2021年07月31日 13:54
ロッテは31日、唐川侑己投手が30日にPCR検査を行った結果、新型コロナウイルス陽性判定を受けたと発表した。 唐川投手は7月29日の深夜に、発熱し30日に検査を実施。31日午前に陽性判定を受けた。現在は2軍リハビリ組で活動しおり、30日から自宅静養している。 球団は一般社団法人日本野球機構事務局に報告。現在、所轄保健所と連絡を取りながら、今後は指示を仰ぎ、必要な措置を講じる。
2024年04月27日 07:48
敵地・ブルージェイズ戦に「2番・指名打者」で出場する
■ブルージェイズ ー ドジャース(日本時間27日・トロント)
ドジャースの大谷翔平投手の素顔をデーブ・ロバーツ監督が明かした。26日(日本時間27日)、敵地・ブルージェイズ戦に「2番・指名打者」で出場する。試合前の取材に応じた指揮官は「フィールド上では、とても集中している。それでありながらも、彼は楽しいことが好きだ」と語った。
大谷は昨年12月にドジャースと10年7億ドル(約1089億円)で契約を結んだ。その後、元通訳の水原一平容疑者が銀行詐欺の容疑で米連邦当局から追訴される騒動もあったが、取材では新通訳のウィル・アイアトン氏を「新しい通訳が素晴らしいんじゃないですか」といじるなど良好な関係を築けている。
ロバーツ監督は「ショウヘイは面白いことがとても好きな人物だと思う。選手たちは彼のことを(仲間として)うまく巻き込んでいると思う。彼はドジャースで楽しんでいると思う」と溶け込んでいることを強調した。(川村虎大 / Kodai Kawamura)
2024年04月27日 07:40
オリックス・紅林、相棒の宮城に「お願い……!」
ゴミ箱に頭を突っ込み、苦悩に“別れ”を告げた。オリックスの紅林弘太郎内野手が24日の西武戦(京セラドーム)で自身4度目のサヨナラ打を放ち、ヘルメットを脱いで歓喜のシャワーを浴びた。苦笑いで「高校時代以来ですね」とさする丸刈り頭を、スタジアムの全員に見せつけた。
3-3と同点の延長10回2死二、三塁。果敢にバットを振り抜き、打球は左翼線へ。気迫の一振りで暗雲を切り裂いた。11日楽天戦以来、チーム今季2度目のサヨナラ劇場の主役は、またしても紅林だった。ナインから手荒い“祝福”を受け、ユニホームはびしょびしょに。一塁側ベンチ前では、中嶋聡監督から「愛の頭突き」をプレゼントされた。
指揮官が両手で包み込んだ丸刈り頭は、13日の日本ハム戦で3失策を犯したことがきっかけで生まれた。「僕はズルズルと引きずってしまうタイプなので、1つの切り替え方法として考えました」。同期入団で仲良しコンビの宮城大弥投手にバリカンを手渡し「お願い……!」と頼み込んだ。
失意の丸刈りは試合中から決めていた。「3つ目のエラーをしてしまってくらいから『やばいな……。ちょっと1回、切り替えよう』と思っていました。宮城に(バリカンを)お願いしたら、乗り気でした(笑)」。3ミリの長さにアタッチメントを設定し、親友に優しく剃ってもらった。
長髪をなびかせていた紅林は「お風呂は楽になりましたね。3ミリになったので、すぐに(髪が)乾きます。心境は……。切り替えられたので、良い方向に。いじられまくってますよ!」と照れ笑顔を見せた。誰も教えてくれない…独自の不振脱却方法
細めた目の奥には、確固たる信念がある。丸刈りを担当した宮城からバリカンが戻ってくると、内緒でもう1度だけ整えた。ベンチ裏の風呂場にある“ゴミ箱”に頭を突っ込み、自分でバリカンを走らせていた。同僚の太田椋内野手は、その姿を目撃し「たしか、中嶋監督がお風呂に入っていたタイミングだったんですけど……。最後、自分で整えてましたよ」と驚いた。
