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2026年03月16日 16:00
昨年12月23日にS状結腸がんのため、78歳で死去した尾崎将司さん(本名・尾崎正司)のお別れの会が16日、東京・千代田区の帝国ホテル東京で執り行われた。ゴルフ界、野球界、芸能界などから約1000人が参会して日本男子プロゴルフツアーで歴代最多94勝を挙げ、12度の賞金王に輝くなど「ジャンボ」の愛称で人気を博した故人をしのんだ。 お別れの会の中で、長男で喪主を務めた尾崎智春氏(54)が遺族代表としてあいさつした。「父親は、最後に『わが人生に悔いはない』と言っておりました。好きなことをやって、わがままをたくさん言って。好きな物をたくさん食べて。こんな素晴らしい人生、何の悔いもないと言って、この世を去りました。それにこんなにたくさんの方々に見送って頂き、今頃父親も本当に喜んでいると思います」と頭を下げた。 智春氏は参列者の献花後に取材に応じた。「あれだけの著名な方々にお越し頂いて、うちの親父の偉大さを改めて感じました」と会を振り返った。ジャンボの存在については「僕の人生において一父親でもあるが、ほとんど父と接する機会はなくて、ほとんど師匠として接してきていました。(大相撲の)若貴兄弟のような感じで、僕がゴルフを志した時から、やっぱり父親ではなくて、師匠という感じでかなり厳しく接してこられた記憶があります」とうなずいた。ジャンボゴルフアカデミーの存続に関しては「素晴らしい選手がどんどん育っていって。今後は継続に関しては色々と模索中なんですけども。なんとかうちの親父の意思を受け継いで、今後の若い世代にいろんなことを教えていきたいなと思っています」と見通しを語った。 昨年12月のジャンボさんの最期に関しては「『自分の人生はわがままし放題の人生だった。こんな素晴らしい人生に何の悔いもない』と最期に言ってくれたので。そのまま他界したので、人生をすごい全うしたやり遂げたような顔をして逝去しましたね」と明かした。
2026年03月16日 19:30
プロギアから、新作アイアン&ウェッジのアナウンス。「PRGR IRONsの『01』、『02』アイアン、『0ツアーウェッジ』が3年ぶりにモデルチェンジし4月17日から発売します」と、同社広報。『01』のカスタムオーダー品には100yd前後をアイアン顔で狙える『GW』も用意する。
【画像】1mmコンパクトで、ストレートフェースになった『01』アイアンの顔
「(01と02は)多くのゴルファーが下番手になるほどダウンブローが強まりロフトが立った状態でインパクトしている点に着目し、番手ごとにソールのリーディング側の削り幅をフローさせる『ハーフムーンソールデザイン』を新たに採用しました。レベルブローに近いロング番手は削り幅を小さく抑え、対照的にダウンブローが強まるショート番手は大きくすることで、全番手でリーディングエッジが刺さりにくく、かつ抜けの良い、安定したボールコンタクトが可能となっています」(同)
一枚ものの軟鉄(S20C)鍛造である『01』は、従来よりヘッド長が1mmコンパクトになり、FPが増えてよりストレートフェースで精悍な顔つきに変更。「多くのプロ・上級者のアイアン全番手の打点・スイング軌道・インパクトヘッド挙動を解析し、打点(ややヒール寄り)に重心を合わせるとともに肉厚を厚くして打感を向上しております」とのこと。
また、軟鉄鍛造ボディにクロモリフェースの『02』も、前作よりオフセットを減らして構えやすさを向上。フェースの板材の厚みを上部から下部にかけて厚くして低重心と打感の良さを両立し、ソールの抜けだけでなは、番手毎に最適な重心設計を施した。また、ウェッジも半円状の削りが施されている。
