2024年06月29日 18:27
「ロッテ−オリックス」(29日、ZOZOマリンスタジアム) パリ2024オリンピックのサーフィン男子日本代表で、千葉出身の稲葉玲王が始球式を務めた。 背番号「00」のユニホームで登場し、打者・角中に対しノーバウンド投球を披露。「千葉ロッテマリーンズさんで始球式することが1つの夢だったので、その夢が今日かなってうれしいです。思っていたよりも球場の雰囲気に緊張してしまい、震えました(笑)。普段からマリーンズの試合は見ることがあっていつも力をもらっているので今日も勝ってください!応援しています!そして僕も、千葉県・日本代表としてオリンピックでメダルを獲れるように頑張るので応援よろしくお願いします!」とコメントした。
2024年07月02日 14:35
激怒した投手を諭すかと思いきや…自らのプレーを謝罪
ヤンキースのアーロン・ジャッジ外野手のまさかの“謝罪”に同僚も驚いている。6月28日(日本時間29日)の敵地・ブルージェイズ戦では、内野の守備に対して声を荒げた投手にベンチで声をかける様子があった。キャプテンとして叱ったのではないかと話題となっていたが、真実は違ったようで、右腕が説明している。
先発したストローマンは同点の6回、無死一塁から右方向へ打球を運ばれ、二塁手・トーレスの横を抜けて右前打を許した。その後死球で満塁とすると、遊ゴロで併殺を捕れず、マウンドで声を荒げた。
矛先は二塁から一塁へ転送し、打者のゲレーロJr.をアウトにできなかったトーレスに向けられていたようで、ストローマンは続く打者に四球を与えて降板。ベンチに戻っても怒りは収まっていないようだった。
その後、守備を終えたジャッジがストローマンのもとへ向かい、話しかける様子が中継でも長時間映された。チームリーダーとして諭しているのかと思いきや、ジャッジは5回先頭のカイナーファレファが放った中前打について、自らの処理がもたついたことを謝罪していたという。
試合後に取材に応じたストローマンは、ジャッジとの会話について「ジャッジは漢だ。彼はイニングの最初に飛んだボールをもう少しいい形で処理したかったと、私に伝えたんだ。気にしてすらいなかったよ」と、まさかの謝罪に驚いた表情を見せていた。
ストローマンのコメントをうけ、ネット上では「ジャッジは嫌いになれない」「アーロンは素晴らしい人間性とキャプテンシーの持ち主だ」「ジャッジはジーターのようだ」「完璧に対処した」「本物のキャプテン」「ジャッジは全ての面において素晴らしい」と称賛の声があがっていた。(Full-Count編集部)
2024年07月02日 14:25
「日本ハム−ロッテ」(2日、エスコンフィールド)
日本ハムは今夏、エスコンフィールドで開催する「北海道肉祭り 2024 in F VILLAGE」をスタート。2日はザンギと唐揚げを取り上げた「ザンから祭り by 桜姫」が始まり、関係者向けに試食会が行われた。
北海道内はもちろん、岩手、群馬、愛知、兵庫、広島、大分など全国から10店舗がキッチンカーで出店。大谷翔平投手の故郷でもある岩手から出店している「奥州いわい」では手羽元と手羽先の「二刀流唐揚げ」を用意するなど、ご当地唐揚げをPRした。
試食会には杉浦投手、生田目投手、元ファイターズガールで、Fビレッジアンバサダーの滝谷美夢さんも参加。生田目は「おいしいです。ジューシーですね」と舌鼓。杉浦は「なかなか回るのは大変だけど、ここに来れば各地の唐揚げが食べられてありがたいですね」と話した。滝谷さんも「いろんな種類の唐揚げが食べられていいですね」と笑顔を見せた。
ちなみに「ザンギ」と「唐揚げ」の違いは?