太田によれば「あの試合後、僕がウエートルームでトレーニングをしていたら、紅林が急に『あかんわ! 気合が入ってないわ!』って言い出して、髪を刈り出したんです。何を考えているのか、本当にわからないですね」とのこと。その後も「切り替えるなら丸刈りです! 打てますよ!」と周囲に笑みをもたらしている。
髪を刈った後は太田と宮城の3人で食事に出かけ、他愛もない話で盛り上がった。時には自身のプレーを反省。悩みをバッサリと流し切った。自称「サマーカット」になった紅林は、一気に状態が向上。髪を刈ってからは10試合で35打数13安打の打率.371を記録。13日時点で.175だった打率は.267にまで上昇した。
“相棒”の宮城が、かつて丸刈りを披露していたことには「いやぁ……。もう、あれ、何年前でしたっけ? 2、3年前? あんまり覚えてないですね」とニコリ。ただ、紅林には「大切な1枚」がある。2022年4月21日のソフトバンク戦で自身初のサヨナラ打を放った時にプレゼントされた写真を、球団寮を退寮する際まで自室に飾り、士気を高めていた。
「どんなに苦しい時でも、僕たちは前を向いて。チームみんなで4連覇を目指してやっていくしかない」。全ての神経を研ぎ澄ませて締めくくった“Xゲーム”。そこには誰も教えてくれない、不振脱却の方法があった。(真柴健 / Ken Mashiba)
2024年04月27日 07:36
◆ 楽天戦に先発!
「いつも通り、チームの勝利のためにいい仕事をすることと、つねにアグレッシブさを忘れずに攻めの投球をしていくことを心掛けてマウンドにあがります。チームの連敗を止め、チームの勝利に貢献できるように100%の力を出して頑張ります。熱い、熱い応援を宜しくお願いします」。
ロッテのメルセデスは今季初勝利を目指し14時からの楽天戦に先発する。今季はここまで3試合・17回を投げ、0勝0敗、防御率1.06。
前回登板の4月19日日本ハム戦は6回・83球を投げ、3安打、5奪三振、1失点の好投。3試合中2試合でクオリティ・スタート(6回3自責点以内)を達成しており、開幕からローテーションで投げる小島和哉、種市篤暉、佐々木朗希、西野勇士とともに、先発陣を引っ張る働きぶりだ。
ここまでの3試合をメルセデスは「チームの勝ちに貢献できるような投球することだけを意識して毎日必死にやっています」と振り返る。
◆ 「最少失点で抑えるだけ」
メルセデスは今季に向けて「体力の部分が自分にはまだまだ足りないと思っていたので、体力強化を努めてやってきました。また、(新たに)パワーと体力というところを意識して、このオフは調整してきました」と体力強化をメインに自主トレは励んできた。シーズンが開幕してからここまで、自主トレから取り組んできた体力強化の部分はしっかり出せているとのことだ。
開幕から安定した投球を見せるメルセデス。巨人時代を合わせると今季で日本でのプレーは8年目を迎える。巨人時代の19年にシーズン自己最多の8勝、投球回数も自己最多の120回1/3を投げたが、巨人時代を含めて2桁勝利は一度もなく、規定投球回到達も1度もない。マリーンズ移籍1年目の昨季はシーズン序盤に安定した投球を見せるも打線の援護に恵まれず、なかなか白星をあげることあることができなかったこともあり、22試合・116回1/3を投げ、4勝8敗、防御率3.33だった。
シーズン通して一軍で投げ抜くために、メルセデス自身、シーズン通してどういうプランで投げたいとか思い描いていることとかあるのだろうかーー。
「キャンプの時にもお話しした通り、少ない球数、失投を去年よりも少なくしたい。そういうのを続けていければ、いい結果が出ると信じています」。
また、投球面の準備の面で昨年から変えたことはあるのだろうかーー。
「去年よりも集中してやっています。去年よりもアグレッシブさを前面に出して投げていこうと思っています」。