「0ツアーウェッジも谷原プロが使っていたモデルをベースにコンパクトなサイズで半月状に削りを入れたソールデザイン。現行同様、フェース面に縦マイクロミーリング加工を施し、ウェットコンディションでも安定したスピン性能を発揮するのが特長で、58度と60度にはワイドソール(W)モデルをラインアップに加え、こちらはフルスコアラインになっています」(同) 7Iロフトは『01』が32度で『02』が30度。PWロフトは『01』が46度で『02』が44度で、いずれもスチールシャフト装着の6I〜PWの5本セットが税込132,000円。また『0ツアーウェッジ』は48度から2度ピッチで60度まで用意し、税込26,400円〜となる。
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2026年03月16日 19:06
一般社団法人日本高等学校・中学校ゴルフ連盟が主催する「2025年度全国高等学校・中学校ゴルフ選手権春季大会 文部科学大臣楯争奪 第46回個人の部」(通称=春高・春中ゴルフ)の開会式が16日、“ゴルフのまち”を推進している兵庫・三木市内で行われた。
中曽根弘文会長による主催者あいさつに続き、大会を共催する三木市の仲田一彦市長が登壇。「今年で6回目となる春高・春中ゴルフがいよいよ始まります。4月には市内にある関西国際大が経営学部にゴルフマネジメントコースを開講します。“ゴルフのまち”として今後もジュニアゴルファーへのゴルフ環境の充実に力を入れていきたい」とあいさつした。
最後に、財務大臣の片山さつき参議院議員がビデオメッセージに登場。「片山家はマルマンの創業家です。私自身もゴルフは大好き。強い日本、そしてみなさんが強いゴルファーになることを期待しています」とエールを送った。
試合は18日から3日間、同市内にあるオリムピックGC(高校男子)、チェリーヒルズGC(高校女子)、三木GC(中学男女)の3コースで行われる。
2026年03月16日 19:00
ブリヂストンから、新作グローブのアナウンス。「2層構造でブリヂストンゴルフ史上かつてない厚さでしっかり握れるグローブ『STRONG DUAL』を3月12日に発売します。価格はオープンです」(同社)。
【写真】ブリヂストンが総力を挙げて作り出した『J’sメタル』 ジャンボの球を見てニクラスも使った名器
『DUAL』という名称は、手のヒラ側の合成皮革を2層に重ねていることに由来している。グリップに直接触れる層は「グリップ力を高めるためエンボス加工合成皮革」、手を入れる内側の層は「滑らかな手入れ感を持たせるため風合いの良いスエード調合成皮革」を採用。厚さ約1で、手とグリップの隙間を埋めることで、一体感を得られるという。また、前作よりも「2層構造部分を拡げ、親指部分も2層構造とし、グローブ内の親指部分の捻じれを抑制」したことに加え、「ベルクロを手のヒラ側生地と直接縫製することにより手のヒラ側生地の余りを軽減」したことで、よりフィット感が増して、力まず握れるようになっている。飛ばしたいと思って、力んでミスをすることが多いという人は、一度試してみる価値はあるだろう。
【製品概要】品 名: STRONG DUAL(左手用:GL2607、右手用:GL2608)素 材: 合成皮革 サイズ: 21〜26cmカラー: WR(白/赤)、BK(黒)※GL2608(右手用)は WR のみ価 格: オープン
「ジャンボさんの連勝でパーシモンからメタルに時代が動いた」増田雄二氏が語るドライバーの転換点
【写真】ジャンボが復活を遂げたテーラーメイドのメタルウッド
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中村心が髪をほどきました【女子プロ写真】
2026年03月16日 18:05
【プロキャディー25年 梅ちゃんのツアー漫遊記】#58
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女子ツアー開幕戦の舞台は今年も沖縄の琉球GCです。
2026年03月16日 17:58
一般社団法人日本高等学校・中学校ゴルフ連盟が主催する「2025年度全国高等学校・中学校ゴルフ選手権春季大会 文部科学大臣楯争奪 第46回個人の部」(通称=春高・春中ゴルフ)の開会式が16日、“ゴルフのまち”を推進している兵庫・三木市内で行われた。
