、アリシャ・レーマンが魅せる厳選ショット集をお届け!
昨年の女子ワールドカップにも出場した実力派アタッカーは、先週から米西海岸入りし、ラスベガスやロサンゼルスでの観光やビーチで日光浴を楽しむ様子などを紹介していた。だが今回、渡航の真の目的が明らかに。コパ・アメリカを戦うブラジル代表のメンバーに選ばれた恋人、ドグラス・ルイスの応援に駆けつけていたのだ。レーマンは現地6月24日にロサンゼルスで行なわれたブラジルvsコスタリカ戦の会場に登場。試合前に「いつだってあなたをサポートするわ。愛している」と綴った。
投稿された画像も話題だ。ピアスをしたおヘソが丸出しで、短くカットされた青いブラジル代表の特製Tシャツに、ベルボトムのデニムを合わせた斬新なコーデ。お洒落自慢のレーマンらしい出で立ちで、フォロワーからは「めちゃくちゃ美人だ」「女神が舞い降りた」「絶大なインパクト」「ルイスが羨ましい」「オーマイガッ!」「完璧なスタイルだ」など、2700件を超えるコメントが寄せられている。
ちなみに試合はブラジルが終始攻め立てたがスコアレスドローで終了。ルイスに出番は訪れず、レーマンにとっては肩透かしの一戦となった。
ド派手なカップルは2019年に交際をスタートさせたものの、2022年に一度は破局。それが昨年末になって復縁を果たして英タブロイド紙で大きなニュースとなった。現在もふたり揃ってアストン・ビラに所属しているが、この夏の移籍市場で仲良くユベントスに電撃移籍するのではないかと注目されている。
構成●サッカーダイジェストWeb編集部
2024年06月26日 05:26
「アーリー・スカンスはまさに『日体大のハンス・オフト』でした」と川合慶太郎(48歳)は振り返る。
1992年から93年まで、日本代表を指揮したオフトは「アイコンタクト」「トライアングル」「スリーライン」「スモール・フィールド(コンパクト)」といった平易な言葉を用いて、日本人のサッカー理解度を高めた。
【PHOTO】「美人すぎる」「可愛すぎる」C・ロナウド、メッシ、ネイマールらワールドクラスの華麗なる妻&恋人たちを一挙紹介!
スカンスも、それまでの「頑張れ、走れ」という日本体育大学のサッカーをゼロから作り変えて「ボールを繋ぐサッカー」に変えた。4-3-3システムなら、最初は各ラインの約束事を決めることからスタートした。
「本当に目から鱗が落ちるようなことばかりでした。当時は『ボールを持っている選手が次のプレーを決める』と信じていました。しかし、アーリーは『受け手がボールを呼ぶことで次のプレーを決めるんだ』と教えてくれたんです」
つまり「コミュニケーション」だった。
大学3年から4年にかけて、スカンスの身の回りを世話し、「オランダには芝生のピッチがたくさんあって、放課後は子どもたちがそこでサッカーするんだ」などとサッカー事情や国のこととかを聞き続けた川合は卒業した98年、オランダに飛んで1年暮らした。
そこではGVVVというクラブでプレーしたり、子どもたちを指導する手伝いをしたりした。社会人や学生で構成されるアマチュアクラブということもあり、練習は週に2〜3回だった。・
日本では「あそこの大学に行け」「就職しろ」「早く結婚しろ」などと慌ただしく急かされた。しかし、オランダに来ると「たかだか22歳、23歳で何言っているの⁉ 急いで将来のことを考えなくてもいい。お前が決めたことをやればいい。そのことを周りも別に何も言わないし尊重する」と諭された。
「サッカー云々でなく、オランダにずっと住みたいと思った。ここは本当に人生がスローダウンしていいんだと感じました」
サッカーも勉強も、子どもたちが自分のレベルに合わせていることも、川合にとっては新鮮だった。小学生の頃の彼は体力がなく、そのため授業を聞く集中力が持たず、勉強も運動も苦手だった。しかし、オランダでは子どもが留年するのは当たり前。サッカーも身体の小さな子は、必要であれば下のカテゴリーでプレーさせる。
「オランダに来てからから分かったのは、僕は成長期が遅かっただけ。中学に上がったら体力が付いて、急に勉強もスポーツもできるようになった。しかし、小学生の時の僕は本当に辛かった。オランダでは勉強もスポーツも、自分に合ったところで真剣勝負できる。身体が大きな子にとっても、小さな子にとっても、同じ年齢のチームでプレーしたらつまらないですよね。将来産まれてくる子どもに『自分と同じ思いをさせたくない』と思って、オランダに住むことを決めました」
一度、日本に戻ってビザを準備して、川合は1999年12月から本格的にオランダに住み始めた。すると「日本人学校の運動会に行っても面白くない。子どもたちが走って転ぶことすらない」という話を聞いた。当時の日本人の子たちは運動する機会がまったくなく、足が絡まって転がるほど全力で走ることができなかったのだという。放課後も子どもたちはとにかく怪我や病気をさせないと守られていたので、外で遊ぶこともできなかった。