現在チームは6連敗中と苦しい状況。「ここ3試合と同じような投球をしていけば、必ずチームに勝ちをもたらせると思いますし、このままもちろん最少失点で抑えることだけを僕は考えています」。14時から行われる楽天戦でもゲームを作り、チームの連敗を止めるとともに、自身の今季初勝利を手にしたい。
(メルセデス投手通訳=千葉ロッテマリーンズ・阿久津英之通訳)
取材・文=岩下雄太
2024年04月27日 07:30
4月はすでに5社と契約を締結
大谷翔平投手が生み出す経済効果が計り知れない。
2024年04月27日 07:20
オリックス・比屋根ブルペン捕手が4年前に発した「え…?」の真相
予想外の“提案”に、思わず声が漏れた。「え……?」。固く結んでいた首元のネクタイが汗で滲むほど、オリックス・比屋根彰人ブルペン捕手は驚きを隠せなかった。当時は21歳。「嘘でしょ……? としか思えませんでした」。衝撃の“転向”を打診される数秒前、戦力外通告を受けたばかりで、事態が飲み込めていなかった。
2020年11月4日、大阪・舞洲の球団施設に呼び出された比屋根は“クビ”を覚悟していた。2017年の育成ドラフト3位でオリックスに入団。長打力が自慢の大型内野手として、プロの扉を開いた。3年間を懸命に過ごしたが、支配下選手登録を勝ち取れず「次の年が(選手で)ないのは、薄々、気がついていました」と頭をかく。
呼び出された部屋で球団から通達されたのは「選手としての3年間、お疲れ様でした。ありがとう」という言葉だった。その直後、福良淳一GMから「来年からブルペンを支えてほしい」と添えられた。内野手だった比屋根は「絶対に(目上の方に)言っちゃあかんのですけど……。その時ばかりは『え?』っと言う声が出てしまいましたね」と苦笑いする。
「21歳で、プロ野球生活が終わったら、まだ次に何をするか考えていませんでした。(球団スタッフなどの)打診を頂ければ嬉しいな……と思っていましたね。何も他の仕事をする予定が、本当になかったので」
数秒間、頭の中を整理して言葉を前に出した。「キャッチャーですか……?」。福良GMは、目を細めて「うん!」と深く頷いていた。「新しいお仕事をいただいたので、その(戦力外通告の)2時間後から、ブルペンでキャッチング練習を開始していました」。1時間ほどは、空いた口が塞がらなかったが、2時間後には“現実世界”にいた。
「せっかく、声をかけてもらったので。やるっきゃないと思いましたね。ただ、未知の世界でした。(投手の)立ち投げも全然捕れなかったですもん……」裏方転身で心掛けるのは「全部、本音で言うこと」
比屋根は小学4年生からの3年間は捕手を務めたことがあったが、その後は未経験だった。「レベルが全然違いますよ(笑)。一緒にしちゃいけない。阿部(翔太)さんのフォーク、座っているのに『股抜け5連続』してしまいましたから。フォークが落ちるんじゃなくて、揺れるんです。軌道が全く読めないんです」。防具の付け方も、ままならなかった。
「みんな優しくて、本当にありがたいです。キャッチャーミットは当時、(伏見)寅威さんから受け取りました。戦力外になって挨拶に行ったんですけど……。そのときに『寅威さん、僕、キャッチャーやることになったので、ミットを頂けないですか……?』と言いました。最初、寅威さんは『マジで? 嘘は要らないぞ!」となりましたけど、最後は信じてもらえました」
裏方転身後の2021年からは主にファームの投手陣を担当。ブルペンでにこやかな笑顔を弾かせる。「やりがいがあります。若い選手の成長を見届けられるので」。そう言い切った後、真っすぐな視線で言葉を付け足した。「全部、本音で言うこと。『今のダメですね、いつもとは違います!』と(最年長の)比嘉さんにも言います」。中嶋政権4連覇へ、縁の下から支える。(真柴健 / Ken Mashiba)