中曽根弘文会長による主催者あいさつに続き、大会を共催する三木市の仲田一彦市長が登壇。「今年で6回目となる春高・春中ゴルフがいよいよ始まります。4月には市内にある関西国際大が経営学部にゴルフマネジメントコースを開講します。“ゴルフのまち”として今後もジュニアゴルファーへのゴルフ環境の充実に力を入れていきたい」とあいさつした。
最後に、財務大臣の片山さつき参議院議員がビデオメッセージに登場。「片山家はマルマンの創業家です。私自身もゴルフは大好き。強い日本、そしてみなさんが強いゴルファーになることを期待しています」とエールを送った。
試合は18日から3日間、同市内にあるオリムピックGC(高校男子)、チェリーヒルズGC(高校女子)、三木GC(中学男女)の3コースで行われる。
2026年03月16日 17:56
昨年12月23日にS状結腸がんのため死去したジャンボこと尾崎将司(本名:尾崎正司)さんのお別れ会が16日、都内のホテルで開かれた。式典には発起人代表の青木功ら約1000人が参列。ゴルフ界、野球界、文化人ら多くの招待者が会場で別れを惜しむ中、世界のレジェンドたちがビデオメッセージで追悼した。
【写真】若かりしタイガーもジャンボとしのぎを削った
PGAツアー通算73勝、メジャー通算18勝を誇る“帝王”ジャック・ニクラス(米国)は「ジャンボが亡くなったと聞いてとても悲しい。良き友人だった」とメッセージを送った。尾崎さんはかつて、ニクラスが目標のプロゴルファーであることを明かしていた。「よく飛ばし、多くのトーナメントで優勝した。友人の私たちはお互いを高め合った。ジャンボが逝ってしまったことを残念に思う。素晴らしい友人であり、素晴らしい選手であり、そしてあなたの国を代表する選手だった。彼は日本を愛し、日本でプレーすることを愛していた。そしてファンを愛していた。ジャンボが安らかに眠れますように」メジャー通算8勝のトム・ワトソン(米国)は、尾崎さんと初めて出会った1973年エキシビジョンマッチの会場だったワイアラエCCがあるハワイで撮影された動画を寄せた。ワトソンと尾崎さんは日本ツアー「ダンロップフェニックスオープン」の最終日最終組で優勝を争った。「ゴルフ界のレジェンドのひとり、ジャンボ尾崎。2011年の世界ゴルフ殿堂入りがその証しだ。ハワイで私はジャンボと初めて出会った。その時、そして常に、ジャンボがどれほどし烈なライバルであったかを思い出す。ジャンボ、ご冥福をお祈りします」と語った。
〈連続写真〉ジャンボ尾崎やニクラスもやっていた “ヒールアップ”に共通点
“AON”の盟友 青木功、中嶋常幸がジャンボ尾崎氏を追悼 「叶う事なら最後にもう一度会いたかった」
尾崎将司さんのお別れの会 青木功が弔辞「俺のライバルだからな、最後まで」
尾崎将司氏が永眠 記録と記憶に刻まれた“ジャンボ”の軌跡を振り返る
栄光、不振、孤独な戦い… 同時代を生きた記者が明かすジャンボ尾崎さんの“繊細で大胆な素顔”
2026年03月16日 17:13
3月15日付けの男子世界ランキングが発表された。
〈連続写真〉代名詞“頭残し”が減った!? 松山英樹のビフォーアフター
米国男子ツアー「ザ・プレーヤーズ選手権」を制したキャメロン・ヤング(米国)が15位から4位に急浮上。自身初のトップ5入りとなった。同大会を27位で終えた松山英樹は、1ランクダウンの13位。13位に入った久常涼は65位から61位に順位を上げた。日本勢3番手以下は中島啓太(122位)、金谷拓実(126位)、比嘉一貴(130位)、平田憲聖(186位)、金子駆大(197位)と続いている。LIVゴルフ第4戦を制したブライソン・デシャンボー(米国)は41位から33位に浮上した。世界1位はスコッティ・シェフラー(米国)がキープ。2位のローリー・マキロイ(北アイルランド)、3位のトミー・フリートウッド(イングランド)も順位を維持した。
ザ・プレーヤーズ選手権 最終結果
松山英樹、アイアンショットが“劇的変化”「今年に入って一番良かった」
