2024年07月02日 22:00
今年初め、指導者として42歳の若さで日本を飛び出し、未知の国ベトナムの強豪ハノイFCで指揮を執ることになった岩政大樹監督。 シーズン終盤の佳境に入る中、ハノイFCは5月〜6月に見せた5連勝の快進撃もあり、中位から一気に3位まで浮上。今季残り1試合となった執筆時点で優勝の可能性は潰えてしまったが、シーズン3位以上が確定。カップ戦でもベスト4に残っており、引き続きタイトル獲得に期待がかかる。 初挑戦となる海外リーグで奮闘中の岩政監督に、ベトナムでの半年を振り返ってもらった。「予想以上に早かった」スタイルの定着と選手たちの変化 ――ハノイFC監督に就任して約6か月。ここまでの挑戦を振り返っていかがですか? 「よい経験ができています。細かく振り返ると色々なことがありましたが、いつかゆっくり振り返ったとき、この半年間があって良かったなと思える経験が既にできていますね」 ――就任当初から、Vリーグで主流になっているロングボール主体のサッカーではなく、小柄なベトナム人の特徴を活かしたサッカーを目指すとおしゃっていました。理想の完成形を100とすると、今の完成度は? 「半年で到達できるものを想定するなら、かなり100に近づきました。もっと細かく詰めるとしたら、70〜80といったところになりますが、半年で到達点できるところから考えると、想定の100を超えているかもしれません」 ――選手たちの吸収が想像以上だったということでしょうか? 「正直、予備知識とはだいぶ違いました。連携や連動はあまり取れないと聞いていましたが、きちんと仕組みを提示して、その中でタスクを明確にすれば、選手たちはそれをピッチで表現することができました。結果的にそれが連携や連動に繋がるわけですが、そういう意味で言えば吸収は早かったし、このスタイルでやるんだという選手たちの強い意欲も相まって、予想以上に定着は早かったですね」 ――岩政監督の就任した当時のハノイFCは、クラブ黄金時代を築いた主力数人が退団して過渡期にありました。そんな中、今季は積極的に若手を起用していた印象もありますが、若い選手たちの成長をどう見ていますか? 「就任当初は分からなかったのですが、ハノイだけでなく、リーグ全体も少し過渡期にあると気づきました。ハノイは数年前まで非常に力があったチームで、そこから他チームもどんどん力をつけてきて、パワーバランスが変わりつつある。 チームの特徴として感じたのは若手が多く、各ポジションに才能ある若手がいること。若手以外で言うと、フィジカルに優れた選手たちが移籍して、テクニックに優れた選手たちが残っている状況でした。今いる選手たちの特徴を生かすサッカーを考えましたし、僕自身も自分たちでボールを動かすサッカーをしたいという気持ちがありましたので、そこをうまく融合できればなと思いました。 若手たちは、伸びている者、そうではない者もいますが、起用してあげないと選手自身も気づきが得られないし、僕たちも評価できないので思い切って起用しました。ここまで第3GK以外は全員を試合で起用したはずです。それまではあまり選手間の競争心が見られなかったので、そこを刺激しつつ、全員を起用しながら結果も出して、うまく適応した選手を選ぶという形で進めてきました」 ――ハノイは代表選手も多い中、代表ウィークで主力がごっそり抜けることもありました。この間のチーム練習の雰囲気や競争心をどのように刺激していったのでしょうか? 「そこはこの半年間で一番難しい部分でもありました。ハノイは6〜7人が常に代表に招集される状況で、ベトナムの代表ウィークはかなり長い期間、選手が抜けてしまうので、全員が揃わない中で準備をしないといけませんでした。就任当初の練習でも代表メンバーが離脱していましたから、この時は、今いるメンバーに代表選手よりも先にチームコンセプトを植え付けるということからスタートしました。 ただ、ベトナムの選手たちを見てみると、もともと競争心が少し足りないようにも見受けられました。試合に出られないから落ち込むというより、自分の立ち位置はこんなものだと思い込んで、そのままの気分で練習に取り組んでしまう。そういう緩んだ空気を感じたら、君たちは何を生業にしているのか、プロとしてどんな姿勢で練習に取り組むべきなのか、そういう初歩的な話もしながら説いていくことを繰り返す中で、少しずつ意識が変わってきました」ベトナムの地で示せた「信念を持って続けること」の重要性 ――就任後しばらくは、なかなか勝ち切れないという試合も多かったですが、5月中旬から6月の代表ウィーク明けまでに5連勝。特に直近の試合では決定力が向上している印象です。この短期間にチームの中でどんな変化が起きたのでしょうか? 「一番大きかったのは代表戦と絡む日程的なこと。1月は代表選手が抜けた中で練習して、2月の試合に入っていきました。それから数試合やると、また代表選手が離脱して残った選手たちで準備をする。そんなことを何度か繰り返しました。 4月の中断だけオリンピック予選の中断だったので、A代表の選手たちは抜けませんでした。そこでしっかり準備期間が取れるというのは、日程を渡されたときに思い描いていました。それならば、大きな連戦もある5月が勝負になると考えていました。 2月〜4月の戦いは、出来るだけ勝ち点を拾いながらのチーム作り。この間は内容が良かったり悪かったりするのは、ある程度仕方ないと割り切っていました。4月の準備期間を経て5月に勝負をかけることは選手たちにも伝えてありましたし、ある程度想定通りに進んだというのが大きかったです。 勝ったり負けたりする中で、大事なことはチーム作りを進めることだったので、勝敗に関わらずよかった点と悪かった点を明確化し、映像で選手たちと共有して修正する。ただ、4連勝の前のハティンとの試合は(2-2で)引き分けましたし、5月勝負と考えていたのが最初の3試合(1敗2分)でつまずいてしまいました。 そこで選手たちに強く伝えたのは、全体の守備意識や献身性が欠けていたこと、コンパクトさをどう維持するのかということ。実際に結果が出なかったことで、選手たちも危機感を持ったと思います。これ以降、選手たちの意識や取り組み方が変わって、そこから4試合はコンパクトさが保てるようになり、特にボールを持たないときの連動性が高まって、結果としてチャンスやゴールの数が増えました」 ――連勝街道が始まる前、4月上旬のHCMC戦では3-1で勝ったものの試合後の会見で、就任後で最低の試合だったと厳しい評価を下していました。ハーフタイムのロッカールームでは、かなり激しい檄も飛ばしていたようですが、選手たちにどのように発破をかけたのでしょうか? 「正直、そこも探り探りでした。どのぐらい強い調子で言葉を発するべきなのか。当然、日本人とは受け取り方も違うでしょう。結果として後半のパフォーマンスが上がる方向にもっていかないといけないので、そのために厳しい態度を取った方がいいのか、あるいは、さとすように伝えた方が良いのか。 当初は声を荒げることは、ほとんどなかったと思いますが、練習中にちょっと気が緩んでいるのが見えたときに少し強めに活を入れると、比較的パフォーマンスが上がる傾向が見て取れました。そこからは回数としては多くないですが、気が緩みそうな空気のときに厳しめの態度を取るようにしました。 マネジメントの部分では、色々なところで助けられたと感じていますが、(主将を務める)グエン・バン・クエットの存在が非常に大きかったですね。日本サッカーをすごくリスペクトしてくれていて、僕が目指したボールを保持しながら相手を動かしていくようなサッカーを彼自身もやりたいと共感してくれました。 彼以外の主力選手たちもそうですけど、僕が目指すサッカーに対して前向きでいてくれた。