2024年06月30日 05:00
U-23アジアカップで日本代表の優勝に尽力したGK小久保玲央ブライアン。中国との初戦で相手との1対1を制し、さらにウズベキスタンとの決勝では後半アディショナルタイムにPKを阻止するなど、主役級の活躍をしたことは記憶に新しい。 そのパフォーマンスもあって、「小久保をA代表に招集すべきか」との声が聞かれるようになった。果たして、そこまでの実力はあるのか。元JFA・GKコーチの田口哲雄氏にそう訊くと、「アジアカップでの仕事ぶりは素晴らしかった」と認めたうえで独自の見解を示した。 「時期尚早かなと。ここ1年、(ベンフィカBで)試合にあまり出ていません。2023-24シーズンのポルトガル2部リーグの前半戦は出場していましたが、年明けからU-23アジアカップまでほとんど起用されていません。実は、ベンフィカBにはポルトガルU-20代表のキーパーがいて、彼が怪我をしていたので小久保は先発できたらしいです。その彼が復帰して以降、小久保は控えなのでコンスタントに試合に出ていないのです」 GKの評価基準としてクラブでの出場率が重要であり、その点で田口氏は小久保に「物足りなさがあります」との結論に行き着いている。 小久保の技術的な部分は、同氏曰く「非常に良い」。 「サイズがあって、身体の使い方も上手。身体の大きさを有効活用できていて、バネもあります」 ただ、いくら才能豊かなタレントでもクラブで出番に恵まれていなければ森保ジャパンに呼ぶのは「時期尚早」となる。これはこれでひとつの見解だ。 構成●サッカーダイジェストTV編集部 【PHOTO】コンセプトはFIRE(炎)! 日本代表が新ユニホームを発表! 久保建英、長谷川唯ら選手着用ショット!
2024年07月02日 23:12
シント・トロイデンに所属する日本代表GK鈴木彩艶に、セリエA昇格組のパルマ・カルチョが興味を示しているようだ。2日、イタリアメディア『Pazzidifanta』や『スカイ・イタリア』、ベルギーメディア『HBvL』などが報じている。
現在21歳で恵まれた体躯と身体能力を武器とする鈴木は浦和レッズの育成組織から2021年にトップチームに昇格すると、在籍2年半でクラブ公式戦通算29試合に出場。昨夏にシント・トロイデンへ加入して、今季は公式戦32試合に出場した。日本代表では2022年7月にデビューを飾り、AFCアジアカップカタール2023では全試合に出場。先月はパリオリンピック2024(パリ五輪)出場を控えた U−23日本代表の一員としてアメリカ遠征に参加しており、今月3日に発表されるパリ五輪本大会のメンバー入りも期待されている。
先月中旬、鈴木にはセリエAのジェノアからの関心が伝えられていたが、今回は新たな移籍先候補としてセリエA昇格組のパルマ・カルチョが報じられた。イタリアメディアによれば、600万ユーロから700万ユーロ(約10億円から約12億円)ほどの移籍金で交渉が行われているというが、ベルギーメディア『HBvL』はシント・トロイデン側が1000万ユーロ(約17億円)のクラブ史上最高額の移籍金を希望しているとも報じられている。
パルマ・カルチョは、かつて元日本代表MF中田英寿氏や元イタリア代表GKジャンルイジ・ブッフォンらが所属していたパルマAC(パルマFC)の後継クラブ。1990年代から2000年代前半にかけてセリエA有数の強豪クラブだったが、経営状況の悪化が続き、2015年の破産でクラブが消滅。2015−16シーズンからパルマ・カルチョが新クラブとして創設され、アマチュアのセリエD(4部)から再スタートした。そこからセリエC(3部)、セリエB(2部)と毎年昇格し、2018−19シーズンにはセリエA(1部)へ復帰。2020−21シーズンに降格し、2部で3シーズンを過ごしたが、昨季はセリエBで一度も連敗することなく優勝を決め、4シーズンぶりのセリエA復帰を決めていた。
なお、現在同クラブを率いるのはファビオ・ペッキア監督。ナポリやレアル・マドリード、ニューカッスルのアシスタントコーチを歴任したのち、2019年にはアビスパ福岡の指揮官に就任。J2での挑戦は約4カ月で終わりを告げたが、ユヴェントスU−23やクレモネーゼを経て、2022年夏からパルマ・カルチョの指揮官に就任すると、先述のとおり、昨季はクラブを4シーズンぶりのセリエA復帰へと導いた。
2024年07月02日 22:00
今年初め、指導者として42歳の若さで日本を飛び出し、未知の国ベトナムの強豪ハノイFCで指揮を執ることになった岩政大樹監督。
シーズン終盤の佳境に入る中、ハノイFCは5月〜6月に見せた5連勝の快進撃もあり、中位から一気に3位まで浮上。今季残り1試合となった執筆時点で優勝の可能性は潰えてしまったが、シーズン3位以上が確定。カップ戦でもベスト4に残っており、引き続きタイトル獲得に期待がかかる。
初挑戦となる海外リーグで奮闘中の岩政監督に、ベトナムでの半年を振り返ってもらった。「予想以上に早かった」スタイルの定着と選手たちの変化
――ハノイFC監督に就任して約6か月。ここまでの挑戦を振り返っていかがですか?
「よい経験ができています。細かく振り返ると色々なことがありましたが、いつかゆっくり振り返ったとき、この半年間があって良かったなと思える経験が既にできていますね」
――就任当初から、Vリーグで主流になっているロングボール主体のサッカーではなく、小柄なベトナム人の特徴を活かしたサッカーを目指すとおしゃっていました。理想の完成形を100とすると、今の完成度は?
