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2026年03月04日 05:01
「第34回燦燦会」が3日、都内ホテルで開催され、巨人の山口寿一オーナー(68)、阿部慎之助監督(46)をはじめ、首脳陣、選手らが出席した。 同会は昨年6月に逝去した長嶋茂雄氏が監督に復帰した93年に、当時の背番号33にちなんで発足。冒頭では長嶋氏への黙とうがささげられた。 山口オーナーは「岡本和真がメジャーに行って大丈夫かと心配されていると思いますが、大丈夫です。チームの柱がいなくなった時は必ず誰かが活躍して優勝争いを演じてきた」と新外国人ダルベック、2年目の石塚らの名前を挙げ新戦力の出現に期待を寄せた。 阿部監督もあいさつを行い、長嶋氏が引退スピーチで「前進」の言葉を口にしていた縁をかみしめ「岡本が抜けてチームはピンチですが、必ずチャンスに変えて、チーム一同、前進あるのみで今シーズン全員でゴールできるよういたします」と力強くV奪還を宣言した。
2026年03月04日 08:00
広島・辻大雅投手(21)が新たなデザインのグラブでプロ4年目のシーズンを戦う。試合用、練習用のグラブに刻まれた「ちび」の刺しゅう。中継ぎに再転向することが決定した左腕が、2文字に込めた思いを明かした。
今季から辻のグラブには特別な思いが込められている。練習用グラブは親指付近の外側に、試合用グラブは平裏(手のひら側)に昨季から大切にする言葉「気合と根性」に加え、新たに「ちび」の2文字が加わった。「実家で一緒に住んでいた猫の名前なんです。色は黒で喉元あたりが白い。手も白くて手袋を履いてるみたいでめっちゃかわいいんです」と、いとおしそうに特徴を教えてくれた。
出合いは辻が小学生の時だった。母が夕食の野菜炒めを作る音に混じって、聞こえたのは小さな鳴き声。外をのぞくと、そこには手のひらサイズの小さな子猫がいた。「確か数日後が大雨の予報で。それで心配になって餌でつって家の中に誘導しました」。猫好きな母の後押しもあり、そのまま家族の一員となった。
昨年7月に辻が支配下登録を勝ち取り、1軍戦がテレビ中継されるようになると、ちびは不思議な行動を見せた。辻がマウンドに上がるタイミングに合わせ、まるで分かっているかのようにテレビのある部屋へ移動。じっと投球を見守っていたという。誰よりも辻の晴れ舞台を見守り続けてくれた、かけがえのない相棒だった。
別れは昨秋のフェニックス・リーグ期間中に訪れる。体調を崩していたちびは静かに息を引き取った。「最後は家族全員に見守られながら亡くなったんでちびも幸せだったんじゃないかなと」。宮崎にいた辻は、最期を見届けられなかったが後悔はない。
その昨秋から先発に挑戦していたが、再び中継ぎに戻ることが決定した。先発挑戦にあたり、左打者へのチェンジアップを猛練習。「先発をやって生かされることもたくさんあると思う。不安は全くないです」とチームのために全力で腕を振る準備を進めている。
今春は対外試合4試合で全て中継ぎ登板。計4回2/3を1失点と好調をキープ。黒原、滝田と左腕が相次いで手術を受け、貴重な左腕としてフル回転が期待される。「中継ぎは1イニングなんで、ドーンと勢いよくいけばいい。全て勝負球だと思って全力でいきたいです。ちびも応援してくれていると思うので」と辻。応援する場所を画面越しからグラブという“特等席”に移したちび。相棒とともにマウンドで躍動する。
◆辻 大雅(つじ・たいが)2004年8月29日生まれ、21歳。神奈川県出身。182センチ、88キロ。左投げ左打ち、投手。二松学舎大付高から22年度育成ドラフト3位で広島入団。25年7月28日に支配下登録。同年8月2日・中日戦(マツダ)でプロ初登板。同年は16試合に登板し、0勝0敗0セーブ、防御率1.13。背番号は98。年俸800万円(金額は推定)。
2026年03月04日 08:00
「WBC東京プール presented by ディップ 強化試合、侍ジャパン5−4阪神」(3日、京セラドーム大阪)