主力の彼らが、僕の伝えたことをピッチで表現しようとチーム内で共有してくれたので、そこはこの半年とても助けられた部分ではあります」 ――外国人選手に依存しないサッカーを目指して、ハノイではその成果が見え始めています。では、逆にチームに足りないものを補うのが外国人選手だとしたら、助っ人に求める条件とは何でしょうか? 「やはり勝負を決める仕事ができることだと思います。ゴール前で決めきることに関しては、まだまだベトナム人選手は力不足なのは事実。そこでスペシャルな助っ人、例えばナムディンFCのラファエルソン(※元ベガルタ仙台、3季連続Vリーグ得点王)のような一発で決めてしまう力がある選手が、今のハノイに加われば相手チームはもっと対応が難しくなるので、そこは外国人選手に求める要素ではあります。 ベトナムメディアでは色々な言葉が出回っていて誤解を生んだかもしれませんが、僕は外国人選手を使わないとは一度も言ってなくて、外国人選手に依存しないサッカーをしたいと言い続けてきました。 Vリーグでは、外国人選手が後ろからパスやロングボールを入れて、受け手も外国人選手であることがほとんど。外国人選手に判断を委ねて、ベトナム人選手はこぼれ球に反応していくというサッカーになりがち。それではベトナムサッカーの発展に繋がらないと思ったので、それを変えたいと思いました」 ――Vリーグのチームは外国人選手ありきのサッカーになりがちという話が出ましたが、2部では外国人選手の登録が禁止されています。カップ戦では1部と2部が試合することもありますが、実際に対戦してみてスタイルの違いは感じましたか? 「これは僕も感じた視点で、カップ戦の準々決勝でSHBダナンと試合しましたけど、彼らのサッカーは良かったですよ。ダナンは今季2部で無双して優勝を決めていますが、1部では見られないスタイルでした。外国人選手がいないことで、自分たちで判断する面白いサッカーをしていて、その分対応も難しかったです。 トレーニングマッチでは、PVFともやりましたが、自分たちでボールを動かして戦術的に戦うチームでした。この2チームが2部のトップ2ですが、どちらも1部より良いサッカーをしている印象でした。 本来そのようなサッカーができる力があるにもかかわらず、それができていないのが1部の問題なのかなとも思いました。たしかに手っ取り早く結果を求めるなら、前線にごり押しできる選手を置いて頼るという手法はよく分かるんです。でも、そこに振り切ってしまうと、結果的に選手たちの成長を阻害してしまうことになりますし、代表チームのレベルアップにもなりません。 これについてはチームを指導する監督が、このサッカーを続ければ数か月後、1年後に選手がこのように変わるんだと覚悟を持ってやるしかない。僕自身、このサッカーを選手たちと積み上げていくことを重要視してチームを作りました。 最初の数試合で結果が出ずに、色々言われることもありましたが、そこは僕も信念との戦いで、やり切ろうという覚悟で突き進み、今はこうして結果もついてきました。これは僕の自信にも繋がりましたし、信念を持って続ければ変わるのだということを少しは証明できたと思うので、ハノイのサッカーに触発されて、チャレンジする指導者がこれからどんどん出てきてくれると嬉しいです」 ――かつてベトナムにも自分たちで主導権を握って勝とうとするスタイルのチームはありました。『美しいサッカー』をスローガンにしていたホアン・アイン・ザライ(HAGL)をはじめ、前ベトナム代表のトルシエ監督体制のベトナム代表もそうですが、結果が出ない中で徐々に変わってしまいました。長期的な視野が不足していると言われがちなベトナムで、チームのスタイルを根付かせるために、何か助言がありますか? 「一つはトライ&エラーを恐れずに繰り返すこと。サッカーに限った話ではないですが、トライが出来ない環境の中では、いつまでもイノベーションが起こせません。目先のことばかり考えていては、長い目で見たときにすごく出遅れてしまいます。 ハノイのサッカーを見せることで、『気づき』までは与えることができたと思います。このサッカーをやろうとすると、難しい面も確かにあって、きちんと構築しないと失敗する指導者も出てくるでしょう。でも、それはトライ&エラーの一つであって、その中でベトナムに合ったスタイルというのを構築できる指導者が生まれると思います。 もちろんサッカーのスタイルに正解はないので、今のVリーグで大半のチームがやっているようなサッカーが残ってもいいと思いますし、そうじゃないサッカーもどんどん出てきてほしい。多様性の中でいろいろなチームが、それぞれのサッカーの捉え方をする中で、5年後、10年後にベトナム人にもっと相応しいサッカーが確立されると考えています」今後は「1つのクラブで長く指揮してみたい」 ――ハード面やソフト面なども含めて、この半年で見えたベトナムサッカーが抱える課題は何でしょうか。ピッチ状態とラフプレーの多さについては、記者会見でも何度か苦言を呈していたと思いますが? 「指摘すべきことは記者会見の場で伝えてきたつもりです。今質問していただいたことがほとんどなんですが、一つはやはりピッチの問題。あとはスタジアムやクラブハウスもそうですが、ハード面の改善に対して問題意識が低い気がします。この国のサッカーを長期的に強化していくためには必要なことですし、特にピッチ状態は重要な要素。 例えば、今ハノイがやろうとしているサッカーに挑戦するとき、ピッチ状態が悪い中では非常に不利。この環境下では、ロングボール主体のサッカーと対戦したとき、どうしても不利になります。ベトナム人の特徴を考えたら、良いピッチ状態で、しっかりパスを繋げるスタイルのほうが適していると思います。普段使う練習場から改善していかないといけません。 もう一点、ベトナムでは選手の怪我に繋がるような危険なプレーが横行しているように感じます。これをレフェリングで裁くことができていない。実際ハノイからも怪我人が出ましたし、危ないなと思うプレーが毎試合散見されます。 その度に第4審に対して、選手を守ってくれと要求しているんですが、現状それができていない。選手を守るためにルールがあり、それを守らせるのが審判団の大きな役目の一つなので、そこは是非改善して欲しいです」 ――選手たちに指導する中で、言語化する上で最も気にかけたことは? 「そこは来る前も来てからもいろいろと考えさせられました。まず言葉があまり通じないし、通訳もサッカーに関しては素人。だから、サッカーを知らない通訳にも伝わる言葉じゃないといけない。あまり深く戦術的な指導を受けてこなかった選手たちに、どれぐらい提示すればいいのか。 プロ選手は育成年代を通り越しているわけで、ある程度自分のサッカーが出来上がっている。彼らのパフォーマンスを向上させることを考えた場合、100を伝えると、パンク気味になって逆に体が動かなくなるということが、サッカーではよくあります。 何を伝えるかは、その都度微調整しながらやってきました。色々な局面で、1つ2つの少ない原則の提示を行うことで、結果的に10のプレーを生み出すような言葉選びを心掛けました。日本時代より少ない提示で効果を出すことができましたし、選手たちもプレーしやすかったと思います。これは僕の指導者キャリアの中でも大きな経験になりました」 ――以前のインタビューでは、通訳も育てる気持ちでいると語っておられましたが、サッカー通訳の重要性についてはどう感じていますか? 「来る前から通訳はとても大事だというのは何度も聞かされていましたが、実際体験してみると、その言葉の重みが違って感じられました。通訳によって変わるものは大きいんだなと感じています。 