「半年で到達できるものを想定するなら、かなり100に近づきました。もっと細かく詰めるとしたら、70〜80といったところになりますが、半年で到達点できるところから考えると、想定の100を超えているかもしれません」
――選手たちの吸収が想像以上だったということでしょうか?
「正直、予備知識とはだいぶ違いました。連携や連動はあまり取れないと聞いていましたが、きちんと仕組みを提示して、その中でタスクを明確にすれば、選手たちはそれをピッチで表現することができました。結果的にそれが連携や連動に繋がるわけですが、そういう意味で言えば吸収は早かったし、このスタイルでやるんだという選手たちの強い意欲も相まって、予想以上に定着は早かったですね」
――岩政監督の就任した当時のハノイFCは、クラブ黄金時代を築いた主力数人が退団して過渡期にありました。そんな中、今季は積極的に若手を起用していた印象もありますが、若い選手たちの成長をどう見ていますか?
「就任当初は分からなかったのですが、ハノイだけでなく、リーグ全体も少し過渡期にあると気づきました。ハノイは数年前まで非常に力があったチームで、そこから他チームもどんどん力をつけてきて、パワーバランスが変わりつつある。
チームの特徴として感じたのは若手が多く、各ポジションに才能ある若手がいること。若手以外で言うと、フィジカルに優れた選手たちが移籍して、テクニックに優れた選手たちが残っている状況でした。今いる選手たちの特徴を生かすサッカーを考えましたし、僕自身も自分たちでボールを動かすサッカーをしたいという気持ちがありましたので、そこをうまく融合できればなと思いました。
若手たちは、伸びている者、そうではない者もいますが、起用してあげないと選手自身も気づきが得られないし、僕たちも評価できないので思い切って起用しました。ここまで第3GK以外は全員を試合で起用したはずです。それまではあまり選手間の競争心が見られなかったので、そこを刺激しつつ、全員を起用しながら結果も出して、うまく適応した選手を選ぶという形で進めてきました」
――ハノイは代表選手も多い中、代表ウィークで主力がごっそり抜けることもありました。この間のチーム練習の雰囲気や競争心をどのように刺激していったのでしょうか?
「そこはこの半年間で一番難しい部分でもありました。ハノイは6〜7人が常に代表に招集される状況で、ベトナムの代表ウィークはかなり長い期間、選手が抜けてしまうので、全員が揃わない中で準備をしないといけませんでした。就任当初の練習でも代表メンバーが離脱していましたから、この時は、今いるメンバーに代表選手よりも先にチームコンセプトを植え付けるということからスタートしました。
ただ、ベトナムの選手たちを見てみると、もともと競争心が少し足りないようにも見受けられました。試合に出られないから落ち込むというより、自分の立ち位置はこんなものだと思い込んで、そのままの気分で練習に取り組んでしまう。そういう緩んだ空気を感じたら、君たちは何を生業にしているのか、プロとしてどんな姿勢で練習に取り組むべきなのか、そういう初歩的な話もしながら説いていくことを繰り返す中で、少しずつ意識が変わってきました」ベトナムの地で示せた「信念を持って続けること」の重要性
――就任後しばらくは、なかなか勝ち切れないという試合も多かったですが、5月中旬から6月の代表ウィーク明けまでに5連勝。特に直近の試合では決定力が向上している印象です。この短期間にチームの中でどんな変化が起きたのでしょうか?
「一番大きかったのは代表戦と絡む日程的なこと。1月は代表選手が抜けた中で練習して、2月の試合に入っていきました。それから数試合やると、また代表選手が離脱して残った選手たちで準備をする。そんなことを何度か繰り返しました。
4月の中断だけオリンピック予選の中断だったので、A代表の選手たちは抜けませんでした。そこでしっかり準備期間が取れるというのは、日程を渡されたときに思い描いていました。それならば、大きな連戦もある5月が勝負になると考えていました。
2月〜4月の戦いは、出来るだけ勝ち点を拾いながらのチーム作り。この間は内容が良かったり悪かったりするのは、ある程度仕方ないと割り切っていました。4月の準備期間を経て5月に勝負をかけることは選手たちにも伝えてありましたし、ある程度想定通りに進んだというのが大きかったです。
勝ったり負けたりする中で、大事なことはチーム作りを進めることだったので、勝敗に関わらずよかった点と悪かった点を明確化し、映像で選手たちと共有して修正する。ただ、4連勝の前のハティンとの試合は(2-2で)引き分けましたし、5月勝負と考えていたのが最初の3試合(1敗2分)でつまずいてしまいました。
そこで選手たちに強く伝えたのは、全体の守備意識や献身性が欠けていたこと、コンパクトさをどう維持するのかということ。実際に結果が出なかったことで、選手たちも危機感を持ったと思います。これ以降、選手たちの意識や取り組み方が変わって、そこから4試合はコンパクトさが保てるようになり、特にボールを持たないときの連動性が高まって、結果としてチャンスやゴールの数が増えました」
――連勝街道が始まる前、4月上旬のHCMC戦では3-1で勝ったものの試合後の会見で、就任後で最低の試合だったと厳しい評価を下していました。ハーフタイムのロッカールームでは、かなり激しい檄も飛ばしていたようですが、選手たちにどのように発破をかけたのでしょうか?