2024年04月27日 07:10
◆ 「やりましたねぇ」
DeNAが巨人に逆転勝ち。借金も1まで減らし順位もひとつ上げて4位とした。DeNA・東克樹と巨人・戸郷翔征の両先発が好投しロースコアのゲームとなった一戦は、1点ビハインドの8回にDeNA打線が一挙6点と爆発。横浜では4月12日以来の勝利となった。
26日放送のCSフジテレビONE『プロ野球ニュース』では球団史上初となるルーキーでの満塁ホームランを放ち試合を決めた度会隆輝に注目。
まずMCを務めた谷繁元信氏は「初の8番でホームラン。またやりましたね」と1番から打順を下げられての派手な活躍に言及すると、解説者として出演した谷沢健一氏も「やりましたねぇ」と同調。続けて「開幕、それから2戦目にホームラン打って、それ以来ずっと1番打ってきましたけども、率が上がらなくて、そして今日初めて8番に降ろされた。その悔しさかどうかはわかりませんけど、この前にも2本ヒット打ってるんですよね」とこの日の調子の良さに触れつつ「打ったあとで守りについた時に、多少涙目というかね。よっぽど悔しかったのか、嬉し涙か。両方あるんでしょうね。複雑な」と度会の心情を代弁。
もう一人の解説者の館山昌平氏は「ほんとにいろんなことがあったと思うんですよね。打率もなかなか上がらない中で期待に応えたいという思いがあるものの、うまくいかなかったことはあると思うんですけどね。 色んなこと経験してほしいですよね」とエールを送った。
最後に谷繁氏が「まだ1年目ですからね。壁はありますよ。まだこれからいっぱいね」と苦しむのも当たり前とコメントした。この日をきっかけに、再び上昇気流に乗っていけるのか。スター候補生のこれからに注目していきたい。
☆協力:フジテレビONE『プロ野球ニュース2024』
2024年04月27日 07:10
元西武の高木大成氏は4年のキャンプで足首靱帯を断裂「骨が折れたと思った」
「レオのプリンス」「レオの貴公子」の愛称で親しまれた高木大成氏(株式会社埼玉西武ライオンズ事業部部長)は西武で10年間プレーした。捕手から一塁に転向した2年目からレギュラーに定着したが、1998年オフから実に6年間で4度、6か所の手術を受けるなど怪我に苦しみ「野球が嫌いになりそうだった」と辛かった胸中を吐露した。
1995年に慶大から西武を逆指名し、捕手としてドラフト1位で入団した高木氏は、2年目の1997年に一塁手へ転向。持ち前の打力を発揮し、同年に自己最高の打率.295、翌年にはともに自己最多の17本塁打84打点をマーク。いずれの年も一塁手部門でゴールデングラブ賞を受賞した。
いよいよプロ野球選手として軌道に乗り始めたと思われたが、3年目の1998年オフに右肘の遊離軟骨除去手術を受けると、徐々に“流れ”が変わっていった。迎えた翌年、4年目の春季キャンプが始まったばかりの2日目にアクシデントに見舞われた。
「内野ノックで一、二塁間のゴロを捕って踏ん張ったときに右足が『バキッ!』と。骨が折れたと思った」。足首の靱帯断裂で再び手術することに。シーズン中に復帰したが「靱帯が切れてからは、足の指でずっと土を掴めずに踏ん張れない状態でした。ここからはずっと辛かったですね」。
復帰後に1軍から声がかかっても「右足を庇っているからいろんなところに影響が出る。成績はもちろんですが、体のバランスや動き的にイマイチの中でずっとやっていました」。110試合に出場し、打率.272を残したが、本塁打は前年の17本から7本に“激減”。歯車が狂い出した。辛いリハビリが続き「野球が嫌いになりそうでした」