「北海道ザンギ神島屋」によると「中国の鳥の唐揚げ『炸鶏(ザーギー)』が北海道渡ってきて『ザンギ』というなど諸説あります。北海道は寒いので、タレにつけ込んで味がしっかり目なのが特徴ですね」−だそうです。
なお、「ザンから祭り」は7日まで開催。12日〜17日までは「十勝肉祭り」、8月10日〜12日までは「超シャウ祭り」を開催する。
2024年07月02日 13:16
ロッテは2日、アンディ・マーティン(23)と育成契約を結んだことを発表した。背番号は「138」。22年までロッテでプレーしたレオネス・マーティンの弟で、今季は茨城アストロプラネッツに在籍していた。
球団を通じて「まず私を信じ、夢を実現させてくださったマリーンズに感謝します。優勝を目指して戦う準備はできています。また兄のレオネス(22年まで在籍したレオネス・マーティン選手)がチームに在籍していた期間、彼を支えてくださったマリーンズファンの皆さまにも感謝いたします。私も兄がプレーしたZOZOマリンスタジアムに立って、最高のファンの皆さまの前でプレーできることを楽しみにしています」と、コメントした。
2024年07月02日 13:08
ロッテがアンディ・マーティンの獲得を発表、背番号138
ロッテは2日、アンディ・マーティン外野手と育成契約を結んだと発表した。
2024年07月02日 12:43
オリのドラ6・古田島成龍は24登板で11ホールド、防御率0.42をマーク
ルーキーの歴史的活躍を支えた“魔球”に称賛の声が集まっている。オリックス・古田島成龍投手は6月28日のソフトバンク戦でプロ初失点。NPB新記録となる初登板からの連続無失点記録更新は果たせなかったが、快投を支える原動力となった“武器”は、データからも凄まじい威力が証明されている。
取手松陽高、中央学院大、日本通運を経て昨年ドラフト6位で入団。開幕1軍入りを果たすと、4月6日のロッテ戦でプロ初登板して1イニングを無失点。その後も快投を続け、6月23日の西武戦も無失点に抑え、初登板からの連続無失点は22試合に。広島・栗林良吏投手、楽天・宮森智志投手に並ぶプロ野球記録に並んだ。28日のソフトバンク戦で、柳町達外野手に適時打を浴びて初失点を喫したものの、その後はまたゼロを並べている。
セイバーメトリクスの観点からプロ野球の分析を行う株式会社DELTAのデータによると、ストレートの平均球速速147.2キロはパ・リーグ全体でも40位と決して速い部類ではない、しかし、ストレート100球当たりの失点増減を示す指標「wFA/C」は3.95。20投球回以上の投手では、平良海馬投手(西武)、宮城大弥投手(オリックス)を抑えて堂々の12球団1位だ。
快投を続けるルーキーの“魔球”に、ファンも興味津々の模様。「ストレートえぐない?」「惚れ惚れする威力」「ホップしてる感じがする」「レベルが違う」「投げ間違いがないんだよね」「この順位でほんとよく獲れたなぁ」と称賛の声があがっている。
昨年までパ・リーグ3連覇を果たしているオリックスは、6月終了時点でリーグ5位となかなか調子が上がっていないが、25歳ルーキーの奮闘は浮上への起爆剤となるだろうか。(Full-Count編集部 データ提供:DELTA)
データ提供:DELTA
2011年設立。セイバーメトリクスを用いた分析を得意とするアナリストによる組織。書籍『プロ野球を統計学と客観分析で考える デルタ・ベースボール・リポート1〜3』(水曜社刊)、電子書籍『セイバーメトリクス・マガジン1・2』(DELTA刊)、メールマガジン『1.02 Weekly Report』などを通じ野球界への提言を行っている。集計・算出した守備指標UZRや総合評価指標WARなどのスタッツ、アナリストによる分析記事を公開する『1.02 Essence of Baseball』も運営する。
2024年07月02日 12:18
球団カメラマンのジョン・スーフー氏が捉えた1枚
【MLB】ジャイアンツ 10ー4 ドジャース(日本時間1日・サンフランシスコ)
