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2026年07月28日 06:00
「ナミックスフレッシュオースターゲーム2026、パ・リーグ選抜7−3セ・リーグ選抜」(27日、ハードオフエコスタジアム新潟) 広島・佐々木泰内野手(23)がセ・リーグ選抜の「4番・指名打者」でスタメン出場し、四回に右中間二塁打を放つなど2安打で貫禄を示した。試合前には青学大時代に東都大学リーグでしのぎを削った他球団の選手たちと交流。スター候補たちとの共演で得た刺激を、後半戦の活力へと変えていく。 前夜、神宮でヒーローになった男が将来のスター候補が競演した新潟で躍動した。佐々木がセ・リーグ選抜の“顔”となる「4番・指名打者」でフル出場し、2安打をマーク。「来季からDHが導入されるので、準備の仕方をいろいろ試せました」と充実の表情で、収穫を口にした。 格の違いを見せつけたのは、四回先頭で迎えた第2打席。パ・リーグ選抜の4番手、日本ハムのドラフト1位・大川(明大)と対峙(たいじ)した。カウント1−1から150キロを捉えると、打球は右中間を真っ二つ。「あまり良くはない。左脇が空いてしまっていたので」と納得のスイングではなかったが、控えめにガッツポーズを繰り出した。九回にも杉山から中前打を放ち、2安打目を記録した。 プロ2年目の今季、開幕4番の大任を託されながらも5月に不振で2軍落ちを経験。再昇格後に巻き返したが「全く納得いかない結果。悔しい」と、前半戦は68試合で打率・247、3本塁打、10打点と苦杯をなめた。 開幕前、今季の目標の一つに掲げていたのが、オールスター出場だった。青学大同期の西川(ロッテ)やドラフト同期の岡本(広島)が1軍の球宴に初選出される中、フレッシュ球宴に出場している現状の歯がゆさは自身が一番理解している。「負けている。追い付けるように」と闘志を燃やす。 復調の兆しは見えている。前半戦最終戦となった26日・ヤクルト戦(神宮)では、同点の九回にキハダの直球をはじき返し決勝の適時二塁打。この日も力強い直球を捉えて長打にした。「そこは後半戦に向けていいかな」と、打球の力強さに手応えを感じている。 試合前には青学大後輩の小田や、同じ東都大学リーグでしのぎを削った宮下(ともにDeNA)、石井(ヤクルト)らと笑顔で会話。「一緒にプレーできて楽しかった」と、新たな刺激になった。 31日から再開するリーグ戦へ向け、チームは29日から全体練習を行う予定。28日の休養日を挟み、佐々木も29日から再始動する予定だ。「しっかり体を良い状態にして、練習で追い込めるようにやっていきたい」。若きライバルたちと過ごした貴重な時間を、後半戦の巻き返しへとつなげていく。
2026年07月29日 11:41
● ホワイトソックス 2−3 ヤンキース ○
<現地時間7月28日 レート・フィールド>
シカゴ・ホワイトソックスが東地区2位のニューヨーク・ヤンキースに2連敗。村上宗隆内野手(26)は「2番・一塁」でフル出場し、5試合連続安打をマークした。
ヤンキース先発は2023年のサイ・ヤング賞右腕コール。村上は初回の第1打席で空振り三振を喫すも、4回表の第2打席は97.0マイル(約156.1キロ)のフォーシームを捉え、右翼線へ痛烈なライナーで二塁打とした。
5回裏の第3打席は再び空振り三振。8回裏の第4打席は3番手左腕ヘッドリックに対して三ゴロに倒れ、4打数1安打、2三振という内容。今季成績は打率.240、22本塁打、OPS.920となった。
熊本県出身の村上は日本時間28日の「令和8年熊本地震」発生を受け、試合前にインスタグラムを更新。「朝から心苦しいニュースでびっくりしています。自分の命を第一に行動してください」と綴った。
2026年07月29日 11:27
ロサンゼルス・ドジャースの大谷翔平投手(32)が現地時間28日、本拠地でのマリナーズ戦に「1番・指名打者」で先発出場。第1打席で23号本塁打を放った。