2000年には本塁でのクロスプレーで相手選手と“衝突”。「左膝の軟骨に亀裂が入りました。当時はコリジョンもなかったですし」。この怪我で手術。出場試合数は新人時代以来、4年ぶりの2桁(94試合)となり、本来のパフォーマンスを取り戻せずに2001年には67試合に減った。
復活を期した7年目の2002年に再び怪我に襲われる。「オープン戦でファウルを打った時に、右手首の靭帯が一部、骨から剥がれて損傷したんです。手首を固定してプレーを続けたけど調子が上がらない。右手の状態が駄目だと思いながらずっとやっていました」。
出場機会は減り続けた。尺骨神経の麻痺、血行障害も併発しており「ペットボトルの蓋も開けられない状態。このままじゃ無理」と8年目(2003年)のオフに、症状が少しでも緩和できるようにと右手首、右腕の計3か所を手術した。
翌2004年、西武は日本一に輝くも高木氏は手術の影響もあり1試合にも出ていなかった。「試合は見ていましたけど、心からは喜べなかったですよね」。結局、1998年から2003年までの6年間で4度、6か所もの手術を経験した。
「筋肉は1度メスを入れると、脳から発信してもちゃんと動かないんです。信号が届かないから。届かせることは本当に大変で、リハビリは辛かったです。同じことの繰り返し、繰り返しで。普通にできていたことができなくなって、もどかしい。野球が嫌いになりそうでした。リハビリが調子いい日があっても、眠ったら翌日、元に戻っている気がして寝るのが怖かったです。頑張って、チームに戻ってもまた怪我をして……心が折れそうでした」
壮絶な時期を振り返った。もう1度活躍することを目標にリハビリに励んでいたが、出場機会ゼロだった2004年に続き、2005年は自己最少のわずか13試合の出場。そのままオフに戦力外通告を受けた。10年目の“プリンス”に待ち受けていた、あまりに残酷な現実だった。(湯浅大 / Dai Yuasa)
2024年04月27日 07:01
左ハムストリングの張りで離脱している
左ハムストリングの張りで離脱しているエンゼルスのアンソニー・レンドン内野手の診断結果が明らかになった。
2024年04月27日 06:50
◆ 「キャッチャー的な経験で言うと…」
巨人がDeNAに逆転負け。終盤まで僅差で進んだ好ゲームも、終わってみれば7-2まで点差を広げられ、完敗となってしまった。敗戦の原因はここまで無失点と快進撃を続けてきたルーキー・西舘勇陽の乱調だった。
26日放送のCSフジテレビONE『プロ野球ニュース』でMCを務めた谷繁元信氏は「同点の場面で佐野がセンターオーバーのところ。これは最後に勝負行ったのが、コントロールミスで打たれたので、そこはしょうがないかなと思うんですよね。インサイドに空振りを取りに行くか、詰まらせようとしたカットが多分抜けた。逆玉になってるから力のないボールが行ってしまったので、勝負としてはしょうがないと思うんですよね」とここは割り切れると解説。
次の牧秀悟のレフト頭超えの勝ち越し打に「カットでツーナッシング。そこからインサイド。 牧もインサイドがもしかしたら来るかも、アウトコースにもある程度と両方待ちながらで詰まったけども、打ったっていう感じだと思うんですよね」と牧の狙いを分析。
そのうえで「キャッチャー的な僕も経験的に言うと、ツーナッシングから勝負いくのは構わないと思うんですよ。全然。でもこの場面で大城(卓三)がボール球を要求してたのか。それでピッチャーもボールを投げようとしたのか。それとも大城が勝負に行ってんだけども、西館はボールにしようとしたのか。その辺の意思疎通がすごく大事だったのでは。バッテリーの意思が両方同じだったかどうかっていうのが大事だなと思いました」と2人の共通認識が合っていたのかに疑問が残ると言及した。