阪神が3日、京セラドームで侍ジャパンとの強化試合に臨み、4−5で敗れた。序盤から劣勢を強いられた中、存在感を示したのがドラフト3位・岡城快生外野手(22)=筑波大=だった。八回1死一、三塁から、対外試合初安打で初打点をマークしてアピール。チームとしてもこの回一挙4得点。デイリースポーツ評論家の谷佳知氏は「左翼争いに岡城が割って入っていければ面白い」と評価した。
◇ ◇
ドラフト3位のルーキー岡城にとっては、今後への大きな自信となる一本になったのではないか。八回1死一、三塁で、初対戦の仲地に対しておそらく、初球から振っていこうと決めて打席に入っていたのだと思う。内側に入ってくる真っすぐで簡単な球ではなかったが、しっかりと振り切って左翼線に落とした。思い切りの良さが出た適時打だった。
新人選手やまだ実績がない若手選手はこうやって一つ一つ結果を積み重ねて、監督、コーチの信頼を得ていくしかないし、実際にいいアピールになったはずだ。佐藤輝、森下がWBC出場で不在の間、オープン戦でチャンスをもらえる可能性が広がったと思う。左翼のポジションは空いているし、そこに岡城が割って入っていければ面白い。
先発の伊藤将は緩急という持ち味が十分に出ていた。大谷への初球、緩いカーブで入っていって一ゴロに仕留めた。その後の近藤、村上、吉田という左打者3人をいずれも一ゴロに打ち取ったが、プレーボール直後のカーブが頭にあったからだろう、みんな対応が少し遅れていた。緩い球を意識させることで打者を惑わせる。伊藤将の真骨頂とも言える投球だった。
大谷は内野ゴロ二つに終わったが、タイミングはしっかり取れていた。あくまで1打席、1打席が調整。本番になったらガラッと変わると思う。
2026年03月04日 08:00
広島のドラフト3位・勝田成内野手(22)=近大=が3日、地元凱旋で開幕1軍入りへアピールすると意気込んだ。チームは4日に京セラドームでオリックス戦に臨む。大阪生まれで大阪育ち。憧れていたグラウンドで、大きな快音を響かせてみせる。
憧れていたグラウンドに、勝田が初めて立つ。京セラドームは幼少期に何度も足を運んだ球場だ。「無料券みたいなのがあったので、よく見に行っていた。広いイメージがあった」。思い出が詰まった“聖地”にプロとして戻る。成長した姿を見せる決意だ。
観戦経験は豊富だが、プレー経験はない。「やってみたかった球場でもあるので楽しみ」と声をはずませた。当日は家族や親戚が一堂に会する予定で、モチベーションを高める大きな要素だ。
目指す「開幕1軍」を、不動のものにしたい。オープン戦は5試合に出場し17打数7安打、打率・412。力強く引っ張っての三塁打や、外角球に対してコースに逆らわない左前打など、広角に打ち分ける打撃が光る。
パワーを武器とする外国人投手への対応にも優れる。「球が重いというのはあったんですけど、何打席か立つにつれて目は慣れてきた」。初めて対戦する投手は事前に多くのデータを頭に入れて打席に立つ。すぐさま順応し、自分のスイングを貫ける点は頼もしい。
小園がWBC出場のため不在。矢野は2軍で汗を流す。出場機会が多くなるルーキーにとっては、今が最大のチャンスでもある。「この調子のままを維持して、シーズンでもしっかりと結果を出せるように頑張りたい」。地元・大阪で、開幕1軍切符を手繰り寄せる。
2026年03月04日 08:00
3月5日ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)2026が開幕する。
2026年03月04日 07:55
オスナにネット驚き「マジで誰」
激変した守護神が話題になっている。ソフトバンクのロベルト・オスナ投手は3日、本拠地みずほPayPayドームで行われたヤクルトとのオープン戦に7回から登板。1回を無失点に抑えた。ネットでは体型と風貌の変化に注目。「痩せたなあオスナ」「痩せてるし髭生えたしマジで誰」と驚きの声が上がった。
オスナは1点ビハインドの7回に登板。安打と四球、捕逸もあり無死二、三塁のピンチを招いたが、そこからギアを上げた。伊藤をバットを折り投ゴロ、続く武岡を一ゴロ、最後は岩田を直球勝負で空振り三振に仕留めた。最速は154キロだった。