「正直、そこも探り探りでした。どのぐらい強い調子で言葉を発するべきなのか。当然、日本人とは受け取り方も違うでしょう。結果として後半のパフォーマンスが上がる方向にもっていかないといけないので、そのために厳しい態度を取った方がいいのか、あるいは、さとすように伝えた方が良いのか。
当初は声を荒げることは、ほとんどなかったと思いますが、練習中にちょっと気が緩んでいるのが見えたときに少し強めに活を入れると、比較的パフォーマンスが上がる傾向が見て取れました。そこからは回数としては多くないですが、気が緩みそうな空気のときに厳しめの態度を取るようにしました。
マネジメントの部分では、色々なところで助けられたと感じていますが、(主将を務める)グエン・バン・クエットの存在が非常に大きかったですね。日本サッカーをすごくリスペクトしてくれていて、僕が目指したボールを保持しながら相手を動かしていくようなサッカーを彼自身もやりたいと共感してくれました。
彼以外の主力選手たちもそうですけど、僕が目指すサッカーに対して前向きでいてくれた。主力の彼らが、僕の伝えたことをピッチで表現しようとチーム内で共有してくれたので、そこはこの半年とても助けられた部分ではあります」
――外国人選手に依存しないサッカーを目指して、ハノイではその成果が見え始めています。では、逆にチームに足りないものを補うのが外国人選手だとしたら、助っ人に求める条件とは何でしょうか?
「やはり勝負を決める仕事ができることだと思います。ゴール前で決めきることに関しては、まだまだベトナム人選手は力不足なのは事実。そこでスペシャルな助っ人、例えばナムディンFCのラファエルソン(※元ベガルタ仙台、3季連続Vリーグ得点王)のような一発で決めてしまう力がある選手が、今のハノイに加われば相手チームはもっと対応が難しくなるので、そこは外国人選手に求める要素ではあります。
ベトナムメディアでは色々な言葉が出回っていて誤解を生んだかもしれませんが、僕は外国人選手を使わないとは一度も言ってなくて、外国人選手に依存しないサッカーをしたいと言い続けてきました。
Vリーグでは、外国人選手が後ろからパスやロングボールを入れて、受け手も外国人選手であることがほとんど。外国人選手に判断を委ねて、ベトナム人選手はこぼれ球に反応していくというサッカーになりがち。それではベトナムサッカーの発展に繋がらないと思ったので、それを変えたいと思いました」
――Vリーグのチームは外国人選手ありきのサッカーになりがちという話が出ましたが、2部では外国人選手の登録が禁止されています。カップ戦では1部と2部が試合することもありますが、実際に対戦してみてスタイルの違いは感じましたか?
「これは僕も感じた視点で、カップ戦の準々決勝でSHBダナンと試合しましたけど、彼らのサッカーは良かったですよ。ダナンは今季2部で無双して優勝を決めていますが、1部では見られないスタイルでした。外国人選手がいないことで、自分たちで判断する面白いサッカーをしていて、その分対応も難しかったです。
トレーニングマッチでは、PVFともやりましたが、自分たちでボールを動かして戦術的に戦うチームでした。この2チームが2部のトップ2ですが、どちらも1部より良いサッカーをしている印象でした。
本来そのようなサッカーができる力があるにもかかわらず、それができていないのが1部の問題なのかなとも思いました。たしかに手っ取り早く結果を求めるなら、前線にごり押しできる選手を置いて頼るという手法はよく分かるんです。でも、そこに振り切ってしまうと、結果的に選手たちの成長を阻害してしまうことになりますし、代表チームのレベルアップにもなりません。
これについてはチームを指導する監督が、このサッカーを続ければ数か月後、1年後に選手がこのように変わるんだと覚悟を持ってやるしかない。僕自身、このサッカーを選手たちと積み上げていくことを重要視してチームを作りました。
最初の数試合で結果が出ずに、色々言われることもありましたが、そこは僕も信念との戦いで、やり切ろうという覚悟で突き進み、今はこうして結果もついてきました。これは僕の自信にも繋がりましたし、信念を持って続ければ変わるのだということを少しは証明できたと思うので、ハノイのサッカーに触発されて、チャレンジする指導者がこれからどんどん出てきてくれると嬉しいです」
――かつてベトナムにも自分たちで主導権を握って勝とうとするスタイルのチームはありました。『美しいサッカー』をスローガンにしていたホアン・アイン・ザライ(HAGL)をはじめ、前ベトナム代表のトルシエ監督体制のベトナム代表もそうですが、結果が出ない中で徐々に変わってしまいました。長期的な視野が不足していると言われがちなベトナムで、チームのスタイルを根付かせるために、何か助言がありますか?
「一つはトライ&エラーを恐れずに繰り返すこと。サッカーに限った話ではないですが、トライが出来ない環境の中では、いつまでもイノベーションが起こせません。目先のことばかり考えていては、長い目で見たときにすごく出遅れてしまいます。
ハノイのサッカーを見せることで、『気づき』までは与えることができたと思います。このサッカーをやろうとすると、難しい面も確かにあって、きちんと構築しないと失敗する指導者も出てくるでしょう。でも、それはトライ&エラーの一つであって、その中でベトナムに合ったスタイルというのを構築できる指導者が生まれると思います。
もちろんサッカーのスタイルに正解はないので、今のVリーグで大半のチームがやっているようなサッカーが残ってもいいと思いますし、そうじゃないサッカーもどんどん出てきてほしい。多様性の中でいろいろなチームが、それぞれのサッカーの捉え方をする中で、5年後、10年後にベトナム人にもっと相応しいサッカーが確立されると考えています」今後は「1つのクラブで長く指揮してみたい」
――ハード面やソフト面なども含めて、この半年で見えたベトナムサッカーが抱える課題は何でしょうか。ピッチ状態とラフプレーの多さについては、記者会見でも何度か苦言を呈していたと思いますが?