“第5のメジャー”会場のわずか1マイル以内で銃撃事件発生 容疑者がコース内に侵入
尾崎将司さんのお別れの会 青木功が弔辞「俺のライバルだからな、最後まで」
石川遼が涙「男の中の男だった」 尾崎将司さんお別れ会
2026年03月16日 17:00
昨年12月23日にS状結腸がんのため死去したジャンボこと尾崎将司(本名:尾崎正司)さんのお別れ会が16日、都内のホテルで開かれた。
2026年03月16日 16:45
通算113勝を挙げ、世界ゴルフ殿堂入りも果たした不世出のプロゴルファー・ジャンボ尾崎。彼のクラブ開発を任されていたのが、マスダゴルフのクラブデザイナー・増田雄二氏だ。今回は増田氏に、ジャンボが使っていた2本のドライバーについて語ってもらった。
【写真】極小ヘッド×ハイティで300ヤードを連発 実際にジャンボが使用したメタルドライバー
◇ ◇ ◇人並み外れて飛ぶがOBも多い。1980年代前半のスランプの元は多過ぎるスピン量でしたが、それを解決したのが、1979年に創業し、当時はまだ新興ブランドだったテーラーメイドのメタルドライバー『ツアープリファードメタルウッド ツアーバーナー』でした。柔らかいパーシモンと糸巻きボールはパワーを受け止め切れなかったものの、硬くて球離れの速いメタルフェースがスピンを減らしてくれたんです。テーラーメイドを使い始めた87年にジャンボさんは「中日クラウンズ」と「フジサンケイ」で連勝。時代がパーシモンからメタルへと動いた瞬間だったと思います。
「テーラーメイドを越えるドライバーでなければ使わない」というジャンボさんのためにブリヂストンが総力を挙げて作り上げたメタルドライバーが『J’sメタル JB-MODEL Rタイプ』。JUMBOのイニシャル“J”をブランド名としています。「体積はパーシモン並みの180ccで当時のメタルヘッドとしては大型。ジャンボさんの豪打を目の当たりにしたジャック・ニクラスも使ったほど、これは世界一だと言っていましたね。『J’s』には洋ナシ型の『P』もありましたが、ジャンボさんが使っていたのは丸型の『R』です。見たままの浅重心でスピンが少ないのが特徴です。
尾崎将司おざき・まさし/ 1947年生まれ、徳島県出身。前人未踏の113勝(日本ツアー94勝)、賞金王12回を達成。男子ツアーを牽引すると同時に使用する用具でもゴルフ界に大きな影響を与えたレジェンド。2025年12月逝去。解説・増田雄二氏ますだ・ゆうじ/ジャンボの第二次全盛期をチーフクラブデザイナーとして支える。(有)マスダゴルフ代表。「ジャンボさんは勝ち方にこだわり、誰よりも遠くへ飛ばしてギャラリーを喜ばせようとしていました」。◇ ◇ ◇●ジャンボの使用ギアを徹底調査。 関連記事「ジャンボが監修した往年の名器たち! J'sメタルドライバー、チタンマッスルアイアン、P/S……」でその秘密が分かります。
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中村心が髪をほどきました【女子プロ写真】
2026年03月16日 16:32
昨年12月23日にS状結腸がんのため死去したジャンボこと尾崎将司(本名:尾崎正司)さんのお別れ会が16日、都内のホテルで開かれた。式典には発起人代表の青木功ら約1000人が参列。青木、尾崎、そして中嶋常幸はそれぞれの頭文字をとって“AON”と呼ばれ、1970年から90年代の日本ゴルフ界を引っ張った。
【写真】ジャンボ尾崎を写真で振り返る