2023年からソフトバンクに加入した右腕は同年は49登板で26セーブ、12ホールド、防御率0.92と圧倒的な成績を残したが、直近2年は不調。昨年は26登板で防御率4.15にとどまり、シーズン途中には守護神の座を杉山一樹投手に明け渡した。後半は怪我にも苦しんだ。
久々の実戦でファンが注目したのはその体格だった。昨年よりすっきりしたようにもみえ、髭も伸びていた。SNSでは「びっくりするぐらい別人なった笑 痩せすぎやろ笑」「オスナめっちゃ絞ったな」といったコメントが寄せられた。(Full-Count編集部)
2026年03月04日 07:40
元西武の川野涼太氏の第2の人生
「野球が嫌いになった」――。苦しみ続けた6年間だった。元西武の川野涼太氏はかつて“松井稼頭央2世”と期待され、九州学院高から2019年ドラフト4位で入団した。両打の内野手として将来を嘱望されたものの、プロの壁に阻まれ昨年現役を引退した。
1軍の舞台に立ったのは2022年の5試合のみ。出場機会を増やすことはできず、2023年オフに戦力外通告を受けた。育成契約を結び、背番号3桁から再出発。それでも、状況は大きく変わらなかった。
「2023年はA班キャンプスタートで、オープン戦も1軍にいたんですけど、開幕前に2軍に落ちて、そのまま3軍まで落ちてしまった。そこから夏あたりまでずっと上がれなくて。チームには間違いなく貢献できていなかったので『もう首を切られるだろうな』っていうのは正直ありました」
結果がすべての世界。食事やトレーニングを見直し、必死にもがいた。それでも、光は見えなかった。
「野球から離れて自宅に帰ったときとか『どうしよう』と考えてしまいました。でも、考えれば考えるほどドツボにはまっていくなと思ったので、プロ野球選手なら、今は目の前のことに集中して、余計なことは考えないようにしていました」
育成契約になった後、大きな決断を下した。何かを変えなければと、両打ちから打率の良かった右打ちに専念。2025年には登録名を「川野涼多」から「川野涼太」を変更した。何かを変えなければという一心だった。だが、支配下に復帰することはできず、2025年オフに2度目の戦力外通告を受けた。支配下期限直後に悟った「今年でだめかな」
「支配下登録期限の7月31日を過ぎた時に『今年でだめかな』というのはありました。結果を出せなければ首を切られる世界です。他球団を見ても『なんでこの人が戦力外になるんだろう』という人がたくさんいる。何年も置いてくれるほど甘い世界ではないと思っていました」
戦力外通告後、社会人チームなどからオファーはあったが「やるならNPBでやりたい」という気持ちが強く、断りを入れた。NPBでプレーできないのであれば、現役を引退しようと決めていた。順風満帆だった野球人生は、プロ入り後に大きく変わった。
「野球が嫌いになってしまい、野球から離れたいと思いました。プロに入るまでは、自分が思う通りの野球人生だった。でも、プロに入ってからは上手くいかなくて……。好きだった野球が、徐々に嫌いになっていきました」
野球しかしてこなかった人生。引退後、何をすべきか分からなかった。そんな時、ライオンズアカデミーのコーチの打診があった。子どもが好きで、教えることも好き。その思いが背中を押した。
「声をかけていただいたときは嬉しかったです。小中学生に、自分が学んできたことを教えたいと思いました」
そして今、何より強く願うことがある。
「子どもたちに、僕みたいに野球を嫌いになってほしくないんです。野球を好きでいることが一番のモチベーションだと思うので、楽しい練習環境づくりを心掛けています」
結果を求められ続けたプロ野球人生。その中で一度は失いかけた「野球が好き」という気持ち。だが今、川野氏は子どもたちの笑顔とともに、再び野球と向き合っている。(篠崎有理枝 / Yurie Shinozaki)
2026年03月04日 07:30
元近鉄・太田氏が苦しんだ右肩痛との戦い