後半戦10試合目で待望の一発が飛び出した。先発右腕カスティーヨに対する初回の第1打席、カウント2-2から内角低めのスライダーを振り抜くと、打球速度109.1マイル(約175.6キロ)、飛距離423フィート(約129メートル)の大飛球が左中間スタンドに着弾。今季10本目となる先頭打者アーチで貴重な先制点を奪った。
大谷は現地12日、球宴前の最終戦だったダイヤモンドバックス戦で22号本塁打をマーク。同戦以来のホーム試合で自身45打席ぶりの本塁打を記録し、本拠地ファンを熱狂させた。
2026年07月29日 11:00
南海ホークスに池之上格というガッツマンがいた。バットを極端に短く持ち、死球大歓迎の特攻野郎。現役引退後は実直な人柄と幅広い人脈を生かしたスカウトマンとして活躍した。そのイケさんが自ら仕えた6人の監督を偲び感謝の言葉を捧げるコラム。第6回は横浜大洋ホエールズ時代の監督だった古葉竹識さん。
◇ ◇
僕は古葉さんが大洋の監督をしていたころ、2年間は選手、最後の1年はスコアラーとしてお世話になってるんです。1987年からの3年間、古葉さんが監督に就任してから辞めるまで、ずっと面倒をみてもらった。
古葉さんは僕が南海に入団したころの守備走塁コーチで、このときの縁が生きたんだと思う。南海を自由契約になったタイミングで古葉さんが大洋の監督になり、運良く拾ってもらえた。
沖縄宜野湾の大洋のキャンプ地で、自主トレ中の1月に形式的な入団テストがあった。合格は決まっていて普通にプレーするだけでよかったが、太くて重い1・1キロのバットをもって、カーブマシンのボールを全部セカンドの頭上目がけて弾き返した。監督、コーチ全員が見ている前で。
事情を知っている人は“そんなに頑張らんでもいい”という顔をしていたけど、自分なりに狙いや目的を示さないと、周囲を納得させられないと思って必死だった。
あらためて合格を伝えられたときは涙が出た。これからは監督のためにやると決めた。その先兵が自分だ。練習からいっさい手を抜かずに一生懸命にやると。
広島の監督を退任後、1年のブランクを置いて大洋の監督になった古葉さんに対し、既存のコーチは冷ややかな目で眺めている雰囲気があった。お手並み拝見みたいな感じで。広島から大勢のコーチ、関係者を引き連れて入団してきたから。
古葉さんは厳しさに欠けるチームに本来あるべき姿を教え、作り上げようとしていた。だから僕にきつく当たることもあった。
中日戦で送りバントを失敗し、ナゴヤ球場のベンチ裏でもの凄く怒られたことがあった。「お前が失敗してどうするんだ」と。ベンチまで距離が近いから全部聞こえるんですよ。選手たちに。そして次の日に2軍落ち。
そのときコーチの寺岡(孝)さんに「イケ、なんで落とされたか分かってるだろ」と言われた。すぐに理解できた。あれだけ一生懸命にやっている人間でも落とされるのだから、もっと必死にやれという選手全員へのメッセージだった。
1カ月後、再昇格する日に打撃コーチだった重松(省三)さんが「イケ、ありがとう。お前が来て練習量がいかに大事かということをコイツらに教えてくれて」と言って褒めてくれた。
正直、僕は野球がヘタだった。ヘタな人間は練習するしかない。それを実践したに過ぎなかったんだけどね。
その当時、強く印象に残っている言葉がある。間接的に耳にした中日・星野仙一監督の「池之上はどういうルートで大洋に入ったのか。俺はあいつが欲しかったんや」という話。
僕のプレースタイルは「当たってでも塁に出る」というもの。1983年はシーズン16死球でパの“死球王”になった。星野さんはそういう玉砕型の選手を好んでいたのかもしれない。
(池之上の通算死球は40個。通算打席が1094だから“死球率”としては高い。通算最多死球の清原和博は9428打席で196死球。率では池之上が上回る)
野手に転向したころ僕はバットを普通に長くもっていた。だが、ブレイザー監督時代のヘッドコーチだった与那嶺(要)さんからアドバイスを受け、1グリップ半ぐらい短くもって内野の間を抜く打撃を心掛けるようになった。