また解説者の館山昌平氏は「カウントを整えるとき、しっかりと曲げに行ってファールを取るとか意図が見えたんですよね。ただ追い込んだ後はちょっと力勝負になってるというか、少しアバウトに行ってしまってる。やっぱりそこはキャッチャーとの意思疎通で、もう1個厳しくとか、ここは絶対ファールだよとか、ここがボールなのだよっていうところを、やっぱりルーキーには優しくリードしてあげるのも1つかなと思うんですよね」と大城に一層の配慮を求めていた。
大事な場面での一球で、勝負の分かれ目が決まるプロ野球。OBたちの目線はこの日も厳しかった。
☆協力:フジテレビONE『プロ野球ニュース2024』
2024年04月27日 06:45
◆ 輝きを取り戻した“ハマの一番星"
度会隆輝が再び輝いた!26日の巨人戦で初めて1番を外され、8番バッターとしてスタメン出場した度会は、相性の良い戸郷翔征から2打数2安打とヒットを積み重ねると、佐野恵太と牧秀悟が連続タイムリーで逆転した勢いそのままに、ニ死満塁でライトスタンドへグランドスラムを叩き込んだ。
開幕から華々しいスタートを切ったが、その後プロの壁にぶち当たり、打率も2割を切りそうなところまで急降下。悩んでいたルーキーが久々に放った会心の一撃は、試合を決める価値ある一発だった。
試合後三浦監督は度会に対し「まあちょっと苦しんでる部分もありまして。誰もが通る道だと思うんですけども、ちょっと楽なところ、ちょっと気分的には違うところでね出した」と打順の変更の意味を説明。「しっかりとね今日は打席でも、打つべきボールを打ってるかなと。ちょっと1番のところですと、打たないといけない、塁に出ないといけないっていうところで、ちょっと空回りしてる部分もあったんですけど。しっかりと結果を出してくれました」と活躍に満足げ。左の変則・高梨雄平からの一打に「しっかり1球目、2球目っていうところ冷静に見てましたし。そこでフルカウントになったところでね、しっかりと粘って食らいついてくれと思ってたところでホームランですからね。持ってんのかなと思いますね」と頷いた。
度会は「めちゃくちゃ嬉しかったです」と第一声。お立ち台で涙が滲んでいるようにも見えたことには「色々ないろんな感情がこみ上げてきてしまいそうになったんですけど、耐えれたんでよかったです。男は泣いてはいけないんで」と表情を緩めた。
この日の活躍には「自分のおかげのヒットとホームランじゃないので。本当に周りの方の言葉やアドバイスのおかげです。戸柱(恭孝)さんや京田(陽太)さんとロッカーが近いんですけど、もう本当ずっと暗くならないように明るく声かけてくれて。そういった先輩のアドバイスが助けてくれのかなと思います」と先輩たちに感謝。
さらに「本当にこれ以上いいチームないなと思うぐらい、本当にいい人しかいなくて。指導者の方もスタッフの方もすごく温かい声をずっとかけてくれてて。ほんとに最高なチームで野球やれる以上は、自分もほんと死に物狂いで頑張るしかない」と気を引き締め直していた。
8番に入り再び輝きを取り戻した“ハマの一番星"。この男の笑顔が、チームを勢い付けていく。
写真・取材・文 / 萩原孝弘
2024年04月27日 06:41
ブルージェイズと契約するためにトロントへ向かったと報じられたが誤報
■Bジェイズ ー ドジャース(日本時間27日・トロント)
ブルージェイズのジョン・シュナイダー監督は26日(日本時間27日)、本拠地で行われるドジャース戦を前に、大谷翔平投手について語った。昨年オフにFAになった大谷の獲得に乗り出し、一部米メディアによってブルージェイズと契約するためにトロントへ向かったと報じられたが誤報。舞台裏も明かした。
最終的にはドジャースと10年総額7億ドル(約1099億円)で契約合意したが、最終候補まで残っていたとされるブルージェイズ。敵将は遺恨などについては否定。「我々が(交渉する中で)彼に提供したこと(プレゼンの内容は)について、彼はいい印象を持ってくれたと思う」と好意的に捉えているようだ。