3人合わせて国内193勝(尾崎さんが94勝、青木51勝、中嶋48勝)。賞金王は合わせて21回(尾崎さん12回、青木5回、中嶋4回)。そんな一時代を築いたレジェンドたちだ。青木は1964年にプロ入り。4歳年下の尾崎さんはプロ野球の投手という経歴を経て70年にプロゴルファーになった。「切磋琢磨」という言葉がぴったりのように、数えきれないほど優勝を争い、多くのドラマを生んだ。「なんの言葉もない、なんもしゃべりたくない。自分の気持ちはジャンボとふたりでしまっておきたい。それくらい大事な人。自分のゴルフが変わるきっかけになったという意味では、ありがとうとしか言いようがない」としのんだ。40代になって海外ツアーに参戦した青木に対し、尾崎さんは日本ツアーをメーンに戦いを続けた。「離れ離れになったけれど、常に彼のことを気にしていたし、ジャンボに聞かないと分からないけれど、私のことも気にしていたと思う」と、ゴルフ人生においてかけがえのない戦友だった。青木は日本ゴルフツアー機構(JGTO)の会長を務め、尾崎さんは晩年、後進の育成に尽力した。ゴルフ界への功績は計り知れない。「俺にとっても大きいし、ゴルフ界にとっても大きいよ。いちいち説明する言葉がないくらい大きい。ちょっと早かったと思うし、いたら肩を組んで、酒を一杯飲みながら話をしたかった。もう一回戻ってこい、って言いたいわな」と語った。尾崎さんの8歳年下で75年にプロ入りした中嶋も、しのぎを削った試合は数知れず。「いろんなシーンがあるんだけど、勝った試合もあれば負けた試合もたくさんあって。ジャンボのすごさっていうのは、どこに行っても、何があっても決めてくるというか、特別な存在でしたよね」と話す。特に思い出深いと話すのが、88年と90年の「日本オープン」。東京ゴルフ倶楽部を舞台に行われた88年大会はAON三つ巴の争いを尾崎さんが制し、小樽カントリー倶楽部を舞台に行われた90年大会は大会3連覇を目指す尾崎さんを最終日に中嶋が逆転で優勝した一戦だ。「(88年大会は)ジャンボが17番で長いバーディパットを決めて1打差で追いつけなかった。あの試合の迫力というか凄さというか。今度はジャンボの3連覇がかかった小樽での90年大会の自分の逆転優勝。ジャンボはよっぽど悔しかったと思うけど、終わった直後に握手しながら『おめでとう、よくやった』って。悔しい中でも相手を称える、あの言葉っていうのも忘れないですね」。ゴルフファンを虜にした試合は数々あるが、ライバル関係でも相手を称える姿勢を持っていたという。アマチュア時代から「憧れていました。ああいうゴルフをしたい」と話し、19歳の頃、かけられた言葉は今でも覚えている。「『体を鍛えるんだぞ』っていうのが19歳の頃にかけられた言葉なんですけ。それからやっぱり体を作ってこそのスポーツ選手という言葉が一番大きかった」と中嶋の礎にもなったという。「あの人がいたからこそ、『これではダメだ』とか『もっとここを強くしなきゃいけない』とか体を作ったり、技術を磨いたり。常に勝とうと思って努力をする。まあ大きな『壁』として立ちはだかってくれたし。その壁も止まっているんじゃなくて前に進んでいる壁だったから。本当に壁にぶつかっていく、追い越していくというのがやっぱり楽しみでもありましたよね。パワーゴルフの幕開けは彼がいたからこそできた。日本ゴルフ界の革命を起こしてくれた人ですよね。その姿を見て、今も多くの選手たちが、意思を引きづいてやっていると思います」。AONと呼ばれ、通算48勝と勝ち星を積み重ねられたのは、尾崎さんの存在が大きかったとも明かした。
“AON”の盟友 青木功、中嶋常幸がジャンボ尾崎氏を追悼 「叶う事なら最後にもう一度会いたかった」
尾崎将司さんのお別れの会 青木功が弔辞「俺のライバルだからな、最後まで」
尾崎将司氏が永眠 記録と記憶に刻まれた“ジャンボ”の軌跡を振り返る
栄光、不振、孤独な戦い… 同時代を生きた記者が明かすジャンボ尾崎さんの“繊細で大胆な素顔”
松山英樹も尾崎将司氏を追悼 「深き驚きと悲しみに包まれている」
2026年03月16日 16:00
昨年12月23日にS状結腸がんのため、78歳で死去した尾崎将司さん(本名・尾崎正司)のお別れの会が16日、東京・千代田区の帝国ホテル東京で執り行われた。ゴルフ界、野球界、芸能界などから約1000人が参会して日本男子プロゴルフツアーで歴代最多94勝を挙げ、12度の賞金王に輝くなど「ジャンボ」の愛称で人気を博した故人をしのんだ。