特にVリーグに関しては、外国人指導者も多くなく、日本人指導者は僕が3人目(※HCMCの三浦俊也氏:2018、サイゴンFCの霜田正浩氏:2021)で、選手も含めて日本とは交流が薄い状況。日本語が分かる人は多かったとしても、サッカーや指導を理解している人は数えるほどしかいません。 でも、よく考えればこういうステップを各国で日本人指導者が通ってきて今があるわけです。例えば、タイなんかはその恩恵を受けて、今の日本人指導者たちがいる。だから僕もここで先駆者になるんだと、ある程度割り切って努力してきたつもりですし、今後より多くの日本人指導者がベトナムで活躍できるようになればいいなと思っています」 ――ハノイFCでの指導を経て、指導者またはサッカー人としての成長と収穫を感じていますか? 「たくさんあって全部は挙げられないですが、一番大きかったのはプロ監督として、シーズン終盤に自分が思い描いたチームに変化していくというのを経験するかしないかというのは大きいと思うんです。それがどの国のリーグで、どのカテゴリーだったとしても、一つ経験しておくだけで、自分の中のチーム作りに対する軸が定まることに影響してきます。 昨年の鹿島では、5位という成績の良し悪しは置いておいて、シーズン終盤戦に入っても、これが自分のサッカーだと思える瞬間がほとんどなかった。それは自分の中の大きな反省でもあって、どうすればよかったのか考えました。 今回のハノイでは、鹿島の延長線上ではありますが、少し違うチーム作りをしてみて今、公式戦の中で思い描いた通りのチームになっている。これは監督として、すごく大きな経験でした。このサッカーが自分の代名詞になりますし、僕はこういうサッカーが作れる監督だという自信と、今後の名刺代わりにもなる。 鹿島で1年半、ハノイで半年指導して、指導者としての経験値と幅が広がりました。別の国、別のチーム、別の選手を指導したことで鹿島時代の経験を多角的に見ることができるようにもなりました。本当に半年だったのかというぐらい、ハノイでは濃密な時間を過ごせています」 ――指導者として次のチャレンジや描いている今後の目標は? 「ここまで比較的短いスパンで2つのクラブを指揮するというキャリアになっていますが、今後してみたいのは1つのクラブで長く指揮してみたいということ。 【インタビュー】前鹿島監督の岩政大樹に訊いた、日本を離れベトナムへ渡ったワケ 1年目というのは、与えられた選手でチーム作りをします。これはこれでやりがいがありますが、思い描くチーム作りに足りない戦力というのは当然出てくるわけで、そこを補強しながらできるのが2年目、3年目です。そういうチーム作りを40代のうちに経験したいと思っていますし、そういうクラブと出会えるといいなというのが今の願いです」
2024年07月05日 00:00
EURO2024で準々決勝に進出したスペイン代表。2000年代中盤に入ってから世界を席巻し、EUROで2回、ワールドカップで1回優勝するなど黄金期を作ったチームだ。
今回は『FourFourTwo』から「スペイン代表の歴史上最も偉大なミッドフィルダー」のTOP10をご紹介する。10位:サンティ・カソルラ
サンティ・カソルラは怪我に苦しめられなければもっと伝説的な選手になったはずだ。2010年のワールドカップには出場できなかったが、その前後のEUROで優勝を果たしている。
両足で素晴らしいボールを蹴ることができる彼は2008年から2019年の間にスペイン代表で81試合に出場して15ゴールを決めた。9位:ジョゼップ・グアルディオラ
グアルディオラの優れた戦術的思考は、バルセロナとスペイン代表の中盤の中心でプレーしていたときからも明らかだった。知性と技術を武器に深い位置からゲームを作り、多くのタイトルを手にした。
スペイン代表では47試合にしか出場していないが、EURO1996を前にハビエル・クレメンテ監督と対立し、1998年のワールドカップを怪我で欠場していなければ、もっと多くのプレーをしていたはずだ。8位:ルイス・エンリケ
スポルティング・ヒホンでキャリアをスタートし、その後レアル・マドリーとバルセロナの両方でプレーしたルイス・エンリケ。エネルギーと闘争心に溢れたミッドフィルダーとして長く活躍した。
スペイン代表では11年のキャリアで62試合に出場し、12ゴールを奪取。監督としてもバルセロナとスペイン代表を率いて成功を収めている。7位:ルイス・スアレス
ルイス・スアレスは1950年代から60年代にかけて活躍した選手で、バルセロナでは攻撃的ミッドフィルダーとして、インテルでは深い位置のディープライン・プレーメーカーとしてゲームを作った。
攻撃を組み立てる能力から「エル・アルキテクト(建築家)」と呼ばれたスアレスは、1964年にスペイン代表をヨーロッパネーションズカップ優勝に導き、バロンドールを獲得した。今なお同賞に輝いたスペイン人選手は彼だけである。6位:ダビド・シルバ
ダビド・シルバは2010年ワールドカップの開幕戦でスイスに敗れたあとは1試合しか出場せず、優勝に貢献はできなかった。しかしその前後のEURO2008とEURO2012では重要な役割を果たし、後者では決勝戦でゴールも決めた。
スペイン代表としては125試合に出場して35ゴールを奪取。類稀な技術と攻撃センスで素晴らしい創造性をもたらした。5位:シャビ・アロンソ
世界最高クラスのパスレンジを持ったプレーメーカーのシャビ・アロンソは、2008年から2012年の間にいつもスペイン代表の中心で活躍し、3つのビッグタイトルに大きく貢献した。
EURO2008ではいくつかの試合でキャプテンマークも巻き、EURO2012ではフランス戦で2ゴールを奪取。現在レヴァークーゼンを率いてその知性を指導者として発揮している。4位:セスク・ファブレガス
EURO2008とEURO2012の決勝で先発出場したセスク・ファブレガス。2010年のワールドカップ決勝ではベンチスタートだったが、アンドレス・イニエスタの決勝点をアシストして大きく貢献した。
2006年に代表デビューした彼は10年以上に渡って招集され、100試合以上に出場。アーセナル、バルセロナ、チェルシーなどで長く活躍した。3位:セルヒオ・ブスケツ
セルヒオ・ブスケツは2008-09シーズンにジョゼップ・グアルディオラ監督によってバルセロナのトップチームへと引き上げられて以来、世界最高クラスのアンカーとして長く君臨し続けた。
2010年のワールドカップとEURO2012でスペイン代表の優勝に大きく貢献したほか、国際試合で140試合以上に出場するという偉業を成し遂げた。2位:アンドレス・イニエスタ
イニエスタは2010年のワールドカップ決勝でオランダ相手にゴールを決め、優勝の立役者になった選手だ。スペインの歴史上最も重要なシュートであったといえる。
サッカー界で最もエレガントな選手の一人だった彼は、EURO2012でも大会最優秀選手に選ばれるほどの活躍を見せた。バルセロナでも長く中心的な存在となり、2回の三冠を達成している。
130億円以上の選手も!「歴史上最も高額な移籍をしたスペイン人スター」TOP10 1位:チャビ・エルナンデス
2008年から2012年までEUROを2回、ワールドカップを1回優勝したスペイン代表のスタイルは「ティキ・タカ」。バルセロナでそれを実現させた司令塔がチャビ・エルナンデスであった。
ジョゼップ・グアルディオラ監督の下でパスサッカーのスタイルを完成させ、EURO2008では大会最優秀選手に選出された。
2024年07月04日 23:30
MF鎌田大地のクリスタル・パレス移籍も決まり、徐々にイングランド・プレミアリーグでプレイする日本人選手が増えてきた。