大谷本人に非はないとはいえ、誤報はファンを一喜一憂させた。ブーイングで迎えられる可能性もあるが、「わからないな。願わくば……私にはわからないな。彼はグレートな選手だ。ファンにはファンの思うことがある。彼はここで、何も間違ったことはしていない」と話すにとどめた。そして、トロントのファンがどのような反応をするかについて「間違いなく興味深い」と語った。(Full-Count編集部)
2024年04月27日 06:40
◆ 守備の乱れに言及…
阪神がヤクルトに2−8と完敗し、10試合ぶりの黒星となった。
2024年04月27日 06:30
◆ ベテラン右腕の投球術を絶賛
ヤクルトが敵地甲子園で阪神に快勝。カード初戦をモノにした。この日は阪神先発の青柳晃洋に対し、2回に中村悠平のタイムリーと武岡龍世の犠牲フライで2点を先制。4回には阪神の守備の乱れに乗じて3点を追加し、今シーズン初登板の小川泰弘を助けた。その後も効率よく得点を重ね、8−2で勝利した。
勝利投手となりお立ち台に上った小川は「とにかくバッター1人1人強気で向かっていくことと、テンポよくチームに流れを持ってこれるようにと思ってマウンドに上がりました。 今年はチームとしてしっかりやり返せる、やり返すことができるように頑張っていきたいと思います」とチームスローガンになぞらえた決意のコメントを残した。
小川のピッチングに対し、26日放送のCSフジテレビONE『プロ野球ニュース』で解説者として出演した館山昌平氏は「もうとにかく今日は初球のストライク率がすごかったですよね。打者26人に対して24回ストライク。ストレート、カット、スライダー、カーブ、フォーク、いろんなボールを投げながら、初球を取るっていうことが、カウント進めていく上では必要になってくる」とベテラン右腕の投球術を絶賛していた。
またもう一人の解説者の谷沢健一氏は「ここまでやはり1ヶ月間、登板できなかったっていうのがね、やはりちょっと重かったですよね。投手陣がヤクルトは悪かったですから、やっと貢献できたという充実感はあるんじゃないか」と出遅れながらも初戦で結果を出せたことで安堵感もあるのではと推測していた。
開幕から遅れること約1ヶ月。燕のライアンの巻き返しに期待がかかる。
☆協力:フジテレビONE『プロ野球ニュース2024』
2024年04月27日 06:20
◆ 「反対方向に打つ意識が見えた」
ヤクルトは26日、阪神との試合(甲子園)に8−2で快勝。12安打8得点と打線が繋がりを見せた。
ヤクルト打線は2回、サンタナ、長岡秀樹の連打などで一死一・二塁とし中村悠平の適時二塁打で先制。続く武岡龍世の犠飛で2点目を奪う。4回には、中村悠平の安打などで無死満塁とし、小川泰弘が押し出しの四球を選び1点を追加。さらには西川遥輝の犠飛、丸山和郁の適時打でリードを広げた。
終わってみれば、先発野手全員安打となる12安打8得点と打線爆発。25日の広島戦(神宮)に続き2戦連続で2ケタ安打を記録した。
阪神の先発・青柳晃洋を見事に攻略したヤクルト打線について、26日放送のCSフジテレビONE『プロ野球ニュース』に出演した解説者の館山昌平氏は「かなり反対方向への打球が目立ちましたよね」と話を切り出すと、
続けて「しっかりと犠牲フライで得点を重ねてましたし、打線全体で青柳投手の低めの球を『引っ掛けないぞ』『見極めるぞ』というような、反対方向に打つ意識が見えましたよね」とチーム全体での“逆方向への意識”を高評価した。
また同番組に出演した谷繁元信氏は「アンダースローのピッチャーを攻略するには、こうやって打つんだよみたいな“お手本”を示してくれましたよね」とこちらも青柳を攻略したヤクルト打線を称賛していた。