「指摘すべきことは記者会見の場で伝えてきたつもりです。今質問していただいたことがほとんどなんですが、一つはやはりピッチの問題。あとはスタジアムやクラブハウスもそうですが、ハード面の改善に対して問題意識が低い気がします。この国のサッカーを長期的に強化していくためには必要なことですし、特にピッチ状態は重要な要素。
例えば、今ハノイがやろうとしているサッカーに挑戦するとき、ピッチ状態が悪い中では非常に不利。この環境下では、ロングボール主体のサッカーと対戦したとき、どうしても不利になります。ベトナム人の特徴を考えたら、良いピッチ状態で、しっかりパスを繋げるスタイルのほうが適していると思います。普段使う練習場から改善していかないといけません。
もう一点、ベトナムでは選手の怪我に繋がるような危険なプレーが横行しているように感じます。これをレフェリングで裁くことができていない。実際ハノイからも怪我人が出ましたし、危ないなと思うプレーが毎試合散見されます。
その度に第4審に対して、選手を守ってくれと要求しているんですが、現状それができていない。選手を守るためにルールがあり、それを守らせるのが審判団の大きな役目の一つなので、そこは是非改善して欲しいです」
――選手たちに指導する中で、言語化する上で最も気にかけたことは?
「そこは来る前も来てからもいろいろと考えさせられました。まず言葉があまり通じないし、通訳もサッカーに関しては素人。だから、サッカーを知らない通訳にも伝わる言葉じゃないといけない。あまり深く戦術的な指導を受けてこなかった選手たちに、どれぐらい提示すればいいのか。
プロ選手は育成年代を通り越しているわけで、ある程度自分のサッカーが出来上がっている。彼らのパフォーマンスを向上させることを考えた場合、100を伝えると、パンク気味になって逆に体が動かなくなるということが、サッカーではよくあります。
何を伝えるかは、その都度微調整しながらやってきました。色々な局面で、1つ2つの少ない原則の提示を行うことで、結果的に10のプレーを生み出すような言葉選びを心掛けました。日本時代より少ない提示で効果を出すことができましたし、選手たちもプレーしやすかったと思います。これは僕の指導者キャリアの中でも大きな経験になりました」
――以前のインタビューでは、通訳も育てる気持ちでいると語っておられましたが、サッカー通訳の重要性についてはどう感じていますか?
「来る前から通訳はとても大事だというのは何度も聞かされていましたが、実際体験してみると、その言葉の重みが違って感じられました。通訳によって変わるものは大きいんだなと感じています。
特にVリーグに関しては、外国人指導者も多くなく、日本人指導者は僕が3人目(※HCMCの三浦俊也氏:2018、サイゴンFCの霜田正浩氏:2021)で、選手も含めて日本とは交流が薄い状況。日本語が分かる人は多かったとしても、サッカーや指導を理解している人は数えるほどしかいません。
でも、よく考えればこういうステップを各国で日本人指導者が通ってきて今があるわけです。例えば、タイなんかはその恩恵を受けて、今の日本人指導者たちがいる。だから僕もここで先駆者になるんだと、ある程度割り切って努力してきたつもりですし、今後より多くの日本人指導者がベトナムで活躍できるようになればいいなと思っています」
――ハノイFCでの指導を経て、指導者またはサッカー人としての成長と収穫を感じていますか?
「たくさんあって全部は挙げられないですが、一番大きかったのはプロ監督として、シーズン終盤に自分が思い描いたチームに変化していくというのを経験するかしないかというのは大きいと思うんです。それがどの国のリーグで、どのカテゴリーだったとしても、一つ経験しておくだけで、自分の中のチーム作りに対する軸が定まることに影響してきます。
昨年の鹿島では、5位という成績の良し悪しは置いておいて、シーズン終盤戦に入っても、これが自分のサッカーだと思える瞬間がほとんどなかった。それは自分の中の大きな反省でもあって、どうすればよかったのか考えました。
今回のハノイでは、鹿島の延長線上ではありますが、少し違うチーム作りをしてみて今、公式戦の中で思い描いた通りのチームになっている。これは監督として、すごく大きな経験でした。このサッカーが自分の代名詞になりますし、僕はこういうサッカーが作れる監督だという自信と、今後の名刺代わりにもなる。
鹿島で1年半、ハノイで半年指導して、指導者としての経験値と幅が広がりました。別の国、別のチーム、別の選手を指導したことで鹿島時代の経験を多角的に見ることができるようにもなりました。本当に半年だったのかというぐらい、ハノイでは濃密な時間を過ごせています」
――指導者として次のチャレンジや描いている今後の目標は?