ドジャース・大谷翔平投手の珍しい表情にファンが注目している。1日(日本時間2日)、球団カメラマンのジョン・スーフー氏がインスタグラムを更新。大谷がサムズアップしている写真が投稿されると、「これ刺さる」「なんでしょうこのブラックジャック感」とコメントが寄せられた。
同氏は6月30日(同7月1日)に敵地で行われたジャイアンツ戦の写真を10枚投稿。1枚目は試合前に投球練習を行う大谷で、他には試合の様子やファンが楽しんでいる様子も投稿されている。その中でも話題を呼んでいるのが、4枚目に映った大谷だ。
階段を背景に、両手の親指を立てたサムズアップでパシャリ。目はやや虚ろな様子で、軽く被った帽子の下からは前髪があふれている。ファンからも「珍しい表情」「あまり見ない表情だけどこれはこれで良いーーー」「お茶目な紳士」「前髪かわいい」「前髪長いな」「珍しい表情、かっこよき」と様々な反応が寄せられている。
この試合で大谷は5打数無安打3三振と不発だったが、1日(同2日)に発表されたオールスター戦(7月16日・アーリントン)の先発出場野手を決める2次投票の中間結果では、得票率61%を集めて4年連続の選出が濃厚な展開。また、同日には、MLB公式サイトが発表した6月の「チーム・オブ・ザ・マンス」の指名打者部門に選出されるなど、6月を終えて82試合でリーグ1位の打率.316、26本塁打、OPS1.034と好調だ。(Full-Count編集部)
2024年07月02日 12:06
3日の試合は「ジャパニーズ・ヘリテージ・ナイト」として行われる
ドジャースは2日(日本時間3日)、本拠地でのダイヤモンドバックス戦を「ジャパニーズ・ヘリテージ・ナイト」として開催する。試合前にはモデル、歌手などとして活躍するAnna Ayaさんがパフォーマンスを行う予定で、ファンも「とても興奮」「レッツゴー!」と注目している。
同日は日本の文化や伝統称える「ジャパニーズ・ヘリテージ・ナイト」で、場内では限定のフードも楽しめる。試合前にはギタリストのMIYAVIさんや、DJ CREWさんらがパフォーマンスを行う。
Anna Ayaさんもライブパフォーマンスを行う予定で、自身のインスタグラムでは「いよいよ明日です! 頑張ります!」と綴った。ファンからも「おめでとう! 頑張れ!」「素晴らしいです」「美しいアンナ」とエールが寄せられている。
身長168センチのAnna Ayaさんは2004年生まれの19歳。ロサンゼルスを中心に活躍している。(Full-Count編集部)
2024年07月02日 11:36
メジャー初先発のビベンズが大興奮
【MLB】ジャイアンツ 10ー4 ドジャース(日本時間1日・サンフランシスコ)
ドジャース・大谷翔平投手から三振を奪った右腕のリアクションが注目を集めている。
2024年07月02日 11:10
2度のHR王デービスは2021年に引退も2023〜2032年まで後払い金を手にする
7月1日(日本時間2日)は、多くの元選手にボーナスや後払い金が支払われる日となっている。米メディアはオリオールズがクリス・デービス氏に900万ドル(約14億5300万円)を支払ったと報道。ファンからは「彼は高笑いをしながら銀行に向かっているだろう」「野球選手の給料はばかげている」と皮肉る声が殺到した。
デービスは2008年にレンジャーズでデビュー。2011年シーズン途中に上原浩治との交換トレードでオリオールズに移籍し、2013年には53本塁打、138打点で2冠王となった。2015年にも47本塁打を放って2度目の本塁打王に。しかしその後は怪我や不振に悩まされ、2016年以降は打率が1割後半のシーズンを何度も過ごすなど、不良債権と叫ばれる中でユニホームを脱いだ。
2016年から7年総額1億6100万ドル(約260億円)の契約を結んでおり、2037年まで15年間に渡って後払い分を受け取る体系となっている。2023〜2025年が大谷の年俸の4倍にあたる916万ドル(約14億8000万円)、2026〜2032年が350万ドル(約5億7000万円)、2033〜2037年が140万ドル(約2億3000万円)と期間によって金額は変わるが、合計5900万ドル(約95億円)全てが支払われる頃にはデービスは51歳になっている。