死球で出塁できるのなら儲けもの。バットに当たらないのなら体に当たってでも出る。それが自分の生きる道。そのうち当たる軌道が分かるようになった。怖くはない。青あざは男の勲章ぐらいにしか思わなかった。
ところで、古葉さんの「凡事徹底」という思考も勉強になった。(阪神の藤川)球児監督も大事にしている言葉ですね。
監督なのに常にベンチから1アウト、2アウトと声を掛けていたから「どうしていつもそれを言うのか」と聞いたことがある。そしたら「俺がベンチでできるのは危機管理。分かっていることでも信用せず、繰り返して言わないとダメだ」と真剣に話していた。
大洋で現役2年を終えて球団からスコアラーへの転出を言われたとき、東京の古葉さん宅にお邪魔して現役続行を訴えたこともあった。4、5時間にわたり思いのたけをぶつけた。自分の去就の相談をしたのはそのときが初めてだった。
当夜、自宅に戻った僕はある人の助言もあり、引退に踏み切った。「いつまでもユニホームを着ることはできない」と観念し、自分自身に決着をつけた。現役を退いたあとの背広組が一番強いという考え方もある。深夜だったが、古葉さんに電話を入れて「すべてお任せします」と伝えると、安心したような様子で16年間の現役生活を労ってくれた。
翌年、古葉さんも僕も大洋を離れることになった。家内が「古葉さんと一緒に辞められてよかったね」と言ったが、僕にとってもそれは本望だった。大洋で拾われ次へのスタートを切るきっかけも作ってもらったわけですからね。セ・リーグを知ることができたのは、その後の人生で大きなプラスになった。
あの日の帰り、古葉さんがゲタをカランコロン鳴らして僕を最寄り駅まで送ってくれたことを今でも思い出す。優しい人だったなぁ。
◆池之上格(いけのうえ・とおる)1954年5月19日、鹿児島県垂水市生まれ。72年度のドラフトで右投げ右打ちの投手として南海に3位入団し80年に野手転向。87年に大洋へ移籍した。実働16年。投手時代は2勝0敗(1完封)。打者としては570試合で15本塁打、97打点、打率・269。83年はパ・リーグ最多の16死球を獲得している。
2026年07月29日 10:54
敵地でのナショナルズ戦に途中出場し5回に一発
【MLB】ナショナルズ ー Bジェイズ(日本時間29日・ワシントンD.C.)
ブルージェイズの岡本和真内野手が28日(日本時間29日)、敵地でのナショナルズ戦に途中出場すると、5回の第1打席で4試合ぶりとなる特大の今季24号を放った。
2026年07月29日 10:44
トロント・ブルージェイズの岡本和真内野手(30)が現地時間28日、敵地でのナショナルズ戦に4回裏の守備から途中出場。直後の第1打席で24号本塁打を放った。
岡本は5回表の第1打席、カウント1-2から先発右腕カバリが外角高めに投じた98.4マイル(約158.4キロ)のフォーシームを振り抜くと、打球速度103.3マイル(約166.2キロ)、飛距離415フィート(約126メートル)で中越えの24号ソロ。4試合ぶりの一発で4点差に縮めた。
岡本は現地24日のレッドソックス戦で23号本塁打を放ち、2018年の大谷翔平がマークした日本人ルーキーによる最多本塁打記録を更新。24本塁打は2002年のエリック・ヒンスキーに並び、ブルージェイズの新人最多タイ記録となった。
2026年07月29日 10:34
敵地でのナショナルズ戦
【MLB】ナショナルズ ー Bジェイズ(日本時間29日・ワシントンDC)
ブルージェイズ・岡本和真内野手は28日(日本時間29日)、敵地でのナショナルズ戦に途中出場。5回のこの日最初の打席で、センター右に4試合ぶりとなる今季24号を放った。自身が持つ日本人選手1年目の最多本塁打記録をさらに更新。豪快弾に敵地は騒然とした。
この日は休養日でスタメンを外れたものの、4回にブラディミール・ゲレーロJr.内野手に代わって守備から途中出場した。5回2死走者なしの場面で打席を迎えると、右腕ケイド・カバリがカウント1-2から投じた、98.4マイル(158.4キロ)のフォーシームを振り抜いた。