お別れの会の中で、長男で喪主を務めた尾崎智春氏(54)が遺族代表としてあいさつした。「父親は、最後に『わが人生に悔いはない』と言っておりました。好きなことをやって、わがままをたくさん言って。好きな物をたくさん食べて。こんな素晴らしい人生、何の悔いもないと言って、この世を去りました。それにこんなにたくさんの方々に見送って頂き、今頃父親も本当に喜んでいると思います」と頭を下げた。
智春氏は参列者の献花後に取材に応じた。「あれだけの著名な方々にお越し頂いて、うちの親父の偉大さを改めて感じました」と会を振り返った。ジャンボの存在については「僕の人生において一父親でもあるが、ほとんど父と接する機会はなくて、ほとんど師匠として接してきていました。(大相撲の)若貴兄弟のような感じで、僕がゴルフを志した時から、やっぱり父親ではなくて、師匠という感じでかなり厳しく接してこられた記憶があります」とうなずいた。ジャンボゴルフアカデミーの存続に関しては「素晴らしい選手がどんどん育っていって。今後は継続に関しては色々と模索中なんですけども。なんとかうちの親父の意思を受け継いで、今後の若い世代にいろんなことを教えていきたいなと思っています」と見通しを語った。
昨年12月のジャンボさんの最期に関しては「『自分の人生はわがままし放題の人生だった。こんな素晴らしい人生に何の悔いもない』と最期に言ってくれたので。そのまま他界したので、人生をすごい全うしたやり遂げたような顔をして逝去しましたね」と明かした。
2026年03月16日 15:53
昨年12月23日にS状結腸がんのため78歳で死去したジャンボこと尾崎将司(本名:尾崎正司)さんのお別れ会が16日、都内のホテルで開かれた。
2026年03月16日 15:39
圧倒的な歌唱力でファンを魅了し続けてきた歌手の高橋真梨子が自身のインスタグラムを更新。気の置けない仲間たちと自分の誕生日コンペを開催したところ「なんと優勝しました ヘンリーさんは2位」と、夫婦でワンツーフィニッシュを決めたことを嬉しそうに報告した。
【ランキング】お嫁さんになってほしい女子プロは? 1位〜10位まとめ
投稿ではこの日のメンバーの記念写真を公開。高橋はピンクのキャップにイエローのパンツで参戦。3月6日の誕生日で77歳になった今も若々しいスタイルを披露した。「私の隣りにいるヘンリーバンドのコマッちゃん集合時間に遅れて慌てて走ったらすってんころりん! 膝を強打して激痛のまま18ホールまわって翌朝病院行ったら骨折」「幸い手術などしなくて済んだそう…お大事に」という、とんでもないハプニングがあったことも明かしていた。高橋はペドロ&カプリシャスの2代目ボーカルとして1972年に「ジョニィへの伝言」でデビュー。ソロ歌手になってからも「桃色吐息」「for you…」など数々の名曲を生み出してきた。ご主人のヘンリー広瀬も同バンドから独立してヘンリーバンドを結成。高橋のプロデューサーとして、その活動を支えてきたおしどり夫婦だ。この投稿を見たファンからは「誕生日おめでとう」の祝福が数多く寄せられていた。そして「ご夫婦とお仲間でゴルフ いいですね」「真梨子さんもヘンリーさんもお若い」「楽しくプレー出来たのだろうな〜っていうのが伝わってきます」「カッコいいご夫婦、益々お元気で」などの声が寄せられていた。
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2026年03月16日 15:31
昨年12月23日にS状結腸がんのため、78歳で死去した尾崎将司さん(本名・尾崎正司)のお別れの会が16日、東京・千代田区の帝国ホテル東京で執り行われた。ゴルフ界、野球界、芸能界などから約1000人が参会して日本男子プロゴルフツアーで歴代最多94勝を挙げ、12度の賞金王に輝くなど「ジャンボ」の愛称で人気を博した故人をしのんだ。
ライバルとして長年にわたり、優勝や賞金王争いを繰り広げたツアー通算48勝の中嶋常幸(71)が献花後に取材に応じた。「優勝争いをした試合を思い出しますよね。いろんなシーンがあるんだけど、勝った試合もあれば、負けた試合がたくさんあったし。ジャンボのすごさはどこにいっても、何があっても決めてくる。そういう特別な存在でしたよね。僕がアマチュアの頃からあこがれてた人でもあったし。あの飛距離と明るさと、ああいうゴルフをしたいなと思っていましたね。パワーゴルフの幕開け。本当に日本のゴルフ界に革命を起こしてくれた人ですよね」とジャンボさんの功績をたたえた。