甲子園で人気を集めた元近鉄ドラフト1位右腕、太田幸司氏(野球評論家)のプロ野球人生は、プロ10年目の1979年10月に右肩痛を発症させてから暗転した。11年目の1980年は14登板(3先発)で0勝4敗、防御率10.66と不本意な成績。それが苦悩の始まりだった。「肩以外は大丈夫だったんですけどね……」。恩師の近鉄・西本幸雄監督が勇退した1981年はわずか1登板(1先発)の0勝1敗に終わった。
1979年10月9日の南海戦(大阪)で5回無失点投球。その試合でマークした通算58勝目となるシーズン7勝目が、太田氏の現役ラスト勝利になるとは、当時は誰も予想できなかったはずだ。その白星後、阪急とのプレーオフに向けての練習スタートの朝に右肩痛を発症。無念のリタイアにはなったものの、治療すれば、また元に戻ると女性ファンをはじめ、誰もが信じていたことだろう。だが、現実は厳しすぎた。
「治療は鍼を打ったり、電気を当てたりとか……。今だったら、機械で見るとかでしょうけど、そういう時代じゃなかったしね。『鍼とかをやっていれば、年を越したら大丈夫だろう、次のキャンプはOK』なんて言われたし、僕もそういうつもりでいたんですけどね」。1980年になって、再び投げられるようにはなった。だが、完全に元には戻らなかった。「自分では同じような球を投げているつもりでも、やっぱり……」。
青森・三沢高時代からの武器の一つでもあった打者の手元でホップする快速球が出る頻度も低くなった。「良かったり、悪かったり。良いのが続かなかった。(右肩痛の影響で)ボールを放す瞬間にピリッとくるようになって、どうしてもちょっと……。(そこをかばう)変な癖もつきはじめた。だから手元でピュっといってなかったんでしょうね」と振り返る。「投げてもカーンと打たれるというのはそういうことだったと思います」。
プロ11年目の1980年は1、2軍を往復しながら0勝4敗。「ちょっと投げたら、またちょっと軽い痛みが出たりとかの繰り返しでしたね」。当時のパ・リーグは前期、後期の2シーズン制。その年の近鉄は後期に優勝したが、太田氏は全く貢献できず「寂しい話でしたわ、これも……」と悔しそうに話す。3勝0敗で1979年に続くリーグ連覇を成し遂げたロッテとのプレーオフも登板なしだった。日本シリーズ後の“消化ゲーム”に登板「そのくらいの立場に下がっていた」
そんな中、2年連続3勝4敗で広島に敗れた日本シリーズでは第6戦(11月1日、広島)に出番があった。0-5の5回から3番手で投げて2回1失点。いきなり先頭の山本浩二外野手に右越え本塁打を浴びたが、動じることなく、許した安打はその1本だけだった。その時点でできることを最大限にやり尽くし「1試合でも日本シリーズで放らせてもらったのは、いい思い出です」と太田氏は話したが、全盛期ならもっと違う登板にもなっていたことだろう。
その年のシーズン最終戦は日本シリーズ後の11月7日の南海戦(大阪)。まさしく“消化ゲーム”に太田氏が先発した。結果は5回0/3、4失点で4敗目。「普通、ローテーションで投げていたら、そんなところでは絶対投げない。もう、そのくらいの立場に下がっていたわけですよ。まぁ、日本シリーズでも投げたし、最後に来シーズンに向けて力を測る意味でも(首脳陣は)投げさせたんじゃないかなぁ」。
しかし、翌1981年も好転することなく、逆に右肩の状態は悪くなった。シーズンのほとんどを2軍で過ごし、1軍登板はわずか1試合。シーズン終盤の9月29日の西武戦(日生)に先発し、2回4失点で敗戦投手になっただけだった。「(右肩の)痛みとの戦いでした。この年は下(2軍)でもそんなに(試合で)投げていないです」と唇を噛んだ。この年限りで恩師の西本監督が勇退。ラストイヤーにまともに働けなかった無念さも重なった。
右肩以外に大きな問題はなかったという。「肘には、ずっと前からネズミ(遊離軟骨)がちょろちょろ、ちょろちょろしていたんです。まぁ、今だったらクリーニング手術をするところでしょうけど、それは長い付き合いで、ごまかしながらでも放れたんですよ。でも肩(痛)は……。ファームで練習しても体力はあるんだけど、ブルペンで投げたら肩がしっくりこない。そんな感じでしたね」。白星が遠いものになった。何とも、もどかしい日々だった。(山口真司 / Shinji Yamaguchi)