打球速度103.3マイル(約166.2キロ)、飛距離415フィート(約126.5メートル)、角度26度の一発をセンター右に叩き込んだ。これで今季24号とし、2002年のエリック・ヒンスキーに並ぶ球団ルーキーの最多本塁打記録となった。
岡本は後半戦7試合で22打数無安打と不振が続いたが、24日(同25日)のレッドソックス戦で23号3ランを放つなど2安打3打点の活躍。日本人選手の1年目の本塁打数は2018年に大谷が記録した22本で最多だったが、後半戦初アーチで“大谷超え”を果たした。
試合前時点で104試合に出場して打率.224、23本塁打、65打点、出塁率.304、OPS.745の成績を残しており、本塁打と打点はチームトップ。ア・リーグ東地区最下位と低迷するチームのなか、30歳の“ルーキー”が輝きを放っている。(Full-Count編集部)
2026年07月29日 09:53
“首の寝違え”で離脱したスミスの近況
ドジャースのウィル・スミス捕手が野球活動を再開したことが明らかになった。28日(日本時間29日)のマリナーズ戦前にデーブ・ロバーツ監督が明かした。首の負傷で長期離脱が懸念されていた正捕手の吉報に、米メディアからは「非常に良いタイミングだ」などと安堵と期待の声が上がっている。
指揮官は試合前の会見でスミスの近況について聞かれ、「実戦的なトレーニング(野球活動)を再開した。先週から痛みが引いている状態」と説明した。「実戦的なトレーニングを再開したと聞いて、興奮している。おそらくウエイト、スローイングをしたりしているだろう。胴体や体幹を動かしたり、バットもスイングしているだろう」と順調な回復ぶりを喜んだ。
スミスは6月に寝違えによる首の張りのため負傷者リスト(IL)入りしていた。今季は52試合で打率.249、6本塁打を記録し、大谷翔平投手とも好相性を見せる扇の要だ。しかしなかなか状態が回復せず、60日ILに移行し、復帰は最短でも8月中旬となる。厳しい台所事情のなか、捕手のトレード補強を行うのではとの報道もあるが、少し見通しは明るくなったようだ。
正捕手復帰の兆しに米スポーツ局「ESPN」のオールデン・ゴンザレス記者は「トレード期限が迫る中、ドジャースが捕手の補強に向けたトレードを行わずに済むことを望んでいる点において、非常に良いタイミングだ」と伝えた。地元紙「カリフォルニア・ポスト」のジャック・ハリス記者も「復帰に向けてペースを上げていけることを期待している」と綴った。(Full-Count編集部)
2026年07月29日 09:24
エンリケ・ヘルナンデスが負傷者リストから復帰
ドジャースは28日、左脇腹を痛めて負傷者リスト(IL)入りしていたエンリケ・ヘルナンデス内野手をメジャー復帰させたと発表した。
2026年07月29日 09:03
球団発表
ドジャースは28日(日本時間29日)、エンリケ・ヘルナンデス内野手を負傷者リスト(IL)から復帰させたと発表した。代わってアレックス・フリーランド内野手が傘下3Aオクラホマシティに降格となった。
キケの愛称で親しまれるヘルナンデスは内外野を守れるユーティリティプレーヤーとして重宝され、プレーオフなどでの勝負強さにも定評がある。5月27日に左脇腹を痛めて戦線離脱していたものの、終盤戦に向けて層の厚い陣容を整える上で貴重な戦力復帰となる。今季は2試合出場で
一方、5月27日にメジャー昇格を果たしていたフリーランドは、層の厚い内野陣の影響もあり、再びマイナーで実戦経験を積むことになった。今季は72試合で打率.231、3本塁打、19打点。(Full-Count編集部)
2026年07月29日 08:11
ロバーツ監督が説明
【MLB】ドジャース ー マリナーズ(日本時間29日・ロサンゼルス)
ドジャースのデーブ・ロバーツ監督は28日(日本時間29日)、投手での復帰を目指す大谷翔平投手について言及。まだまだ時間がかかるとの見解を示した。
大谷は25日(同26日)にブルペン入りすることが決まっていたが、急きょ回避した。指揮官は「彼自身が100%の確信を持てるまで、そして我々も100%確信できるまでは先に進まない」とその理由を説明した。