「子どもたちに運動する機会を作ってほしい」との強い要望があり、大使館や日本人学校からもサポートを受け、2001年、小学校低学年向けサッカークラブ、Jドリームが発足した。
最初から屋外で活動するのはハードルが高すぎて、体育館で活動することから始めた。
「まったく運動のできない子どもたちにボールをいきなり与えると、ボールが扱えないから運動の負荷が減ってしまう。だから鬼ごっこ、でんぐり返し、側転とか、ともかく運動量を重視した。だけど彼らは元々運動神経が悪かったわけではなく、運動する機会がなかっただけだった。子どもは覚えるのが早いからサッカーもすぐに覚えた」
そのうち高学年の子どもたちも「自分もサッカーしたい」と言い出し、メンバーが40人くらいになった。体育館では手狭になったため、川合は自身がプレーしていたRKAVICというクラブに頼んで、日曜日の朝をJドリームのトレーニングに使えるようにした。
「子どもたちが運動できるようになってくると、やっぱり試合をしてオランダ人と交流させてあげたかった」
今度は父親たちが「我々もサッカーをしたい」と言いだした。こうして06年に発足したのがU-50チーム(現在は“ONEチーム”)だ。オランダらしく、ポジションをしっかり取りながらインサイドキックでしっかりパスを繋ぐサッカーは、それまでプレーしたことのなかった人にとっても馴染みやすいものだった。
また「なんで、あそこでパスを出さないんだ!」などと叱り飛ばしていたお父さんたちも、自身がプレーすることによってその難しさ、その深さを知り、家に帰ってから親子でキチンとしたサッカー談義をするようになった。U-50チームのお父さんたちは、週末の子どもたちのトレーニングのサポートコーチとしても活躍している。
2010年に会社を辞めたことで、川合はJドリームの活動一本に絞った。そしてレイモンド・フェルハイエンの「ワールド・フットボールアカデミー(現在は『フットボール・コーチ・エボリューション』)」の日本担当としてセミナーを開いたり、日本のチームのオランダ遠征を手伝ったりしている。
「当時から私は、子どもたちが試合だけするとか、大会に参加する遠征に疑問を感じています。だからカレン・ロバートさんが運営しているローヴァーズのように、知り合いから頼まれたときだけ、お手伝いしています。子どもたちや、コーチたちのサッカー人生は遠征後も続くわけです。そこに私も貢献できるようお手伝いさせてもらっています。
ローヴァーズには、最初に試合をしてもらってコーチと一緒に分析し、その後のトレーニング計画作りを話し合い、最終日前に試合をして帰国後につなげるための評価トレーニングをして終わり――という流れにしています」
ローヴァーズのアムステルダム観光では「カレンさん、たっての頼みで1時間だけ、子どもたちの自由時間を設けているんです」(川合)という。みんなでヨハン・クライフ・アレーナに寄ってから、アムステルダムの中心街に行ってひと通り見どころを紹介して、それから子どもたちが3、4人のグループに分かれて1時間自由に動く。困ったときにはダム広場に戻ってくる約束だ。
“アムステルダムの自由行動1時間”への思いをカレンはこう語る。
「楽しむことはもちろんですが、『不便を経験してほしい』ということ、『外から日本を見てほしい』ということ、『夢を叶えるためには、サッカーがうまいだけではダメ』ということをこの1時間で理解してほしいと思っています」
24歳でオランダに住み始めた川合は今48歳。人生の半分をオランダで過ごしている。
「そこでちょっと思うことがあった。僕みたいな思いをさせたくなかったから、2人の息子をオランダで育てたかった。去年、次男が成人したので子育てが終わり、ここで夢がひとつ叶った。こういう仕事をしているからサッカー選手と知り合う機会が多い。息子たちが一番難しい時期に本田圭佑さんや吉田麻也さんがいろいろ言ってくれた。彼らは塾などには一切行かずサッカーばっかりしていたが、それでもオランダでは優秀と言われる大学に進んだ。僕はサッカー、母はピアノと自分たちのことで精一杯だったけど、子どもたちはオランダという国とオランダの学校とサッカー選手たちに育ててもらった。この先、どこでも生活していけるでしょう」
Jドリームが発足してから23年。かつての「子たち」のなかには親になった者もいる。日本に帰った子たちも、川合を頼って会いに来てくれる。
「彼らのなかから駐在員としてオランダに帰ってくる子が出てくるのも時間の問題でしょう」
コロナの後、オランダに住んでいる日本人の子どもたちはまた塾や習い事、土曜日の補習校と時間に追われるようになってしまった。そんな子どもたちをもう一度、笑顔が溢れる元気にするのが、これからの川合の夢だ。