「ここまで比較的短いスパンで2つのクラブを指揮するというキャリアになっていますが、今後してみたいのは1つのクラブで長く指揮してみたいということ。
【インタビュー】前鹿島監督の岩政大樹に訊いた、日本を離れベトナムへ渡ったワケ
1年目というのは、与えられた選手でチーム作りをします。これはこれでやりがいがありますが、思い描くチーム作りに足りない戦力というのは当然出てくるわけで、そこを補強しながらできるのが2年目、3年目です。そういうチーム作りを40代のうちに経験したいと思っていますし、そういうクラブと出会えるといいなというのが今の願いです」
2024年07月02日 21:27
バイエルンに所属するドイツ代表MFジョシュア・キミッヒが、EURO2024準々決勝スペイン戦についての意気込みを記者会見で語った。1日、スペインメディアの『マルカ』が報じた。
キミッヒは、今大会唯一、全勝で準々決勝まで勝ち上がってきたスペイン代表と対戦することに関して、「スペイン人たちが準々決勝で我々ドイツと対戦することを喜んでいるかは分からない。一方で、もちろんドイツにとって、もっと簡単な組み合わせもあったかもしれない。けど、EURO2024で優勝のためには、スペインとの戦いを避けることは不可能だと思う」とヨーロッパの頂点に立つためには、遅かれ早かれスペインを乗り越える必要があると語った。
つづけて、「選手として、最高レベルでプレーされるこのような試合を楽しみにするのは自然なことだ」と前向きに話し、質の高い選手たちによる激突を楽しみにしていると自信をのぞかせていた。
ただ、スペインが誇る強力なウインガー、バルセロナ所属FWラミン・ヤマルとアスレティック・ビルバオ所属FWニコ・ウィリアムズには、あらためて警戒を強め、「スペインは前線に2人の優秀な選手がいる。彼らはとても興味深い存在だ。もちろん、我々はチームとして彼らを抑えるための策を持てるように努力する必要がある。間違いなく1対1の場面を何度かつくられるだろうけど、ピッチ上で何が起こるか見てみよう。どのポジションを見ても、非常に興味深い試合になるだろうね」と語っていた。
今大会はサイドバックが主戦場となっているキミッヒ。対峙が予想されるニコ・ウィリアムズとの勝負に注目が集まる。
2024年07月02日 21:06
ポルトガルメディアの『ア・ボーラ』は2日、バイエルン所属のU−20日本代表MF福井太智がレンタルでポルトガル1部のアロウカに移籍する可能性が高いと報じた。
2024年07月02日 21:04
Jリーグの公式YouTubeは7月1日、ベルギー1部のクラブ・ブルージュから浦和レッズへの移籍が決まったMF本間至恩の新潟時代のプレー集を公開した。
ベルギーに渡る前は新潟で2種登録時代を含め、6シーズンに渡って活躍した本間。動画には、ドリブル突破からのスーパーゴールや巧みなボールタッチでのチャンスメイクなど、数々の美技が収められている。
【動画】「新潟以外でたくさん点取ってね」など反響! 本間至恩の圧巻プレー集
この投稿には、以下のようなコメントが寄せられた。
「ダブルタッチうま」
「新潟から応援してます!」
「至恩のプレーが日本で見れて嬉しい」
「現状を一変できる活躍を」
「香川真司の上位互換みたい」
「これで守備もバキバキにしてくれるから最高」
「中島、松尾と高いレベルでのポジション争い期待してます!」
「新潟以外でたくさん点取ってね」
非凡なテクニックを誇る23歳アタッカーは、新天地でも存在感を発揮できるか。
構成●サッカーダイジェストWeb編集部
2024年07月02日 20:42
今季のJ1で優勝争いに絡む鹿島アントラーズに、海外記者も注目している。世界のスポーツを幅広く取り上げる『ESPN』が伝えている。
同メディアは「7年間続いたJ1タイトルへの渇望を終わらせようとする鹿島アントラーズは本物か?」と題した記事を掲載。アジアのサッカー事情に精通するガブリエル・タン記者は、国内随一の“20冠”を誇る鹿島の歴史に触れ、2018年のACL制覇を最後に優勝から遠ざかっているなかで、久々のタイトル奪取の可能性を探る。
「アントラーズは過去11年間、トップ5から脱落したことがない。2024年シーズンも後半戦に入り、順位表で2位につけているが、今シーズンはJ1で7年間続いたタイトルなしの状態に終止符を打つシーズンとなるのだろうか?」
直近のリーグ戦では、ヴィッセル神戸との上位対決を1−3で落としたが、タン氏は「彼らには確かに本当のチャンスがあるように見える」と主張する。
「タイトル獲得に挑むために必要な人材が確実に揃っている。安定した先発メンバーは、経験豊富な主力選手と新進気鋭の選手の完璧な組み合わせによって編成されている」
守護神の早川友基、最終ラインで存在感を放つ植田直通や濃野公人、ボランチで新天地を拓いた知念慶らの特長に言及。トップ下で本格ブレイクする名古新太郎については「今シーズンのリーグ戦で最も優れたプレーメーカーの一人として頭角を現している」と称賛する。
【PHOTO】ゴールのために勝利のために声を出す鹿島アントラーズサポーター(Part1)
「そしてもちろん、フォワードにはエースの鈴木優磨がいる。頑丈な身体を武器に、卓越した技術も持ち合わせており、その両方で周囲の人々に刺激を与える28歳の彼は、まさにアントラーズの成功のバロメーターだ」
またチャヴリッチ、土居聖真、柴崎岳ら実力者も挙げたうえで、「アントラーズの選手たちの質の高さは否定できない。名声のあるクラブにとって、それはこれからも変わらないだろう」と記す。