大谷が最後にブルペン入りしたのが22日(同23日)。2週間ぶりに力強く投げ込む姿を見せ、スイーパーなど31球を投げ込んだ。しかし以降は登板せず、一方で打者としての出場は続けている。
この日報道陣の取材に応じたロバーツ監督は「まだきょうトーマス(・アルバート・トレーナー主任)に確認していない。いつ彼が投げるのか、或いは投球を計画しているのかわからない。言うまでもなく、いつブルペンに入るのかわからない」と話した。
一方で大谷の状態については「全体的に彼(の身体の調子は)いい。日曜日(日本時間3日)は疲れていたと思う。(チーム)全員そうだったと思う。リフレッシュしてここに戻ってきたことを願っている。選手たちは遠征を(終えて)限界を突破していたと思う」とし、東海岸遠征を終えて本拠地に戻り復調することに期待した。
球界最大のスターにしてドジャースにとってもキーマンでもある。当然、起用は慎重になる。打者としては出場できているが、なぜ投手としては難しいのか。指揮官は「(専門家ではないので)詳細に話すことはできない」としつつも「私が知っていることは、(投球時)着地する時に、少し違和感を感じているということ。投球時に身体を回転させるからね。そんな感じ。でも、どう感じているかは詳細にはわからない」と話した。(Full-Count編集部)
2026年07月29日 08:00
「マイナビオールスターゲーム2026・第1戦、全セ5−7全パ」(28日、東京ドーム)
第1戦が28日、東京ドームで行われ、全セの「2番・右翼」でスタメン出場した阪神・佐藤輝明内野手(27)が初回に右翼席へ先制アーチ。昨年の第2戦に続く2年連続、通算3本目の一発を含む2安打をマークした。試合前のホームランダービーでは日本ハム・清宮幸、チームメートの森下を下して29日の決勝に進出。虎のお祭り男についてデイリースポーツ評論家の糸井嘉男氏は「さすが球界を代表するスーパースター。ホームランダービーもテルが優勝するでしょう!」と絶賛した。
◇ ◇
オールスターでも主役はテルでしたね。伊藤投手の直球を捉えた本塁打はもう打った瞬間という完璧な打球でした。お祭りとはいえなかなか打てるものではありません。ファン投票で選ばれ、1打席目から本塁打を打てる。さすが球界を代表するスーパースターです。
僕も何度か出場させていただきましたが、球宴は、選ばれし者だけが集う舞台です。試合中だけでなく、試合前やロッカーでいろんな選手と話をするのが楽しみでした。
試合前のホームランダービーも盛り上がりましたね。森下選手の9発もすごかったですし、テルの3連発もお金を払って見る価値があるものでした。富山での決勝戦も楽しみですが、もうテルが優勝するでしょう!
テルは前半戦最終戦でもバックスクリーンへ本塁打を打ちましたし、後半戦もキーマンです。巨人とのデッドヒートが予想される中、それは本人が一番、分かっているでしょう。球宴1戦目はドリス投手が好投し、大山選手にも一発が飛び出しました。後半戦に弾みが付く、阪神勢の活躍になったと思います。
2026年07月29日 08:00
「マイナビオールスターゲーム2026・第1戦、全セ5−7全パ」(28日、東京ドーム)
ともにオールスター初出場の広島・遠藤淳志投手(27)と岡本駿投手(24)は第1戦の登板はなく、29日の第2戦(富山)でマウンドに上がる見通し。
2026年07月29日 08:00
広島の斉藤優汰投手(22)が28日、広島市のマツダスタジアムで行われた投手指名練習に参加し、後半戦に向けて「あまり先を見すぎないようにやっていきたい」と一戦必勝の思いを強調した。チームは先発ローテを再編し、後半戦での巻き返しを目指す。
前回登板の22日・巨人戦(東京ド)で待望のプロ初勝利を挙げた右腕は後半戦2試合目となる8月1日・中日戦(マツダ)で先発する見込み。この日は高校野球広島大会の決勝が行われた直後のグラウンドでキャッチボールなどを行って汗を流し、「無四球で投げ切ること。それを目標に頑張りたい」と語った。