2026年03月04日 06:55
ロサンゼルス・ドジャースの佐々木朗希投手(24)が現地時間3日、ガーディアンズとのオープン戦に先発登板。
2026年03月04日 06:50
みずほPayPayドームではオフ期間に改修工事が行われた
ソフトバンクは3日、今季初となる本拠地でのヤクルトとのオープン戦を行った。みずほPayPayドームではオフ期間に新しい人工芝やLEDビジョンの設置、防球ネットの張り替えなど大規模な改修が行われた。9年ぶりとなる人工芝の入れ替えが行われ、“激変”した姿に「芝が綺麗になってる!」「芝めっちゃ綺麗になってる!」と驚きの声が上がっている。
人工芝については、2017年に敷設した既存のものから、新しくミズノ株式会社製の「MS CRAFT BASEBALL TURF(エムエス クラフト ベースボール ターフ)」へ入れ替えられた。新人工芝は芝葉が天然芝に近い形状に加工されたことで、高い耐久性と形状復元性を備えているという。安定したボールの転がりやバウンド性、衝撃吸収性が向上し、選手の足腰への負担軽減と安全性向上が期待される。
またLEDビジョンが外野フェンスに設置され、両翼ポールを結ぶように全長186メートルのリボン型ビジョンが設けられる。さらに防球ネットは既存のものから、高さ21メートルのワイヤー吊り下げ式に変更され、客席からの景色は一変。コカコーラシートのフェンスまで拡充され、より安全性の高いものとなった。
これら全ての設置工事はシーズンオフ中に行われ、この日が“お披露目”の日となった。新しく生まれ変わった本拠地での戦いに、SNS上のファンも「ペイドも芝の貼り替えしてたのね!」「ペイペイすげー色鮮やか」と期待を膨らませている様子だった。(Full-Count編集部)
2026年03月04日 06:45
◆ 加入1年目に80試合出場停止、2年目は全休に
アトランタ・ブレーブスのジュリクソン・プロファー外野手(33)が薬物規定違反により162試合の出場停止処分を受けると現地時間3日、『ESPN』のジェフ・パッサン記者が報じた。
キュラソー出身のプロファーは2012年にMLBデビューを飾り、通算1123試合に出場。オランダ代表としてWBC3大会に参加した実績を持つ。2023年はパドレスで打率.280、24本塁打、85打点、OPS.839とキャリアハイの好成績を記録。初のオールスターゲーム出場、シルバースラッガー賞獲得を果たしていた。
昨季から3年総額4200万ドルの契約でブレーブスに加入するも、開幕直後の3月31日にパフォーマンス向上物質の陽性反応を示し、80試合の出場停止。復帰後は80試合に出場して打率.245、14本塁打、OPS.787という成績だった。
キャリア2度目の違反により出場停止処分は162試合に増え、今季年俸1500万ドルは全額没収に。開幕を控えるワールド・ベースボール・クラシック(WBC)のオランダ代表に選出されていたが、出場不可となった。
2026年03月04日 06:00
開幕投手の有力候補2人が満を持して今年初の対外試合に臨む。広島の森下暢仁投手(28)と床田寛樹投手(31)が3日、マツダスタジアムでの投手練習に参加した。4日に京セラドームで行われるオリックスとのオープン戦へ、森下は「結果」を求めていくことを強調。2年連続となる大役の座を射止めるため、アピールに燃える。
森下の姿勢は一貫している。今年に入ってから、事あるごとに口にしてきた「結果」の2文字。今年初の対外試合登板を前にしても、その考えは変わらなかった。「試合に入ったら結果が全て。いい準備をしてやれたら」。ブレない心で開幕投手を手繰り寄せる。
この日はキャッチボールや短距離ダッシュなどで最終調整。練習前には、海外からの観光客とみられる人たちにサインを書く“神対応”もあった。4日の登板は中継ぎとして3イニング程度を予定する。「もう、バッターを抑えられたらいい」と語り、調整登板ではなく結果を求めていくと強調した。