新シーズンはリヴァプールMF遠藤航、アーセナルDF冨安健洋、ブライトンFW三笘薫、そこに鎌田も加わることになる。すでに攻撃面では三笘が大きなインパクトを残しているが、鎌田もそれに続けるだろうか。クリスタル・パレスを指揮するのは、フランクフルトで鎌田と仕事をこなしたオリヴァー・グラスナーだ。鎌田の特長を理解してくれている人物でもあるため、かかる期待は大きい。
クラブのスティーブ・パリッシュ会長は鎌田のことを「ここ数シーズンの欧州サッカー界で最高の攻撃的MFの1人」と絶賛しており、中盤からクリスタル・パレスの攻撃陣を自由自在にコントロールする姿が期待されている。
『ESPN』も鎌田が重要戦力になれるはずと見ており、プレミアへの適応も問題なく進むはずと期待を寄せる。
「フランクフルトでの最後の2シーズンは、鎌田にとっておそらく最高の時間だったはずだ。鎌田はそれぞれ9ゴールと16ゴールをマークした。彼の得点能力は、2023-24シーズンにセントラルMFがわずか1ゴールしか決めていないパレスにとって、有益な補強となるはずだ。プレミア特有のフィジカル面はアジアの選手が適応に苦労する分野だったが、鎌田のこれまでの欧州での経験(ヨーロッパリーグ優勝を含む)を考えると、問題はないはずだ。彼は細身に見えるかもしれないが、その中には闘志あふれる性格と意欲が隠れている。それがなければ、彼がここまでの成功を収めることはなかっただろう」
「もちろんチーム間の競争は激しいため、鎌田が自動的に先発メンバーに入るとは限らない。ジェフェルソン・レルマやウィル・ヒューズといったベテラン選手に加え、イングランド代表の新星でもあるアダム・ウォートンは1月の加入からすぐにインパクトを与えた。それでも、鎌田がグラスナーの下で見せていたフランクフルト時代のパフォーマンスを取り戻すことができれば、彼を外すことは不可能となるのではないか」
2023-24シーズンは怪我に苦しんだ三笘の完全復活にも期待したいところで、新シーズンはプレミアで攻守にわたって躍動する日本人選手の姿に期待だ。
2024年07月04日 23:12
4日、2024−25シーズンのブンデスリーガの日程が発表された。
2023−24シーズンは、開幕から圧倒的な強さを見せたレヴァークーゼンが、クラブ史上初の優勝を飾ると同時に、リーグ史上初の無敗優勝を成し遂げて幕を閉じた。来る2024−25シーズンのオープニングマッチには、その“王者”が登場。日本代表DF板倉滉が所属するボルシアMGとのアウェイゲームに臨む。同試合は現地時間8月23日の20時30分(日本時間で27時30分/24日の3時30分)にキックオフを迎える。
第1節その他8つの試合は、24日から25日にかけて開催される。2022−23シーズンまで前人未到の11連覇を達成しながら、2023−24シーズンはレヴァークーゼンに覇権を譲ったバイエルンは、敵地でのヴォルフスブルク戦でシーズンがスタート。ヴァンサン・コンパニ新監督の下、今夏はDF伊藤洋輝を迎え入れ、覇権奪還を狙う。
また、MF堂安律が所属するフライブルクはシュトゥットガルトと、MF奥川雅也が所属するアウクスブルクはブレーメンと、双方ホームで対戦。クラブ史上初の1部に臨むFW町野修斗所属のホルシュタイン・キールは、ホッフェンハイムの本拠地に乗り込む。今月3日に鹿島アントラーズからMF佐野海舟の完全移籍加入を発表したマインツは、ホームにウニオン・ベルリンを迎える。
オープニングマッチを除く第1節の正確な開催日時は現時点で決まっておらず、7月15〜19日を目処に、第1節から第5節の正確なスケジュールが明かされる。
なお、ブンデスリーガ開幕の約1週間前、現地時間17日には、DFLスーパーカップが開催される。本来は前年度のブンデスリーガ王者とDFBポカール王者が相見える大会だが、レヴァークーゼンが国内2冠を達成したこともあり、ブンデスリーガを2位で終えたシュトゥットガルトが繰り上げで出場する。こちらは現地時間17日の20時30分(日本時間で27時30分/24日の3時30分)にキックオフ。また、同16日から19日にかけては、DFBポカールの1回戦も行われる予定だ。
また、最終節は来年5月17日の15時30分(日本時間で22時30分)に一斉開催される予定。レヴァークーゼンは敵地で佐野所属のマインツと、伊藤所属のバイエルンは敵地でホッフェンハイムと、ドルトムントはホームで町野所属のホルシュタイン・キールと、それぞれ対戦する。
2024−25シーズンのブンデスリーガにおける、開幕節と最終節の対戦カードは下記の通り。
■ブンデスリーガ開幕節・対戦カード
▼2024年8月23日(金)
ボルシアMG vs レヴァークーゼン
▼8月24日(土)〜25日(日)
ライプツィヒ vs ボーフム
ドルトムント vs フランクフルト
ホッフェンハイム vs ホルシュタイン・キール
フライブルク vs シュトゥットガルト
アウクスブルク vs ブレーメン
ヴォルフスブルク vs バイエルン
マインツ vs ウニオン・ベルリン
ザンクト・パウリ vs ハイデンハイム
■ブンデスリーガ最終節・対戦カード
▼2025年5月17日(土)
ライプツィヒ vs シュトゥットガルト
ドルトムント vs ホルシュタイン・キール
ホッフェンハイム vs バイエルン
ハイデンハイム vs ブレーメン
フライブルク vs フランクフルト
アウクスブルク vs ウニオン・ベルリン
マインツ vs レヴァークーゼン
ボルシアMG vs ヴォルフスブルク
ザンクト・パウリ vs ボーフム
【動画】ブンデスMVPに輝いたヴィルツのプレー集
Der #Bundesliga-Spieler der Saison 2023/24 ⚽️ Florian #Wirtz!@bayer04fussball #FC24 @easportsfcde #BundesligaPOTM pic.twitter.com/gZA76F0iiV— BUNDESLIGA (@Bundesliga_DE) May 20, 2024
2024年07月04日 22:05
バイエルンのセカンドチームに所属するMF福井太智が、プリメイラ・リーガ(ポルトガル1部リーグ)のアロウカへレンタル移籍することが決まった。
2024年07月04日 22:00
EURO2024でベスト8まで進むも、批判の声も多いイングランド代表。本来のパフォーマンスを出せていない選手が多い中、安定したパフォーマンスで評価を上げている選手もいる。それがDFマーク・グエーイ(23)だ。
チェルシーの下部組織出身のグエーイはその後トップチームに昇格するも、出場数はわずか2試合。スウォンジーへのレンタル移籍を経て、2021年夏に現在も所属するクリスタル・パレスへ移籍を果たした。
パレスで着実にキャリアを積み重ねていったグエーイは怪我で今回のEURO招集外となったハリー・マグワイアの代役を務める形でここまでのイングランド代表の守備を支えている。以前からアーセナルやリヴァプールなどプレミアリーグのクラブからは熱視線が送られていた同選手だが、EUROでのパフォーマンスを受け、レアル・マドリードも興味を示し始めているという噂も浮上。さらに英『Daily Mail』によると、バルセロナやユヴェントスといったクラブも興味を示しているとのこと。
プレミアリーグのクラブだけではなく、欧州のビッグクラブによる争奪戦の可能性も浮上してきたグエーイだが、英『THE Sun』によると、パレスはバイエルンへの移籍が噂されるマイケル・オリーセと同等の5000万ポンド(約102億円)程度をグエーイの移籍金として要求しているという。
パレスとグエーイの現行契約は残り2年となっており、ステップアップを果たす時が近づいてきている。チーム自体は苦戦を強いられているEUROで存在感を発揮するCBは今夏欧州ビッグクラブによる争奪戦となるのか、注目だ。