今季からチームを率いるランコ・ポポヴィッチ監督に関しては、「これまでのところ、彼はチームにその決断を後悔させる理由をほとんど与えていない」とその手腕を評価。「ポポヴィッチが本物だと証明されれば、アントラーズは7年間続いたJ1リーグのタイトル獲得の渇望を終わらせることになるかもしれない」と展望した。
かつての“常勝軍団”は、その肩書を取り戻すような結果を掴み取れるか。
構成●サッカーダイジェストWeb編集部
2024年07月02日 20:00
EURO2024は1日に決勝トーナメント1回戦が行われ、フランスがベルギーと対戦し、1-0で勝利。ベスト8進出を決めた。
前半からフランスが攻め込む時間が続き、キリアン・エムバペを中心に攻め立てるも、試合終盤まで膠着状態が続く。
その中で迎えた85分、エンゴロ・カンテのワンタッチパスを受けた途中出場のランダル・コロ・ムアニが右足を振り抜くと、相手ディフェンダーのヤン・フェルトンゲンに当たってゴールに吸い込まれ、土壇場で試合をリードする。
試合はこのまま終了し、フランスが苦しみながらも次戦に進んだ。
勝ちはしたものの、フランスは決定力不足に悩まされた。この試合センターフォワードで先発し、ゴール奪取を期待されたマルクス・テュラムだったが、放った4本のシュートは全て枠外。特に前半34分のヘディングシュートは決めておきたかった。
また、ドリブルで局面を切り開き多くのチャンスを作ったエムバペも放った4本のシュートは全て枠外。これらを含めこの試合でフランスが放ったシュート20本のうち枠内シュートはわずかに2だった。
ただ、確実にチャンスは作れており、決定力が上がれば大量得点が狙えるはずだ。シュートに行き着くまでの流れも非常に良かった。
この試合は主にエムバペの左サイドを中心とし、彼のスピードを生かしたサイド攻撃で多くのチャンスを創出。特にアタッキングサード内での突破は相手のディフェンス陣に恐怖を植え付けた。
また、それまでトップ下で先発していたアントワーヌ・グリーズマンがこの試合は右ウィングで先発。右サイドバックで先発したクンデとの連携が非常に良く、グリーズマンが中に絞って空いたサイドのスペースをクンデがオーバーラップして侵入し、クロスを上げてチャンスを演出するシーンが多かった。
しかしチャンスを多く作ったとはいえ、ビルドアップの部分でもったいないパスミスも目立った。両チームに共通することではあったが、サイドに侵入した後のラストパスの精度が良くなく、チャンスを潰してしまう場面が多々あった。このポイントは次戦、改善に注目が集まるところである。
守備は瞬発力に長けているロイス・オペンダと強靭なフィジカルを持つロメル・ルカクの2トップに対してどう対応するかに注目が集まっていたが、ウィリアン・サリバ、ダヨ・ウパメカノのセンターバックが苦労しながらもなんとか封じ込めた。
左サイドのジェレミ・ドクはクンデがカットインを阻止する場面が多く、プレーメーカーのケヴィン・デ・ブライネもエンゴロ・カンテがシャットアウト。シュート数を5本に抑える素晴らしい守備を見せた。
フランスの次戦の相手であるポルトガルも捕まえづらい選手が多いため、どのような対応をするか注目だ。
一方、ベルギーにとっては非常に苦しい試合であった。
攻撃の軸となるデ・ブライネが封じ込まれると、サイドを中心に攻めようとするが、ターゲットとなるルカクがサリバの密着マークにより仕事をさせてもらえず。
ドクらサイドプレーヤーも相手のディフェンスによって長所を活かしきれず、何度か良い形を作ってもラストパスの質が上がりきらなかった。
何より苦しかったのが交代選手を入れるタイミングがほぼなかったところだろう。
試合的には非常に拮抗していたため、1人の交代により均衡が一気に崩れるリスクがあった。そのため迂闊に交代枠を使うわけにはいかず、流れを変えられる選手の投入ができなかったことが特にベルギー側にとっては痛かった。
また、失点した後の交代選手も良くなかった。ベルギーのベンチにはPSVで今季公式戦14得点を記録し、さらなる飛躍が期待されるヨハン・バカヨコや、サイドで違いを作り出せるレアンドロ・トロサールと、同点に追いつくためのタレントが揃っていた。
ただ、ロメル・ルカクをフル出場させ、後半20分までにロイス・オペンダを交代させた決断が仇となった。
今大会は調子が上がらず、この試合でもボールタッチ数が少なかった印象のあるルカクを早めに下げ、シャルレ・デ・ケーテラーレやヨハン・バカヨコなどを投入していれば結果は違っていたかもしれない。
オペンダは前線からのプレスがかなり効いていたため、交代した後にプレスの勢いが低下。自由にパスを回されるようになってしまった。EUROの戦いは終わってしまったが、今後の立て直しに期待だ。
フランス代表、「EURO2024に出場できない6名の招集漏れスターたち」
次の準々決勝、フランスはポルトガルと対戦。
2大会前の決勝と同じカードで雪辱を果たすことができるのか。試合は日本時間の7月6日(土)午前4時にキックオフされる。
2024年07月02日 19:30
アトレティコ・マドリードは今夏の移籍市場で守備陣の若返りを図るようだ。
2024年07月02日 19:00
日本代表FW上田綺世が所属するフェイエノールトとキットサプライヤーのCastoreは1日、2024-25シーズンに向けた新ホームユニフォームを発表した。Feyenoord 2024-25 Castore Home
フェイエノールト 2024-25 Castore ホーム ユニフォーム
2024-25新ホームユニフォームは、伝統的なレッドとホワイトの半々デザインを継続。今作では差し色にブラックを用いることで、全体的に引き締まった印象を与えている。
なお、ユニフォームは7月12日の発売前のため、前面以外の詳細については不明。
背面にはクラブ創設年である1908をレタリング。この画像を見る限りでは、今作は複雑なカラーブロックデザインなのかもしれない。