米国でスポーツデータを提供する「コーディファイ・ベースボール」がオリオールズのデービスへの支払いについて伝えると、「彼は全額募金をすべきだ」「彼は一瞬だけ素晴らしい選手だったけど、あとはずっと駄目だった」「彼は勝ち組だ」「史上最悪の契約!」とコメントが並んだ。
後払いはMLBでは多い契約形態で、ドジャース・大谷翔平投手も後払いの契約を結んでおり、2023年12月の契約時には大きな注目を集めた。他にもイチロー氏が同様の形でマリナーズと契約を結んでいる。(Full-Count編集部)
2024年07月02日 11:00
多くの野球ファンには好評の交流戦18試合。ところが阪神ファンにはキツイ3週間になることが多い。筆者がファンになってからの10年で6回の負け越し。その6回すべてで10位以下に沈んだ。そして今年も例外なく苦しかった。大きな要因は打線の絶不調。こうなると「常にDH制があればなぁ」なんて思ってしまう。
以前にも当コラムで触れたけど、世界のプロ野球で指名打者制度を導入してないのはNPBのセ・リーグのみ。敢えて投手を打席に立たせる理由って何なのだろう?筆者がファン目線から3つの理由を考えてみた。
DH制だとベンチワークの種類、回数が減る?
投手交代が絡む代打の選択など、醍醐味とも言える場面がなくなってしまう。野球とは身体能力だけではなく頭も使って勝つスポーツだ。
投手安打によるダメージの大きさ?
守備側とすれば「アウトで当たり前」の投手に出塁を許すと「流れ」が大きく変わる。応援していても贔屓の投手が打つと確かに盛り上がる。
昔のルールはイジらない方がいい?
そもそも野球は10人ではなく9人でやるスポーツ。投手は「投げて」「守って」そして「打つ」。そう考えるファンも多いことでしょう。
◇ ◇
ただ筆者は、個人的にの理由には賛成できません。投手の役割分担がハッキリしている現代野球で、先発完投は非常に困難。そんな状況で先発投手たちは、球種や投球の引き出しを増やして少しでも長いイニングを投げようしています。にも関わらず、打順の巡りでマウンドを降りるなんてもったいないと思うんです。
ちなみに今年の交流戦でセ球団のDHが残した数字は…。筆者の調べによると、好成績はDeNAだけ。ビジター9試合で38打数11安打の打率・289、5本塁打。他の5球団は計45試合で打率・195の3本塁打。お世辞でも「DHが機能した」とは言えません。なお、パ6球団のDHは同期間に打率・240。打点に注目するとセの20を大きく上回る33を記録しています。
この結果を見ると「セでもDH制度導入を」という機運は上がりそうにありません。DH制度導入に大賛成の筆者はガッカリしてますが、皆さんはいかがでしょうか。
◆トレバー・レイチュラ 1975年6月生まれ。カナダ・マニトバ州出身。関西の大学で英語講師を務める。1998年に初来日、沖縄に11年在住、北海道に1年在住した。兵庫には2011年から在住。阪神ファンが高じて、英語サイト「Hanshin Tigers English News」で阪神情報を配信中。
2024年07月02日 10:20
マニー・ラミレス氏は2026年まで後払い契約…3.3億円が支払われた
MLB通算555本塁打を放ったマニー・ラミレス氏は現在52歳だが、2001年から2008年途中まで在籍したレッドソックスから1日(日本時間2日)、203万3628ドル(約3億2800万円)が支払われたと米メディアが伝えた。契約後払いの今年度分が振り込まれたという。ドジャース・大谷翔平投手が今季受け取る年俸200万ドル(約3億2300万円)より高い額となる。