2024年07月04日 22:00
かつての日本代表選手はそのほとんどが高体連や大学の出身者であったが、現在はJクラブのユース出身者が多くを占めている。
ユースに落ちた選手が高校の名門へ行く。そんな寂しい現状もあるが、逆にそうした状況をうまく生かすことで以前よりも結果を残している高校もある。鳥取県の米子北高校はその一つに挙げられるだろう。
米子北高校は現在14年連続(19回)で全国高校サッカー選手権に出場しており、地方の中でも人口が少ない鳥取という地にありながら近年、非常に優秀な選手を輩出している。
ここではそんな米子北高校の出身で、「世界に飛び出したサッカー選手」たちをご紹介しよう。佐野海舟
【高校以降のキャリア】
米子北高校
町田ゼルビア
鹿島アントラーズ
マインツ(ドイツ)
先日マインツへの移籍が決まった佐野海舟は、米子北高校の名前を広めた一人であろう。
岡山県津山市出身で、高校は隣県のサンフレッチェ広島ユースを目指したが不合格に。次に関西の高校を希望したがこちらも受からず、鳥取県の米子北へ進学した。
父親はアルペンスキー大回転の選手で、天性の身体能力は息子にも受け継がれていた。1年からレギュラーを獲得すると、3年連続で全国高校サッカー選手権に出場。プロからも注目される存在となり、2019年に当時J2だった町田ゼルビアへ加入した。
昨年、鹿島アントラーズに移籍。次々とこぼれ球を拾う姿が“佐野回収”としてすぐに話題となり、当時の岩政大樹監督から「日本代表に入れる才能」と高く評価された。その言葉通り同年に代表入りを果たすと、今年のアジアカップにも出場している。
なおその出足の速さは数字でも証明されており、Jリーグが公開する今季の『トップスピード』項目において全体の15位となる34.9km/hを計測している。佐野航大
【高校以降のキャリア】
米子北高校
ファジアーノ岡山
NECナイメーヘン(オランダ)
昨シーズン小川航基との日本人コンビでオランダを席巻した佐野航大は、佐野海舟の3歳下の実弟だ。
海舟とは入れ替わりだったため一緒にはプレーしていないが、同じ米子北高校に通い3年連続で全国高校サッカー選手権に出場。2021年のインターハイでは決勝で松木玖生(現FC東京)を擁する青森山田高校に敗れたものの、大会の優秀選手に選ばれている。
卒業後はJ2のファジアーノ岡山へ加入し、地元出身のスターに。海外志向はなかったがU-20日本代表の試合を重ねる中で世界との差を痛感し、昨夏NECへの移籍を決断した。
昨年までU-20代表の活動がメインだったため、U-23代表は今年3月に初招集されている。アピールする時間が短くパリ五輪は惜しくもバックアップメンバーとなったが、A代表への初招集と兄弟での競演は時間の問題だろう。昌子源
【高校以降のキャリア】
米子北高校
鹿島アントラーズ
トゥールーズ(フランス)
鹿島アントラーズ
町田ゼルビア
日本サッカーの最高峰であるJ1リーグで首位に立つ町田ゼルビア。そのクラブでキャプテンを務めているのが米子北高校出身の昌子源だ。
兵庫生まれで中学はガンバ大阪のジュニアユースに所属した。同期には天才・宇佐美貴史がおり、後年「悔しい思いしかしていない。挫折ですよね」と語っているように中3の頃にはチームを離れ、そのままサッカーを辞める予定だったという。
しかし父親の知人の紹介で鳥取の米子北高校へ進学する。昌子の父親はサッカーの指導者でインストラクターも務めており、そのアシスタントだったのが米子北高校の中村真吾コーチ(現在の監督)、さらに父の大学時代の後輩が当時の城市徳之監督だった。
昌子はそれまでFWだったが高校でセンターバックへ転向している。これが大きな転機となり、2年夏のインターハイ準決勝でプロ注目のFW赤崎秀平(佐賀東高)を抑え込み脚光を浴びた。
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その後2011年に鹿島アントラーズへ加入し、米子北高校出身初のJリーガーに。さらに昌子は同校出身初の日本代表となり、2018年のロシアワールドカップに出場すると世界的なFWであるコロンビア代表のファルカオを封じ込めた。
2024年07月04日 21:08
浦和レッズは7月6日、J1第22節で湘南ベルマーレと浦和駒場スタジアムで対戦する。この一戦に先立ち、クラブの公式YouTubeがMF伊藤敦樹のインタビューを公開した。
浦和出身で幼少期から駒場に通っていたという伊藤は、同スタジアムの印象を次のように語っている。
「紙吹雪のイメージが強い。たぶん勝った試合だと思うが、一番印象に残っている。よく行っていた場所で、試合を観に行くだけではなく、遊び場所としても行っていた。浦和の街にあるし、自分にとって身近な場所だった」
【動画】浦和MF伊藤敦樹が語った駒場での思い出
地元での試合に向けて、「いま浦和でサッカーをしている子供たちに夢を与えて、浦和をサッカーの街と認識してもらうために、レッズが強いチームでいなければいけないと思うので頑張りたい」と意気込んだ。
対戦相手の湘南にも、浦和出身で古巣戦となる山田直輝や岡本拓也が在籍している。ピッチ上で、様々な想いがぶつかり合うゲームとなりそうだ。
構成●サッカーダイジェストWeb編集部
2024年07月04日 21:01
Jリーグは4日、今夏開催される「明治安田Jリーグワールドチャレンジ2024 powered by docomo」に出場するトッテナムおよびニューカッスルのアカデミーチームと、Jリーグ選抜U−15のエキシビジョンマッチを開催することを発表した。
2024年07月04日 21:00
5日からいよいよ準々決勝が始まるEURO2024。
好カード目白押しの激闘を前に、今大会ここまでの試合で目に付いた、adidas、Nike、Pumaという3大メーカー以外のスパイクを履いている選手をピックアップする。ハリー・ケイン(イングランド)
FW/バイエルン・ミュンヘン所属
着用スパイク:スケッチャーズ SKX_01 ロー
まずは“スリーライオンズ”のエースストライカー。ハリー・ケインは、スケッチャーズのサッカースパイクを履いていることで知られる。
今大会でも『SKX_01 ロー』を着用。ここからの爆発が期待される。アントニオ・リュディガー(ドイツ)
DF/レアル・マドリー所属
着用スパイク:アンダーアーマー マグネティコ エリート 3
ラ・リーガ、CLに続く栄冠を狙うアントニオ・リュディガー。今大会では、耳なし芳一を思わせるグラフィックの『マグネティコ 3』を着用している。
ヒール部分にゴールドで入れられた「★★★☆」は、ドイツが歴代最多となる4度目のEURO優勝を目指していることを表すとみられる。フェルミン・ロペス(スペイン)
MF/バルセロナ所属
着用スパイク:アンダーアーマー シャドウ エリート 2
パリ五輪にも出場することが決まったスペインの若手注目株、フェルミン・ロペスが履いている『シャドウ 2』は、アウトソールにカーボンを使用したスピード・アジリティ重視モデル。ブカヨ・サカ(イングランド)
FW/アーセナル所属
着用スパイク:ニューバランス フューロン v7+ プロ
ブカヨ・サカはラウンド16のスロバキア戦、負傷したキーラン・トリッピアに代わり左サイドバックも務めた。『フューロン v7+』を駆る22歳は今後の起用法にも注目が集まる。エベレチ・エゼ(イングランド)
MF/クリスタル・パレス所属
着用スパイク:ニューバランス フューロン v7+ プロ