昨年は3月8日が初の対外試合登板で、そこから開幕投手を務めた。今年は2月10日に紅白戦に登板。以降はブルペンやシート打撃登板を重ねた。直近は沖縄キャンプ中の23日のシート打撃で打者10人に被安打2、1四球3奪三振だった。下半身を意識した投球フォームを試行錯誤しながら、昨年よりも早いペースで順調に調整を進めている。
見据えるのは2年連続の開幕投手の座だ。昨年の経験を経て、開幕の舞台は「特別な場所」であることを実感し、「やれるんだったらやりたい」と大役に意欲を示してきた。
新井監督はキャンプ終了時、開幕投手について「まだ何も決まっていない。投手も競争で床田、森下にしても(対外試合で)投げていないから評価のしようがない」と語っていた。開幕マウンドを巡る競争は、ここから本格化していくと見られる。
相手となるオリックスには2023年まで広島に在籍していた西川龍馬がいる。対戦の可能性もある中、森下は「最近は1、2番を打っていて、対戦できるかなと思うので楽しみ」とうなずいた。元同僚も打ち取り、競争で一歩先に抜け出す。
2026年03月04日 06:00
開幕投手の有力候補2人が満を持して今年初の対外試合に臨む。
2026年03月04日 05:01
左アキレス腱断裂からの復帰を目指す石井大智投手(28)が3日、兵庫県尼崎市の「日鉄鋼板SGLスタジアム」でリハビリに励み、座った状態でのキャッチボールを行った。
松葉づえ姿で室内練習場に現れると、グラブを手に台の上に座った。最初は上半身だけを使って、数メートル先のトレーナー相手にキャッチボール。固定器具を装着した左脚の動きを確認する様子も見せながら、徐々に距離を伸ばしていき、最終的に約20メートルの距離を投じた。
石井は2月11日の春季キャンプ・紅白戦(宜野座)で負傷し、その後「左アキレス腱断裂縫合術」を受けた。リハビリを開始した同27日には「痛みはほぼない。焦らず、今できることに集中してやるだけ」と決意を語っていた。
2026年03月04日 05:01
阪神の梅野隆太郎捕手(34)が3日、出場予定だった春季教育リーグ・ハヤテ戦の中止を受け、室内練習場で調整を行った。2軍では有意義な時間を過ごし、“ブレない心”で開幕1軍を狙う心構えを示した。
普段と場所は違えど、梅野は淡々としている。「どこでやろうとやることは一緒。そこはブレずにしっかりやっていきたい」。初めての静岡遠征。2軍で自らを見つめ直す貴重な時間を得た。雨が降りしきる静岡で黙々とバットを振った。
実績ある捕手として若手投手を引っ張っていくことも仕事の一つだ。「キャッチャーとして良いもの、反省点を含めて伝えられるものはしっかり伝えたい」。自らの試合での内容を求めながらも、豊富な経験で投手陣をけん引していく考えだ。「何事にも丁寧にできる時間がある。ちゃんと有意義に使いたい」。焦らずじっくりと開幕へ照準を合わせる。
2026年03月04日 05:01
「WBC東京プール presented by ディップ 強化試合、侍ジャパン5−4阪神」(3日、京セラドーム大阪)
あと1点まで粘った接戦を終え、阪神・藤川球児監督の目は少し充血していた。記録には残らない強化試合。それでも世界のトップレベルを肌で感じた2試合に、5年、10年後も続く常勝チームを作る上で確かな手応えがある。ベンチから、躍動する選手の姿が頼もしく見えた。
「みんなこういう時間を経て、経験を経て次に進んでいく。本当に阪神タイガースとしてはこの2試合、非常に素晴らしい経験をさせていただいたなと感謝しています」
2日の韓国戦は5番以降に若手を据え、中川、高寺、小野寺らが活躍。この日も小野寺や、ルーキーの岡城、小幡ら若虎がトップチームを相手に爪痕を残した。「ファンの方には経験のない選手がたくさんいたように映ったかもしれない。必ずこういうところからみんな成長していきます」と藤川監督。貴重な経験をチームの力に変え、連覇に向けた準備を加速させる。