米国でスポーツデータを提供する「コーディファイ・ベースボール」は公式X(旧ツイッター)に「2024年年俸:マニー・ラミレス氏:203万3628ドル←今日支払い、ショウヘイ・オオタニ:200万ドル」と記した。通算2574安打を放ち、2004年には本塁打王に輝いたラミレス氏は、2000年オフにレッドソックスと8年1億6000万ドル(約258億円)で契約。2008年途中にドジャースに移籍した際、レッドソックスは残っていた3200万ドル(約51億6700万円)を16年間に渡って支払うことに合意した。ラミレス氏には、レッドソックスから203万3628ドルが2026年まで毎年支払われる。
一方、10年総額7億ドル(約1130億円)でドジャースと契約した大谷翔平投手は、総額の97%に当たる6億8000万ドル(約1098億円)が後払い。2033年まで年俸200万ドルでプレーする。残りは10年契約が終了する2034年から2043年までに利子なしで支払われる。
この事実にファンは続々反応。「(大谷は)スポーツ史上最も賢い契約を結んだ」「(大谷が)68歳になる時を想像してほしい」といった声や、ラミレスに関して「契約に見合う活躍だった」「彼は史上最も才能ある右打者の1人だった」「少ないね。(ラミレス氏には)もっとあげるべき」「いいお金の使い方」「現代の選手が結ぶ契約と比べたら、バーゲン価格だ」とSNSにはコメントが寄せられている。(Full-Count編集部)
2024年07月02日 10:09
ジャッジは今季84試合に出場して打率.316、31本塁打、82打点、OPS1.144
“怪物”打者が歴史に名を残す打棒を披露している。
2024年07月02日 10:00
6月27日に放送された『ニッポン放送ショウアップナイター DeNA−巨人』で解説を務めた山粼武司氏が、DeNA・山本祐大に大きな期待を寄せた。
山粼氏は「本当に長きにわたってDeNAの捕手を引っ張っていけるだけの素質がある。非常に有望株ですよ」と太鼓判。
「田代コーチに色々指導受けていますけど、大きいあたりを打っていくならば、スイングの振り幅をもう少し大きく振れるようになる必要がある。どうしても今は小さく、小さくコンパクトに振ろうとしてますから、ボールが飛ばない。打った時の手の伸びが出てくると、ボールは当たった時に飛距離が出てくるんですけど、山本は小さく振って手を伸ばさず返していますので、そのぶん大きい当たりが出ない」と課題を指摘しながらも、「これは今すぐやれということではなくて、徐々に。少しずつ手を伸ばして打てるようになると、この球場であれば、20発打てる力を持っていますね。そういう素質を持った選手ですね」と期待した。
(ニッポン放送ショウアップナイター)
2024年07月02日 10:00
第106回全国高校野球選手権への出場を懸け、全国各地で6月22日から地方大会が続々と開幕している。高校球児にとっては唯一無二の夢舞台。PL学園(大阪)のエースとして、春夏5度出場した巨人・桑田真澄2軍監督(56)が、今年で100周年を迎える甲子園球場について語った。春夏通算20勝は前人未到の最多記録。歴史と伝統を継承する必要性に加え、次なる100年に向けての改革も提言した。
◇ ◇
−甲子園球場が誕生から100周年を迎えた。
「自分も高校時代にプレーさせていただいた。本当に幸せ者です。長く続いているのは戦前、戦中、戦後と、時代背景が反映されてるからだと思います。先人が大切に育ててきてくれた日本の文化。この良き素晴らしい文化を、また次の100年につなげていってもらいたいと思います」
−今大会では開幕から3日間、酷暑対策として二部制が導入される。
「すごくいいと思います。大人の都合で選手たちの健康、コンディショニングを悪くするのは良くない。野球界が一つになって考えれば、大切な金の卵である高校球児を守ろうとすることは、いくらでもできる。高校野球をさらにいい文化にしていくという意味では、一歩…半歩、前進しているかなと思います」
(続けて)
「ただ、まだまだやれることはたくさんあると思います。例えば日程でも、いろんな方法がある。午前中は高校野球やって、夜はナイターでプロ野球やるというのも可能。プロ野球の一番の供給源は高校野球、高校球児だと思います。その選手を壊すことなく大事に育てるには、いろんな考え方があって、どんどん試していった方がいいと思うんですよね」