デザインのテーマは、クラブとホームタウン(ロッテルダム)の誇りを体現したもの。市内にはロッテ川(デ・ロッテ)が流れ、街と水は密接な関係にある。今回のデザインはその水に触発されたもので、街の象徴である川の流れのような曲線ラインが特徴となっている。
ちなみにロッテルダムとは“ロッテ川の堤防(ダム)”という意味なのだとか。
ゴールキーパーユニフォームは、水を連想させる鮮やかなブルーを基調色に採用。
新シーズンから胸スポンサー企業は、男子用は「Euro Parcs」から「Media Markt」(ドイツに本社を置く欧州最大の家電量販チェーン店)に。女子用は「Prijsvrij Vakanties」から「QTerminals」(中東カタールのハマド港運営企業)へとそれぞれ変更となった。
上田綺世が所属!名門フェイエノールト「教えてあげたい6つのユニフォーム」
上田もビジュアルに起用された2024-25新ホームユニフォームは、7月12日にクラブ公式オンラインストアで発売となる。
2024年07月02日 18:46
北海道コンサドーレ札幌は7月2日、公式Xを更新。同日に行なわれたルヴァンカップ・準々決勝の組み合わせ抽選会に、OB代表として参加した小野伸二氏のコメント動画を公開した。
今回のドローで、札幌は横浜F・マリノスとの対戦が決定。難敵を相手に小野氏は「嫌な相手ではありますけど、こういう相手に勝つことで自信もつきますし、楽しみな試合になるんじゃないかなと思います」と語る。
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また、J1では現在7連敗中で最下位と苦境に立つ古巣に「苦しい状況は変わりなくあると思いますけど、ルヴァンカップも含めて良い成績を収められることを願っています」とエール。ファン・サポーターにも次のように呼びかけた。
「毎試合、悲しい思いをさせてしまっているなかで、ホーム・アウェー問わず来て下さっている皆様に勝利を届けられるように頑張りますので、これからも後押しをよろしくお願いいたします」
OBからの激励を受けた札幌は、次節の鹿島アントラーズ戦でトンネルを抜け出せるか。
構成●サッカーダイジェストWeb編集部
2024年07月02日 18:30
24-25シーズンからアントニオ・コンテ監督が新指揮官に就任することとなったナポリは、戦力拡大に尽力しているようだ。
移籍市場に精通するファブリツィオ・ロマーノ氏によると、ナポリは今夏、トリノに所属するイタリア代表DFアレッサンドロ・ボンジョルノの獲得を熱望しているという。
現在25歳のボンジョルノはトリノU-19出身の長身DF。23-24シーズンはセリエAで29試合に出場し、3ゴールを記録するなど、クラブの守備の要として活躍。現在開催中のEURO2024イタリア代表メンバーにも選出されていた。
そんなボンジョルノだが、今夏の移籍市場では人気銘柄に。ACミランやユヴェントスが獲得を目指す中、現在はナポリへの移籍の可能性が高まっているとのこと。同氏によると、ナポリは今週トリノ側との直接交渉を行う予定であり、3500万ユーロの移籍金を準備をしているという。ナポリはボンジョルノの獲得に本気の姿勢を見せており、同クラブを率いるコンテ監督も獲得を熱望しているようだ。
2024年07月02日 18:30
音楽とサッカーの出会い⁉――
サッカー日本代表の応援ソングを作るアーティストのGAKU-MCさん。
2024年07月02日 18:16
元日本代表MFの小野伸二氏が7月2日、フジテレビ系列のサッカー専門番組「MONDAY FOOTBALL みんなのJ」に出演。FC町田ゼルビアのトレーニングについて語った。
J1初挑戦ながら首位に立つ町田のチーム練習を、小野氏が見学。まず自身が昨年まで選手として過ごした北海道コンサドーレ札幌との雰囲気の違いに言及する。
「コンサドーレにいた時って、もっと、笑いながらじゃないけど、楽しみながらやっていたなか、(町田は)真剣だもんね」
続いて、黒田剛監督の動きに注目。「すごく周りを見ているので、選手の調子だとか、ちゃんと集中しているのか、とか。そういうのを、すごく見ているんじゃないかな」と見解を述べた。
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総じてトレーニングの内容に「素晴らしかった」と感想を口にする小野氏は、「高校っぽいというか、高校で指導を受けたような、ああいうトレーニング。一つひとつのセッションがマジできついし、みんな真剣にやっているし。強度が高過ぎて。それが試合に出ていると思いました」とコメント。
なぜ町田は強いのか。小野氏も納得したようだ。
構成●サッカーダイジェストWeb編集部
2024年07月02日 18:13
クリスタル・パレスは7月1日、日本代表MFの鎌田大地を獲得したと発表した。
英公共放送『BBC』によると、フランクフルトで薫陶を受けたオリバー・グラスナー監督との再会には、次のような期待の声が寄せられているようだ。マイケル・オリース退団のショックを和らげる補強になるとの声もある。
「非常に堅実な補強だ。フリーであることを考えればなおさらだね。選手も監督も互いをよく知っている。うまくギャップを埋めてくれるはずだ」
「オリースを失う痛手を感じるだろう。だが、カマダほどのクオリティを持つ選手の加入は役立つ。彼が『Football Manager』と同じ好選手なら、我々は宝石を手に入れたことになる」
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「またトップクラスの補強だ。クラブは素晴らしいスカッドをつくっている。必要なのは今のスター選手たちをとどめることだけだ。エキサイティングなシーズンになると思う。待ちきれない」