利他的なプレーを得意とする“10番”、エレベチ・エゼも同じく『フューロン v7+』を着用。新シーズンはクリスタル・パレスで鎌田大地のチームメイトになる予定(移籍しなければ)。ユライ・クツカ(スロバキア)
MF/スロヴァン・ブラチスラヴァ所属
着用スパイク:ミズノ モレリア ネオ 4 β JAPAN
今大会、スタにスラフ・ロボツカ、オンドレイ・ドゥダと組んだ中盤が話題を呼んだユライ・クツカは、2022年からのミズノユーザー。『モレリア ネオ 4 β』は天然皮革とニット素材が融合した海外で人気のモデルだ。アーダーム・ナジ(ハンガリー)
MF/スペツィア
着用スパイク:ミズノ モレリア ネオ 4 β JAPAN
アーダーム・ナジもミズノの『モレリア ネオ 4 β』を着用。ナジは前回大会出場時、Nikeの『ティエンポ レジェンド 8 エリート』を履いていたので、天然皮革のスパイクが好きで乗り換えたのかもしれない。
アントニン・バラーク(チェコ)
MF/フィオレンティーナ
着用スパイク:パントフォラドーロ スーペルレッゲーラ 2.0
最後は前回大会と同様、激レアメーカー「パントフォラドーロ(Pantofola d'Oro)」のスパイクで参戦したアントニン・バラーク。
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着用する『スーペルレッゲーラ 2.0』は、イタリアのアスコリで19世紀に創業した彼らのアイデンティティが凝縮されたカンガルー皮革の一足となっている。
2024年07月04日 20:30
イングランドの実質2部であるチャンピオンシップのハル・シティに所属するジェイデン・フィロジェネ(22)はプレミアリーグのクラブへの移籍を希望しているようだ。
23-24シーズンはハルで公式戦33試合に出場し、12ゴール6アシストをマークした同選手はバルセロナとの関係が噂されていた。バルセロナは来夏に買取義務が発生する1年間のローン移籍を検討しており、クラブへ正式なオファーを提出していたと独『Sky Germany』や『FootballTransfers』が報じていた。
しかし移籍市場に精通しているファブリツィオ・ロマーノ氏は自身のXにて「ジェイデン・フィロジェネのバルセロナ移籍は、プレミアリーグ移籍を優先しているため、現在は複雑で実現の可能性が低い状況となっている」と報道。選手自身はプレミアリーグへの移籍を希望しているようだ。
さらに同氏によると、すでにエヴァートン、クリスタル・パレス、そして22年ぶりのプレミア復帰となるイプスウィッチが同選手にオファーを送っている模様。近日中に決定が下される予定となっているようだ。
ドルトムントやパリ・サンジェルマン(PSG)といったクラブもフィロジェネに興味を持っていたようだが、注目のウインガーは今夏プレミアリーグへのステップアップを果たすのか。
Jaden, that is#hcafc | @McVities pic.twitter.com/tjo5RipQtG— Hull City (@HullCity) February 13, 2024
2024年07月04日 20:19
マンチェスター・ユナイテッドは4日、現在男子トップチームを率いるエリック・テン・ハフ監督との契約を、2026年6月30日まで延長したことを発表した。
2023−24シーズンが終了した段階で、マンチェスター・ユナイテッドの新監督候補には、チェルシーを去ったマウリシオ・ポチェッティーノ氏、バイエルンを去ったトーマス・トゥヘル氏、ブレントフォードの監督を務めるトーマス・フランク氏、かつてマンチェスター・ユナイテッドでアシスタントコーチやスカウトを務め、現在はイプスウィッチで指揮を執るキーラン・マッケンナ氏、そしてEURO2024を戦うイングランド代表のガレス・サウスゲート氏などの名前が挙がっていた。テン・ハフ監督については今夏退任の噂も取り沙汰されていたが、今回の公式発表により、来季も続投することが決定した。
イギリスメディア『スカイスポーツ』によると、従来のマンチェスター・ユナイテッドとテン・ハフ監督の契約は、2025年6月30日までとなっており、この契約には1年間の延長オプションも付随していたという。公式に明かされているわけではないものの、今回の契約延長は、この延長オプションを行使した形だと見られている。
現在54歳のテン・ハフ監督は、現役時代に母国のトゥウェンテやユトレヒトなどで活躍。現役引退後は指導者に転身し、古巣のトゥウェンテのユースチームでキャリアをスタートさせると、その後はPSVのトップチームでアシスタントコーチを務めただけでなく、バイエルンのセカンドチーム、ユトレヒトのトップチームなどで監督を歴任してきた。
2017年12月からはオランダの名門であるアヤックスの監督に就任。2018−19シーズンは国内2冠とチャンピオンズリーグ(CL)準決勝進出を達成するなど、通算3度のエールディヴィジ優勝と2度のKNVBベーカー(カップ戦)優勝へ導き、ヨハン・クライフ・スハール(オランダスーパーカップ)のタイトルももたらした。
2022年夏にはマンチェスター・ユナイテッドの監督に就任した。就任初年度となった2022−23シーズンはプレミアリーグを3位で終え、クラブに2シーズンぶりのCL出場権をもたらしただけでなく、カラバオ・カップ(EFLカップ)を制し、6シーズンぶりにタイトルも獲得。2年目の2023−24シーズンは、FAカップ決勝で宿敵のマンチェスター・シティを破り、8シーズンぶりにFAカップのトロフィーを掲げたが、プレミアリーグではなかなか上位進出を果たせず、最終的には8位でフィニッシュ。1992−93シーズンのプレミアリーグ創設以降、クラブの最低順位を更新するという屈辱のシーズンを過ごしていた。
契約延長に際し、テン・ハフ監督はクラブを通してコメントを発表。就任してからの2年間をポジティブに捉えたものの、名門復活のためにはまだまだやるべきことがあると主張し、来季以降に向けて意気込みを綴った。
「このクラブで仕事を継続することに合意できて、とても嬉しく思っている。この2年間を振り返ると、2つのトロフィーを獲得し、私が就任した時よりも進歩した例を数多く見ることができる。私自身は、誇りを持ってこの2年間を振り返ることができる」
「しかし、マンチェスター・ユナイテッドに期待されるレベル、つまりイングランドとヨーロッパのタイトルに挑戦するレベルに到達するためには、まだ多くのハードワークが必要だということも明確にしなければならない。クラブとの話し合いの中で、我々はその目標に到達するためのビジョンで完全に一致することができた。今は、我々全員がその旅を共にすることで結束している」
また、今夏新たにスポーツ・ディレクター(SD)に就任したダン・アシュワース氏もクラブを通してコメントを発表。テン・ハフ監督との契約延長に至った背景に言及しつつ、来季以降のチームに期待を寄せた。
「過去2シーズンに2つのトロフィーを獲得したことで、エリックは欧州サッカー界で最も安定し、成功を収めた監督の一人としての記録をさらに強固なものにした」
「このクラブの昨シーズンを振り返った結果、改善すべき点が浮き彫りになったが、同時にエリックこそ、基準と結果を向上させるため、チームを託すべき最高のパートナーであるという明確な結論に達した。この選手とスタッフのグループは、すでにトップレベルで戦い、勝利する能力があることを示している。これからは、より一貫した姿勢でその能力を体現する必要がある」
「強化されたフットボール・リーダーシップ・チームが揃った今、我々はエリックと手を取り合い、このクラブに対して、我々が抱いている共通の野望を達成することを楽しみにしている」
【ハイライト動画】FAカップ決勝の振り返りはこちらから!