−甲子園だけじゃなく、分散開催という案も。
「それも一つの案ですが、個人的には、自分が高校球児なら甲子園じゃない球場でやっても、どうなのかなと思いますね。甲子園だからこそ意味があるんですよね」
−総合的に考えれば、期間を伸ばすのが得策。
「そうですね。資金繰りが大事だと思います。その資金はどうやって工面するか。プロ野球が協力してもいいわけですよ。商業主義廃止ということでやっていますけど、僕は時代に即したというのもすごく大事じゃないでしょうか。今の時代に、高校野球はどうあるべきかという議論は、していくべきだと思うんです。簡単なことで言えば入場料を上げるとか、放映権料を取るとか、いろいろな試みはできると思うんですけどね」
−20年のセンバツ大会から「一週間で500球以内」の球数制限を設けた。これについては。
「一歩ではなく、半歩ですね。導入は素晴らしいと評価できますが球数が500球。一週間に500球ということは、3連投しても500球以内で終わります。3連投を避けるところにはいかない。その球数制限って本当に必要ですかね。ここに球数制限+登板間隔というのが入っていると、もう10歩くらい前進するんじゃないですか」
−具体的な間隔とは。
「投げた球数にもよりますが、100球だったら何日で、110球だったら何日…80球だったら何日というね。アメリカでは10年以上前から『ピッチ・スマート』という指標が提示されています。そういったものは、どんどん導入していくべきだと思いますね」
−高校時代にはPL学園で5季連続出場。
「初めて足を踏み入れた時の雄大さって言うんですか、大きさにまずは圧倒されましたね。芝生と土、ソースのにおいが混ざった独特の香りと言いますか。なんとも言えない、大阪の人はよく分かるソースのね、ソースと芝生と土が混ざった香りがするんです。それがすごく忘れられない香りでもありますよね。今でも甲子園に行くと、同じ感じがしますよね」
−そんな独特の香りから浮かぶ思い出とは。
「当然、夏は暑さとの戦いです。僕も意識がもうろうとなりながら、マウンドに立ってた時もあります。緊張、重圧、孤独感、恐怖心が湧くんです。そこに立ち向かっていく勇気やメンタル、タフネスですかね。精神力、そういったものが非常に大事だと思います。そこに向かって挑戦したことによって、今の自分がある。あの時逃げずに挑戦したことが、非常によかったなって思いますね」
−甲子園で初めて入場行進をした時の感覚は。
「入学前は3年間で一回、出られたら良いと思っていました。それが1年生の夏でいきなり出場。あの時、行進するのにライトの後ろ…アルプスの下くらいで待っていました。今もそうですかね。あの時、阪神園芸のおじちゃんに『お前か、PLの1年坊主は』って。『甲子園は風を見て投げろよ』と言われたんです。『何言ってんねん、このおっさん』と思ったんですけど(笑)。でも、入場行進した時に風をすごく感じたんですよね。『そうか、あのおっちゃん、こういうこと言っていたんだ』と思って。浜風ですよね。それでセンターの旗を見ながらよく投げていました。入場行進の思い出はあまりないですけど、思い出すのは阪神園芸のおっちゃんのインパクト。甲子園の特徴を、教えてもらった15歳の夏でしたね」
−準決勝では池田高と対決した。前評判は池田が圧倒的だったが、結果7−0でPL圧勝。あの1勝で変わったことは。
「絶対に諦めちゃいけないということを、あの試合で学びましたね。1年前、中学生の時にテレビで見ていた水野さんや、江上さんが三塁側のベンチにいるわけですよ。信じられないですよね。先輩には『10点以内に抑えろ、大阪の恥さらすな』と言われて、なんとか9点に抑えようと。9点ということは、1イニング1点まで大丈夫かなんて思いながらです」
−初回、0点に抑えられたことで波に乗った。
「そうですね。あの回、スコアボードに0がポンと一つ付いた。1点は取られてもいいと思ったところが0だったので、あれ2点取られてもいいイニングが、次でもいいんだみたいなね。あの時2死一、三塁で、投ゴロだったんです。あの打球が抜けていたらおそらく逆の、ボコボコにやられた試合だったいます」