在オランダ日本人の子どもたちの運動不足解消を目的に、2001年に発足したJドリームは、サッカーをするあまりの環境の良さに父親たちの「私たちもサッカーをしたい」という声の高まりによって、06年にU-50チーム(現在のONEチーム)が生まれた。30代、40代がメインだが、なかには20代の若い選手、60代のオーバーエイジもいる。
アムステルフェーン市のアマチュアクラブ、RKAVICの施設で練習を終えると、彼らはクラブハウスでビールを飲みながら歓談する。トレーニングのこと、今度の試合のこと、オランダサッカーのこと、子どもの学校のこと、家族旅行のこと――。話題は尽きない。
U-50チーム立ち上げ時、彼らから「現地のスタッフが仕事をしないから、私がたくさん働かないといけない。彼らとのコミュニケーションがうまく取れないんです」という愚痴がこぼれた。Jドリームの代表を務める川合は当時、現地採用のスタッフとして日系企業で働いていた。
「私は現地のスタッフとコミュニケーションを取りながら働いています。駐在員の方が英語も仕事もできるはずなのに、それはなぜでしょう?」
すると、「川合さんはサッカーができるからでは?」という話が出た。GVVVやRKAVICというオランダのアマチュアクラブでプレーしていた川合は、現地の人たちと上手くコミュニケーションを取ることができたのだ。
「分かりました。Jドリームで在オランダ日系企業対抗サッカー大会を作りますから、皆さん、チームのキャプテンとして同僚の人たちに『こういう大会があるから、会社のみんなで参加しようぜ』と呼びかけてください」
07年、第1回Jドリームカップが成功裡に終わると「サッカーを通じて、我々駐在員と、現地スタッフのコミュニケーションがスムーズになりました」という嬉しい言葉が聞こえてきた。
「Jドリームカップの第5回大会(2012年)は、記念大会としてデカいイベントをしよう」と川合は、オランダ代表OBチームを招いてエキシビションマッチを催すことを考え、当時のRKAVICチェアマンと共にエドワード・デ・クー(日蘭サッカーコーディネーター)の力も借りてオランダの関係者と根回ししていた。ところが2011年3月11日、東日本大震災が起こった。
オランダ代表OBマッチで話を進めていた川合たちは、「来年、Jドリームカップの5周年とか言っている暇はない。こういうのはスピードが大事。今やるぞ」と話し合い、ペーター・ボス(元ジェフ千葉)、アルフレッド・ネイハイス(元浦和レッズ)、テド・ファン・レーウヴェン(オランダ複数クラブのTDとして日本人選手を獲得した)ら日本サッカーにルーツのある方々の賛同、協力を得て、チャリティーマッチを4月13日、オランダで開催することにした。
場所はアムステルダム・アレーナ(現ヨハン・クライフ・アレーナ)。チームはアヤックス。しかし、日本から招待するチームがなかなか決まらなかった。Jリーグのクラブもチャリティーマッチに行きたかったものの「日本が大変で自粛ムードのなか、今、オランダに行ったら叩かれる」と恐れていた。
「対戦チームを探すのが一番大変だったんです。断られてばかりのなか、清水エスパルスだけ、幹部の方が『オランダの人たちが日本のために働いて寄付をしてくれるのに、なんで行かないんだ。うちは行くぞ』と言って、来るのを決めてくれました」
本当はアヤックス対清水エスパルスの試合だけだった。しかし、オランダサイドがより積極的に動いてくれて、前半はコンサート、後半はサッカーという2本立てのイベントになった。コンサートに参加してくれたミュージシャンの一つが、オランダではスーパースターのデ・トッパーズだった。
「オランダでは有名な歌手たちがテレビで一曲歌うと、『寄付しろよ』と言い続けてくれたんです。だから、音楽経由の寄付もスゴかったんですよ」
アヤックス対清水エスパルスは3万8000枚のチケットが売れ、7億円以上の募金が集まり、68か国で中継された。
「これを3週間でやり遂げたんです。スピードがあったからこそ募金があれだけ集まったんだと思います」
オランダ人のチャリティーへの熱意は有名だ。あのときもアムステルダム・アレーナに支払ったのは警備員や売店の店員の人件費、光熱費だけ。移動、宿泊なども多くの企業が負担してくれた。Jドリームの子どもたちも、ボールボーイやエスコートキッズで試合をサポートした。
今年もJドリームカップは9月1日、23社24チームが参加してRKAVICで開催される。 Jドリームカップは日本大使館、アムステルフェーン市、多くの企業がスポンサードしている。
この大会には裏のテーマもある。それはJドリームカップに関わったメンバーたちが、帰任して日本で再び働くようになっても、オランダのサッカー文化を忘れないで日本サッカーに貢献してほしいということ。その文化とは、企業がサッカーに対して熱心なこと。
「皆さん、日本に戻ったらどのような形でもいいから、会社としてなにかサッカーに関わることができないか、考えて行動してみてください」
川合はU-50チームのメンバーにそう言い続けている。
<文中敬称略>
取材・文●中田 徹