2024年07月04日 20:05
ラツィオに所属していた鎌田大地のクリスタル・パレス移籍が決まった。
2024年07月04日 20:00
Jリーグ史上最強のチーム鹿島アントラーズを率いた石井正忠監督は、昨年11月23日にタイ代表指揮官に就任した。
1999年にアカデミーのコーチから指導者キャリアを始め、2017年5月まで常勝軍団鹿島を約19年支え続けた。
Jリーグ、天皇杯、ルヴァン杯を制覇し、2016年に開催されたクラブワールドカップではJリーグクラブ史上最高成績となる準優勝へ導いた。
2021年からタイ1部ブリーラム・ユナイテッドの指揮を執り、2年連続で国内三冠(リーグ、協会オープンカップ、リーグカップ)を達成して前人未到の金字塔を打ち立てた。8月13日にタイ代表のテクニカルディレクター(TD)へと就任するも、9月18日に退任した。
紆余曲折を経てタイ代表に指揮官に就任した石井監督をQolyがインタビューを実施。
第4弾は大宮アルディージャ監督時代、無所属期間に勤めていた意外な職業、サポーターから気づかされた経験について語った。
※諸事情により1年前に取材した内容を掲載いたします。
(取材日2023年6月15日)古巣から突然のオファー
―-大宮アルディージャの監督に就任した経緯を教えてください。
最初に大宮へ行ったときは、リーグ戦(J1)がもう残り3試合でオファーを受けました。J1に残留したい想いで大宮はそういう決断をしたと。だからその3試合にまず指揮を執ってもらいたいということでした。だから本当に突然でびっくりしました。もともと大宮はNTT関東というところから始まっていて、僕は(現役選手時代に)NTT関東にいましたから。そこから「クラブを助けてほしい」というお願いがあって、応えたいと思ってオファーを受けたんです。苦しんだ大宮時代
――大宮はJ2に降格してしまいましたが、翌シーズンはJ1参入プレーオフで敗退。苦しい時期が続きました…。
まずJ2で戦うことが初めてでした。J2にどんなクラブがあるのかもまったく分からなかった。そこで最初につまずいたんですね…。だからそこが後々まで響いてしまった。それは経験のなさがあったと思いますね。1年でJ1に復帰するという想いでやったんですけど、そこが達成できなくて本当に悔しくて…。1年で復帰できなかったので、自分から「辞めます」とクラブに話しました。
――苦しい時期を過ごされた中、大宮で得た経験や知見はありましたか。
それは先ほど言った「J2での戦い方」がJ1とは違うと強く思いました。それは何かというと、J2は自分たちの良さを出して戦うというより、相手のストロングを消して戦うチームが多かった。そこはかなり戸惑った部分でした。そこをもうちょっと分かっていれば、違う戦い方ができたんじゃないかとすごく反省していますね。
――リーグが変わることによって当然状況は変わります。タイではつまずくことなく成功され続けています。環境の適用力や、選手やチームの特性・特徴を見抜く部分は大宮で培われたのでしょうか。
それもあります。最初はサムットプラーカーン・シティというタイ1部リーグでも中位にいたチームにいました。そこでも難しさは感じました。でも適応することは大宮時代に、しっかりリーグを見て、分析して戦わないといけないと学びましたよね。家族のために給食センターへ転職!
――大宮を退任されたあと、1年間休養を取られました。なぜこのタイミングに休養したのでしょうか。
いままでプロ選手としてやってきて、すぐアントラーズでコーチとして雇ってもらいました。またコーチもずっと長い間やっていて、監督になって、さらに家族との時間もなくなってということをずっと続けてきた。
ちょうどその年に娘が小学校6年生でした。これから中学校、高校と部活に入ったら家族との時間が本当になくなるなと思いました。なので、その1年は1回サッカーから離れた環境で、家族との時間を作ることが1番の理由ですね。
――鹿嶋市の給食センターの調理員をされていたとお聞きしました。給食センターではどのような仕事をされていましたか。
僕は(給食センターの)会社の社員になりました。実際に野菜を切ったり、料理を作る仕事はパートの方がメインでやります。調理をしたことは少ないんですけど、僕はそれをサポートする社員でした。
給食センターに勤めた理由は、「娘との時間を取るために1番どの職業がいいか?」と考えたときに、学校関係の仕事をすると娘とスケジュールが一緒になるからです。だからやってみようかなと思ったんですね。もともと僕の実家が日本料理屋で、料理も結構できるから興味はありました。それで思い切ってチャレンジしてみました。
――給食センターですと、夏休みや冬休みもスケジュールが合いますよね。
そうなんですよ(笑)。あと仕事の終わりが早いです。朝は早いんですけど、終わるのも3時ぐらいに大体終わります。例えば近所の子供と一緒にサッカーしたりとかもできるので、そういうのも含めて、時間を取るために給食センターに就職しました。
――給食センターから得た経験で、いまも生かせていることはございますか。
安全、安心に給食を作らなきゃいけないので、すごく衛生面がしっかりしています。あとグループワークが連動していてすごいんですよ。そういうところの仕事の細かさと、グループでしっかり仕事をやっていく部分。給食センターの現場リーダーの方が女性だったんですけど、その方がいろんなグループをまとめいく。組織をうまく動かすために何をしていたのかをよく見ていました。そこはサッカーと一緒で、勉強になりましたね。
――栄養学の面では学びはありましたか。
そこはそんなにですね。もともと体育大学を出ていて、そういう知識は少しはあったので。そこの部分ではないですけど、小学生は好き嫌いがあったりするじゃないですか、野菜が嫌いだったりね。好きなメニューのときには食べ残しが少ないんだけど、苦手なメニューなら残る量が多いことも。そういうのを見ていると、小学生年代の栄養指導は、もっとあってもいいかなと思いました。川崎であったサポーターとの出会い
――給食センターで働いている間は、年間パスを購入して鹿島を観戦していたと聞きました。お客さんの視点で得た学びはありましたか。
僕は鹿島に限らず、川崎フロンターレやガンバ大阪にも行っていたんですよ。サポーターの方々は、どれだけの想いで試合を見に来ているのか。何となく分かっていましたけど、実際に自分でやってみるのとでは違うじゃないですか。チケットを取って、電車を乗り継いでスタジアムで観戦するとか。自分で体験したくてやってみたんですよ。
だから鹿島スタジアムだったら、(自宅から)あっという間、すぐじゃないですか。でも、フロンターレに行ったときは雨の日で、最寄り駅でタクシーを待っている列がすごかった。川崎のサポーターが待っている中、僕も並んでいましたけど、「これ試合時間に間に合わないぞ」となったんですよ。
だからちょっと前の方で並んでいる川崎のユニフォームを着ている若いお兄ちゃんの近くに行って、「ちょっと一緒に乗せてよ」と言いました(笑)。同じタクシーに乗せてもらって「俺がお金払うから」と言ってね。それで一緒にスタジアムへ行ったんですよ。
そうしたら川崎のサポーターの子は、タクシーに乗ってちょっとしたときに「もしかして石井さんですか?」と気づかれて、「そうなんですけど」と言いました(笑)。