「経験のある選手の加入は良い。プレミアリーグではやったことがないかもしれないが、欧州と代表での経験がある。以前グラスナーとも仕事しているのは本当にボーナス。ポジティブな補強だ!」
「ようやく評価の良い前線のタレントを獲得した。オリースを失う痛手を和らげてくれるはずだ。これで必要なのはウイングとSB、それで快適なシーズンとできるはずだ。ストライカーも加わればボーナスだね」
ラツィオでは監督が代わったシーズン終盤まで出場機会に恵まれず、不本意な一年を過ごすことになった。だが、指揮官交代後は存在感を高め、契約延長の可能性が取りざたされるなど、あらためてその力を見せつけている。
恩師の下で鎌田はプレミアリーグに旋風を巻き起こせるか。その活躍を願うばかりだ。
構成●サッカーダイジェストWeb編集部
2024年07月02日 18:09
EURO2024で、苦しみながらもグループステージを突破したオランダ代表。中盤で唯一無二の存在のフレンキー・デ・ヨングが負傷で大会を欠場したものの、大黒柱のフィルジル・ファン・ダイクを中心とした堅守から攻撃に転ずるスタイルで、1988年以来の欧州王者の座を虎視眈々と狙っている。 その歴代のオランダ代表の中で、「デ・フローテ・フィール」(ビッグ4)と呼ばれた4人の天才に導かれ、10年のW杯で準優勝、その4年後の大会では3位と好成績を収めた世代がある。 国民1600万人の誇りであり、夢であった彼ら黄金世代の功績を振り返る。―――◆―――◆――― 1995年12月のボスマン判決後、エールディビジのレベルはスター選手の流出によって低下。00年のベルギーと共催したEUROでベスト4に終わったオランダ代表も、デニス・ベルカンプやデ・ブール兄弟ら中心選手が30代となり、世代交代という課題を抱えていた。しかし、オランダフットボールの低迷期は思いのほか短かった。 オランダ復活の要因のひとつが、83〜84年生まれで当時はまだ10代だったラファエル・ファン・デル・ファールト、ロビン・ファン・ペルシ、ヴェスレイ・スナイデル、アリエン・ロッベンの台頭だ。この4人は、ズラタン・イブラヒモビッチ(当時アヤックス)、小野伸二(当時フェイエノールト)、マテヤ・ケジュマン(当時PSV)らとともにエールディビジを再び活性化させ、欧州カップ戦で強豪クラブとタイトルを争えるレベルまで引き上げた。代表でも03年のEURO予選プレーオフ、スコットランドとの第2レグでファン・デル・ファールトとスナイデルがベテラン勢を引っ張り、6−0で大勝。オランダを本大会へと導いている。 育成大国オランダが輩出した4人の天才たちはビッグクラブへと羽ばたいていき、欧州の最前線でしのぎを削った。そんな彼らをオランダ人は特別な想いを込めて「デ・フローテ・フィール」と呼んだ。英語に直すと「ビッグ4」だ。【PHOTO】華やかで可憐なスタジアムの華!EUROで躍動する名手たちの妻、恋人、パートナーら“WAGs”を一挙紹介!
「4人とも『自分が最高の選手だ』と思っていた」 そうファン・デル・ファールトが述懐する通り、この世代に比類なき才能が集まった。そのエゴがひとつにまとまると、08年のEUROでイタリア(3−0)とフランス(4−1)を圧倒する破壊力抜群のオランダ代表が姿を現わす。しかし、彼らがまとまりを欠くと、12年のEUROのような3戦全敗の惨劇がオランダ国民を待ち受けていた。「デ・フローテ・フィール」は当時のオランダ総人口1600万人の誇りであり夢であると同時に、敗北の責任を負う立場でもあったのだ。 この4人より先輩の80年生まれで、欧州屈指のストライカーでありながら「デ・フローテ・フィール」のヒエラルキーに割って入ることのできない名手がいた。それがディルク・カイトだ。4人のような華麗なテクニックは持たなかったが、カイトは自身の能力を熟知していた。「レンガだけで家はできない。彼らをしっかりと繋ぎ合わせるセメント役が必要なんだ。それが僕だった」 その言葉通り、カイトは無尽蔵のスタミナと献身性を発揮して、彼らとともに10年のW杯準優勝、14年のW杯3位に大きく貢献した。
4人の天才たちは、14年のW杯でのファン・デル・ファールトのメンバー落ちに端を発して、一人また一人とオレンジ色のジャージを脱いでいく。その間、遅々として世代交代が進まず、オランダは16年のEURO、18年のW杯と連続でメジャー大会への出場権を逃し、暗黒の時代を迎えてしまう。 4人の中で最後までオランダ代表で戦い続けたのがロッベンだった。その最後の試合は17年10月、ロシアW杯予選の最終節スウェーデン戦だ。33歳のロッベンはキャプテンマークを巻き、鬼気迫る勢いでゴールを目指すと2度もネットを揺らしてみせた。自らのゴールでチームを勝利へと導いたロッベンだったが、虚しくもオランダはロシアW杯行きを逃してしまう――。 この時はまだ誰も気づいていなかった。スウェーデン戦で奪ったロッベンの2ゴールが、後のオランダ再興の礎になることを。この勝利でUEFAランキング(97年〜17年にかけてEURO予選や本大会のシードを決めるために使用された)で、オーストリアをかわして12位に浮上したオランダは、翌18年からスタートしたUEFAネーションズリーグで強豪国が集まる最上位のグループAに滑り込むことができたのだ。 その大会で主軸のフィルジル・ファン・ダイクやメンフィス・デパイ、若手だったフレンキー・デ・ヨングやマタイス・デ・リフトらが躍動。準優勝を果たして暗黒時代を脱し、再び国際舞台へと戻ることができたのだった。※ワールドサッカーダイジェスト5月2日号の記事を加筆・修正