−桑田氏の好フィールディングで防いだ。
「今でも選手たちに伝えるのは、投げてもアウトを取れるけど、守備でもアウトは取れるよ、と。だから守備も磨いていこうと話します。アウトの取り方ってたくさんあるんです。あの試合で併殺もたくさん取ったと思うのでね。すごい先輩たちに向かっていきながら、どうやったらゴロを打たせられるかとか、いろんなことを駆使して勝てました。自分の中ではたくさんの教訓があった試合でもあるんですね」
(続けて)
「向かっていくしかないという気持ちで挑戦して、結果、ああやって勝てました。絶対、無理だって思ってしまいますけど、こういうことが起こるんだと…ある意味、野球の怖さですよね。自分が逆の立場になっても、絶対にゲームセットまで諦めなかった、気を緩めなかったっていうのは、あの池田戦があったからでしょうね。当然、プロに入った後もです。諦めずに最後まで戦えたのは、その教訓があったからかも知れないですね」
−甲子園球場では「伝統の一戦」の地としても戦った。また違う感覚。
「そうですね。高校野球と、プロ野球の甲子園は、全く別物だと思います。高校野球はアマチュアリズムと言いますか、高校生らしさが色濃く反映されている。それがたくさんの人の感動を生んで、今でも変わらず大人気なのではないですかね。プロ野球での甲子園、巨人−阪神戦は伝統の一戦と言われます。また違ったプロフェッショナルと言いますか、技術力。技術と技術との戦いみたいなイメージですね」
−「巨人軍の桑田真澄」としての甲子園とは。
「厳しさはプロの方が厳しいです。1球の失投も許されない。この1球で負けた、この1球で勝ったとかね。勝負の厳しさはプロ野球の方が、10倍以上はあるんじゃないですか。よく『野球の神様がいる』と言うんですけど、甲子園大会であれば、ある選手、あるチームに降りてくるんです。とんでもない力を与えてくれるんですが、プロ野球でもありました」
(続けて)
「僕、迷ったらマウンドを降りて、水を巻くホールの上に乗るんです。野球の神様からメッセージが降りてこないかなって、よく待ってたんですよ、ボールを見ながらね。そうすると『ここはカーブを勝負球にしろ』とか、『思い切ってインサイド、シュートを突いていけ』とか。そういう言葉がポンッと降りてきて、よくピンチを脱したこともあったんです」
−巨人のエース時代。
「あの頃を振り返っても、とんでもないトリプルプレーをしたりですね。ホームランも打ったんですけど、偶然じゃなくて。打席で構えたら『カーブを狙いなさい』って。『いや、カーブは来ないよ』とか会話をしているんですよね。分かりましたって、カーブを狙ったら本当にカーブ。そういう体験がたくさん甲子園ではあるんです。東京ドームでもよく投げていますが、そういう第一感が降りてくる、感じ取れる場所は甲子園だけかも知れないですよね」
−甲子園初出場から41年がたった。時の流れを感じることもあるか。
「毎年、思いますよ。恐ろしいですよね。時代の流れと言いますか、そんな前に自分が出ていたのか、と。15歳の時ですから、もう41年前か。恐ろしいですよね」
−全国各地で夏の大会が始まっている。高校球児に伝えたいことは。
「負けたら終わりというね、本当に究極の戦いをしています。過酷な状況で戦っている高校球児のみなさんには、やはり団結力、チームが一つになって助け合う、協力し合うということが、勝利への一番の近道だと思います。攻撃でも守備でも、力を合わせるということを意識して戦ってもらいたい。そして大事なことは、ゲームセットまで、最後の最後まで諦めないということです。ぜひ、甲子園の土を踏めるように、頑張ってもらいたいなと思いますね」
−桑田氏にとって甲子園はどんな場所か。
「高校野球の聖地であり、例えると砥石(といし)なんですよね。自分を磨いてくれる。甲子園大会っていうのは厳しいですよ。でも、そこに向かっていろんなことをチャレンジして、自分も磨いていくというね。そういう意味では砥石でもあるんじゃないかなと思います」