1970〜80年代にツアー通算51勝の青木功、同94勝の尾崎さん、同48勝の中嶋の3人で「AОN」として長らく日本ゴルフ界のトップに君臨し、黄金期を築いてきた。「常に勝とうと思って努力することが、大きな壁として立ちはだかってくれたし。その壁も止まっているでなくて、前に進んでいる壁だったから。僕らとしてもその壁にぶつかっていく、追い越していくことが楽しみでもありましたよね」としみじみ語った。
思い出に残る言葉に関しては「いっぱいあるけど、(ジャンボさんから)一番最初に掛けられた言葉ですかね。僕が19歳の時に掛けられた言葉なんですけど。『体を鍛えるんだぞ』と。『やっぱり体を作ってこそのスポーツ選手だ』と。彼の言葉がなかったら、自分も頑張れていないと思うし。あの人がいたからこそ、これではダメだとか、体をもっと強くしないと、技術をもっと作らないといけないと思えましたし」と、かけがえのない存在だったことを明かした。
2026年03月16日 15:28
昨年12月23日にS状結腸がんのため死去したジャンボこと尾崎将司(本名:尾崎正司)さんのお別れ会が16日、都内のホテルで開かれた。式典には発起人代表の青木功ら約1000人が参列。かつてジャンボ邸で指導を受けた石川遼が尾崎さんをしのび、目を潤ませながら思いを語った。
【写真】ジャンボ尾崎と同組で回る20歳の遼
プロ113勝、国内94勝という前人未到の記録を打ち立てているスーパースターの尾崎さんは、ツアー制度施行元年の1973年、26歳で初代賞金王に輝いた。その36年後の2009年、石川が18歳の若さで戴冠し、尾崎さんの最年少記録を大幅に更新した。07年「マンシングウェアオープンKSBカップ」で史上2人目のアマチュア優勝を果たし、“ハニカミ王子”として世間を賑わせていた石川は、プロ転向を表明する前後、ジャンボ邸に2週間ほど通ったという。「子どもの頃、いちファンとしてジャンボさんのゴルフを見て、これだけ人を惹きつけるのはすごいと思っていました。いろんなことを叩きこんでいただいた。鮮明に覚えています」と思い出を語る。もともとプロ野球西鉄ライオンズ(現西武)の投手として活躍し、プロゴルファーに転向したという経歴を持つ尾崎さんは、石川にまず、ピッチングフォームを教えた。「ピッチングフォームからゴルフにつなげて考えていく。トレーニング、ゴルフの打ち方、ひとつひとつを教えていただき、本当に刺激的な日々でした」と回顧した。「優勝した時に電話で報告をさせていただいていた」が、最後に直接会ったのは19年頃。それ以降は訪ねることも優勝報告もなかなかできず、闘病していることも「直前まで知らなった」という。「すごく元気なジャンボさんのイメージしかないので、信じられないという気持ちです」と心境を話した。男子ツアー人気の立役者で、日本ゴルフ界をけん引した尾崎さんを「男の中の男だった」と話す。「男としての強さを見せていただきながら、優しく指導していただきました。簡単に答えを教えるのではなく、自分で悩むという人としての深みも教えていただいた。そんなジャンボさんのようになれるとは思わないけれど、遺志を少しでも受け継いで、日本のゴルフ界がこれからもっともっと強く、明るくなるように、残された者たちで頑張っていきたい」と、涙ぐみながら決意を示した。
尾崎将司さん プロフィール
尾崎将司さんのお別れの会 青木功が弔辞「俺のライバルだからな、最後まで」
「オレはわがまま一杯で生きてきたから…」 “元ジャンボ番”が思い出す尾崎将司さんの言葉【悼む】
尾崎将司さんのお別れ会にまな弟子たちが参列 佐久間朱莉は開幕戦V報告「たくさん報告にいけるように」
王貞治氏「いろんな意味で型破りな人」、原辰徳氏「憧れでありヒーロー」 野球界からも多くの参列