後半戦最初のカードとなる31日からの中日3連戦は床田、斉藤優、アドゥワ、次カードの巨人3連戦は栗林、森、岡本の順で先発していく見通しとなった。
2026年07月29日 07:55
BsGravityで2年目を迎えるPerformerの「TAICHIRO」
オリックスの球団公式ダンス&ヴォーカルユニットは結成13年目を迎える。2024年から新たな“挑戦”をスタートさせ、男女混成ユニット「BsGravity(ビーズグラビティ)」として活躍中。メンバーは「BsGirls」9人と「BsGuys」3人の計12人でスタジアムに彩りを増やしている。今回は2年目のPerformerの「TAICHIRO」に話を聞いた。
チームの勝利をスタンドから熱く後押しする。「僕たちが応援させていただいているチームの目標が日本一奪還なので、自分自身の目標も、日本一奪還を後押ししてそれを見届けることですね」。真剣な眼差しで、力強くうなずく。パフォーマーとしてファンと球団をつなぐ架け橋になる覚悟だ。「僕たちしかファンの皆さまを直接盛り上げることはできない分、全力で選手もお客様も盛り上げて、全員で日本一を目指しています」と、内なる闘志を熱く燃やしている。
2年目を迎え、心身ともに充実した日々を送っている。「去年は目の前の新しいことに必死でしたが、今季は少し心や時間に余裕ができて、自分と向き合う時間が増えました」と柔らかい笑みを浮かべる。視野が広がったことで、裏方のスタッフたちと笑顔で挨拶を交わすなど、周囲への気配りも忘れない。
根底にあるのは“笑顔”への強いこだわりだ。「表舞台に立つお仕事をさせていただいているので、とにかく多くの方に笑顔になっていただきたいんです。『おもしれえ』でも『あいつ何してんねん』でも、どんな笑顔でもいい。それが僕の叶えたい夢です」。少し照れくさそうに、それでも真っ直ぐな瞳で語りかける。球場全体360度に気を配り、ときにはカメラに向けて変顔をして笑いを誘うこともあるという。
そんなTAICHIROには、ストイックな一面もある。今年のオリッこデーで自ら考案して背負ったニックネームは「スレンダーニキ」。メンバーで最も身長が高く、スタイルを褒められることから名付けたが、当時は少し体重が増えていたという。
「このままではユニホームを着られないと思って、甘いものを抑えて筋トレをし、3、4か月で6キロ落としました。今の僕なら『スレンダーニキ』を背負えますね」。見事に絞り込んだ自身の身体を思い返し、誇らしげに胸を張る。心身ともに磨きをかけ、今日もファンのとびきりの笑顔を引き出すためにグラウンドを駆け回る。(Full-Count編集部)
2026年07月29日 07:40
評伝
22日に死去した板東英二さんは華やかなタレント活動が印象的だったが、プロ野球選手としても、球宴に3度出場した一流投手だった。
努力を惜しまず、明るい性格はチームメートやファンに愛された。
「あんな野球選手は見たことがなかった」。板東さんの入団当時にトレーナーを務めていた足木敏郎さん(2022年死去)は生前、そう語った。入団1年目の春季キャンプ。板東さんが腹筋運動をすれば、ゴムまりのように体が上下した。ボールを握らせれば、速球が捕手のミットへ正確に収まった。抜群のバネと制球力で周囲を驚かせた。
キャンプ中、練習後にマッサージを受けると、他の新人は「ありがとうございました」と遠慮がちに頭を下げて部屋を出たが、板東さんは違った。「これであしたもバンバン投げられまっせ」。右腕をグルグルと回した姿に、足木さんは思わず笑ってしまった。
板東さんは中学生になるまで、グラブを買ってもらえないほど、家庭が貧しかったという。苦労を重ねた少年時代もあってか、右肘痛との闘いだったプロ生活でも弱音を吐かず、痛み止めの塗り薬を肌が真っ赤になるまで塗り込んで登板した。足木さんは「泣き言は聞いたことがなかったし、怒った顔を見たことがなかった」。
足木さんはある時、番組収録のため、名古屋を訪れた板東さんに「なぜ、いつも明るくいられるのか」と尋ねると、笑顔で「そんなことはおれだって知るか」との返事が返ってきた。太陽のように明るい人柄だった。(宮島出)