☆協力:フジテレビONE『プロ野球ニュース2024』
2024年04月27日 06:00
広島の九里亜蓮投手(32)がデイリースポーツ読者に本音をさらけ出す一人語り『Spirit of Challenge』がスタート。今年プロ11年目にして、自身初めてとなる開幕投手も務めたタフネス右腕。第1回は『原点』をテーマに、プロ野球選手になるまでの紆余(うよ)曲折の道のりを振り返ってもらった。以下、後編。
◇ ◇
高校は岡山理大付に進学しましたが、それも豊島さんの勧めです。「全寮制の厳しいところにおまえは入って野球を続けなさい」と言われて行きました。寮生活は全然苦じゃなかったですが、練習はきつかったですね。学校に行くのも山を一つ越えて、学校が終わって、山一つ越えて、寮に戻って、反対の山を越えて球場でした。行き帰りがつらいです。坂道をランニングでずっと上っていくので、そのおかげで心身ともに強くなれたのかなと思います。
正直、やめたいと思ったことも何回かありました。やめたいという電話を親にしたこともあります。その時に「やめたいならやめれば?」とお父さんにも言われたりして、逆に「これでやめたら、ただ逃げているだけだな」と思って。そう言われた方が僕も悔しくて、やめられなかったというのはありましたね。
メンバーとしてベンチに入らせてもらったのは2年春からです。3年生の時は一応背番号1番をもらいましたけど、僕はあまり投げてないです。1学年下にカープでも一緒だった薮田(和樹)がいて、薮田が基本的にはずっと投げていました。最終的に甲子園に出られなかったですけど、精神的にも強くなれた3年間だったんじゃないかなと思います。
大学は亜大に進みました。入って初めてブルペンに入った時に周りがみんな球が速すぎて、「本当に自分はここでできるのかな」っていうのを感じたのが1番最初です。そこから生田監督に「とりあえず体重を増やさないと、おまえは試合に投げさせないから」と言われて、1年間で体重を68キロから89キロに増やしました。
20キロ増量するには食べて吐いての繰り返しですね。吐いて、またすぐに食べ物を入れるんです。それで胃袋をどんどん大きくしていく感じで太りました。朝一からチョモランマみたいに、どんぶりに白米を盛ってもらって、練習の合間にも大きいおにぎりを5個くらい食べて、夜ご飯は朝のチョモランマ盛りを2杯食べるっていう…。
そのおかげで下半身の安定感は増してコントロールのブレは少なくなりました。ただ、めっちゃ長距離走は遅くなりましたけど(笑)。走りながら太るのはキツかったですが、太って試合に投げたいという思い一心で必死に食べました。
それからは本当に試合にも投げさせていただいて。2年の秋から1学年上の東浜さん(現ソフトバンク)と一緒に先発として投げさせていただいて、リーグ5連覇して、最後の最後には神宮大会でも優勝できたので、本当に濃い4年間だったと思います。
僕は小学生の時からプロに行くと言ってました。バカにされてましたけど、ずっとそこは目指してやって、プロ野球選手になることができました。そして今、夢をかなえるために努力している人に対して僕が何か言えるとしたら、やっぱり自分の夢に対して自分で誇りを持つこと。その上で人にバカにされようが、何を言われようが、諦めずに、その夢をかなえるために突き進めば、その夢はかなうんじゃないかなと僕は思っています。
◇九里 亜蓮(くり あれん)1991年9月1日生まれ、32歳。鳥取県出身。右投げ右打ち。投手。188センチ、97キロ。岡山理大付、亜大を経て2013年度ドラフト2位で広島入団。プロ初登板初先発は新人だった14年3月29日・中日戦で初勝利。21年に13勝で最多勝。