−多くの球児が甲子園球場を目指す。そういう場所が野球界にはある。
「場所も大事です。ただ、僕自身は甲子園に出たから偉いとか、偉くないとかではなくて、甲子園を目指すこと、大きな目標に向かって努力をしたり、挑戦したことが非常に大事だと思います。甲子園に出られなかった先輩も、後輩も仲間たちもいますが、彼らもそこを目指した。甲子園という場所を目指した大事な仲間です。頑張った仲間だからこそ高校時代もそうですが、卒業した後、それぞれの人生でも頑張れる仲間でいたいなと思います。悩んだ時、苦しい時に甲子園を思い出すと頑張れる。それぞれの人生に対して、モチベーションが上がると言いますか、目標になる場所が甲子園球場じゃないかなと思いますね」
2024年07月02日 10:00
第106回全国高校野球選手権への出場を懸け、全国各地で6月22日から地方大会が続々と開幕している。高校球児にとっては唯一無二の夢舞台。PL学園(大阪)のエースとして、春夏5度出場した巨人・桑田真澄2軍監督(56)が、今年で100周年を迎える甲子園球場について語った。春夏通算20勝は前人未到の最多記録。盟友・清原和博氏への思いも語った。
◇ ◇
「KK」−。甲子園誕生100周年の歴史を振り返る時、象徴と言うべき存在が2人ではないだろうか。伝説となった池田戦、阪神園芸のおっちゃん、野球の神様…。桑田2軍監督の思い出話が多岐にわたる中、盟友・清原和博氏の話題でほほ笑む姿が印象的だった。
運命のドラフトから確執、不仲も時代の一部ではある。ただ、同じ時代を生き、苦楽を共にした「絆」は揺るがないのだろう。四十数年前の夏を昨日のことのように振り返りながら、桑田2軍監督は「いろんないい選手がいて5季連続出場。本当にいい仲間に恵まれました」としみじみと語る。
「彼がいなかったら、僕の20勝もなかったでしょうしね。13本もホームランを打ってくれてるわけですから。KKでよくクローズアップされますけど、僕ら2人だけではこういう記録は出せなかったと思います。周りに松山(秀明=ソフトバンク2軍監督)がいたり、内匠(政博=オリックススカウト)がいたりね」
鮮明に思い出すシーンは、ピンチの場面だと言う。一塁から清原氏がマウンドに来て「桑田、フォーク使えよ。三振やぞ」と声が飛ぶ。桑田2軍監督が3年間、直球とカーブだけで打者を抑えたのは有名な話。「これで抑えられないような投手は、プロに入ってエースになれないと思っていた」のが理由だが、実は紅白戦だけはスライダー、フォークを投げていた。
「キヨには、『いや、アカンねん。オレは真っすぐ、カーブで勝負せなアカンねん』ってね。よく言っていました。2年生の時は(春、夏ともに)準優勝でしたからね。やっぱり投げるべきか、すごく葛藤はありました。僕にはジャイアンツでエースになりたいという夢があったから、3年間封印した。投げ切ったんですけど、3年生の時が一番苦しかったですね」
制限を加えたことで投球術が磨かれた。135キロ、140キロ、145キロと5キロ刻みで緩急を付けた「3種類の真っすぐ」。カーブとともに打者の特徴を見て「ここに投げると、こういうアウトが取れる」と自然と感性が磨かれた。「野球はそれだけ魅力があるスポーツ。ただ、難しいスポーツなんですよ」。現役を終えてなお、探究心に終わりがない。だからこそ、清原氏の長男・正吾が慶大で競技復帰し、プロを目指す姿が心に響いた。
「いや、うれしいですよね。何度か彼にも会ったことがあるんですけど、いろんなことにチャレンジしてもらいたいです。難しいスポーツにチャレンジする姿を見るのが、僕は非常にうれしく思います。プロ野球に…という話も記事で見ますけど、もしそうなったら非常にうれしいですよね」
野球がつなぐ絆。最後に全国の高校球児、プロの世界を目指す盟友の息子に、エールを送った。「大事なことは、ゲームセットまで、最後の最後まで諦めないということですね」。KK−2人の物語はまだ続いていく。(デイリースポーツ・田中政行)