こうやって「サポーターの方がどんな感じでスタジアムに行っているのかを体験したくて一緒に乗せてもらったんだよ」と話をしたら、「僕らは年間シートを買って毎試合来ています」とね。
その子は川崎が本当に好きで「楽しいですよ。こういうのは」と話をしてもらうと、サポーターはどういう気持ちで見に行っているかが分かるじゃないですか。だからそういうことを体験したくて、やりましたね。
――その川崎サポーターさんが滅茶苦茶うらやましいです(笑)。
羨ましかったかどうかは分からないですけど(笑)。
――鹿島といえば、サポーターグループの「インファイト」の熱い応援が有名です。一緒に応援してインファイトはどうでしたか。
僕もJリーグが始まった当時から選手としていましたから、応援していただいているという気持ちはすごくありました。
それこそジーコスピリットじゃないですけど、ジーコさんは「あの人たちが自分たちの試合のチケットを買って、それがお前らの給料になっているんだから、彼らを愛さなきゃいけない。例えばサインしてくださいと言われたら、写真を撮ってくださいと言われたら、しっかり丁寧に対応しなきゃいけないんだよ」と、ずっと言われてきました。
ただただ、それを僕は実践しているだけです。だからそれはいまでもやっています。サムットプラーカーンに入ってからも、ブリーラムに行ってからも、ずっとそれは続けてやっています。
――石井さんにとってサポーター、選手を含めて鹿島はどのような存在ですか。
Jリーグの理想形を最初に実現させてくれたクラブだと思っているんですよね。だからJリーグの先頭に立って、いつまでも進んでいかなきゃいけないクラブだと思っています。クラブもサポーターもね。だからそういう存在でいなきゃいけないクラブだと思っていますね。
2024年07月04日 19:39
フットボールの母国イングランドに、またひとり日本代表戦士が上陸した。2023−24シーズンはラツィオに所属していた鎌田大地が、クリスタル・パレスにフリーで加入した。
移籍市場に詳しいファブリツィオ・ロマーノ記者によると、5月末時点ではイタリアのクラブと契約延長が既定路線だったが、金銭面での条件で最終的に破談。フランクフルト時代の恩師オリバー・グラスナーのラブコールに応じて、ロンドン南部のクラブに加入する流れとなった。
では日本でも屈指の技巧派MFは、フィジカル強度の高いことで有名なイングランドの地で活躍できるのだろうか。
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▼グラスナーの基本的なサッカー
まず筆者の所感を伝えると、鎌田は間違いなくクリスタル・パレスでフィット出来るだろう。
前提として、フランクフルト時代に共にヨーロッパリーグ(EL)を制したオーストリア人監督のサッカーを説明すると、3−4−3を基本システムとして採用しており、ビルドアップ時は3バックで組み立てる。相手のプレスの人数次第では、ボランチの選手が最終ラインに吸収されることもある。
こうして相手を引きつけた後に、相手のDFラインとMFの間で浮遊するもう一人のボランチやシャドーの選手に縦パスを供給。ボールを引き取ったアタッカーたちは、ドリブルやスルーパスを駆使して素早く攻めたてる。いわゆる擬似カウンターを好む。
引いて守るチームに対しては大外に張るウイングバックを使ってサイドから素早く崩してクロスを放り込む。あるいはワイドの選手を何度か使って、相手守備ブロックの横幅を広げて中央に隙間を作り出し、前線の選手たちの連携で崩す。
ただ、このようにボールを持つ展開でも必要以上にポゼッションすることを好まず、後方から厳しい縦パスや、ロングボールを放り込むことが多い。そうなると当然ボールを失うリスクはあるものの、素早い攻守の切り替えでボールを再び奪い返し、ピンチの芽を摘みつつショートカウンターに繋げていく。
こう書くと、ダイレクト寄りとはいえオーソドックスな3−4−3での戦い方にも読めてしまうだろうが、特徴的な点もある。グラスナーは2ボランチに攻撃的な選手を采配しているのだ。そしてこの特徴が鎌田にとって大きなメリットとなる。
▼鎌田のプレーポジション
現状の2ボランチであるアダム・ウォートンとウィル・ヒューズは共にかなりアグレッシブなタイプだ。EURO開幕前のボスニア・ヘルツェゴビナ戦でイングランド代表デビューを果たしたウォートンは、低い位置でボールを引き取り縦パスを当てる能力の高い選手だ。かなり狭い隙間でもどんどん縦パスを供給できるので、シャドーとしてライン間で受けることを好む鎌田としては最高の相棒になるだろう。
またイングランド人のヒューズは、元々2列目でプレーする知性と技巧を併せ持つタイプの選手だったが、現在のチームではボランチで出場している。余談だが元々賢い選手の上に口元に存在感のある髭を蓄えているためベテラン感たっぷりの選手だが、まだ29歳である。全くもって20代には見えない。
話を戻そう。そんなヒューズのような選手が3列目で使われている理由としては、おそらくグラスナーが縦パスを当てられる選手を好む点が一つ。二つ目は、ボランチの守備について、後方へのカバーより、前から刈り取りにいくスタイルを好んでいるからだろう。2列目の選手は往々にしてスペースを管理する後ろ向きの守備に慣れていない選手が多いものの、このサッカーではそれがデメリットになりにくい。
こうした点を踏まえると、鎌田自身のボランチ起用も考えられる。実際、フランクフルト時代、2021−22シーズンはシャドーでのプレー中心だったが、翌シーズンは半分くらいはボランチでプレーしている。
プレミアリーグがブンデスよりフィジカルな選手が多い点を加味すると、基本的にはシャドーでのプレーがメインになるだろうが、イングランドの強度に慣れたら一列ポジションを下げる可能性は十分にある。
二つプレー可能なポジションがあることは、鎌田の出場時間の観点で大きなメリットだ。
▼鎌田のライバルたち
さてそんなグラスナーの元でシャドーとして活躍しているのは、イングランド代表FWエベレチ・エゼとフランス五輪代表FWマイケル・オリースの2人である。二人とも高いアスリート能力と屈指の技術を併せ持つ逸材だ。前者の方がややドリブラー気質で後者がややパサー気質だが、近しいプレースタイルの選手の二人である。年齢はそれぞれ25歳と22歳で、移籍専門サイト『トランスファーマルクト』が算出した市場価値は二人とも揃って5500万ユーロ(約94億円)と高い価値を持つ選手だ。
対して27歳の日本人MFは1800万ユーロ(約31億円)で、これもこれで十分に高い価値ではあるものの、エゼとオリースからスタメンを奪うのは簡単ではない。ただ、後者はバイエルンの移籍に近づいており、そのポジションに鎌田が入ることになりそうだ。
他の2列目の選手で言うと、ガーナ代表FWの32歳ジョーダン・アユーと、同じくガーナ代表MFの31歳ジェフリー・シュルップがいるものの、前者はハードワーカー色が強いアタッカーで、シュラップはSB出身の選手でよりワイドなエリアでのプレーを得意とする。グラスナーのサッカーでは、鎌田の方が序列は上と見ていいだろう。
他にも元イングランドU-20代表の21歳ジェスラン・ラク=サキや、獲得の噂が上がっている若手選手など、実力が未知数のライバル候補はいるものの、いずれにしても現時点では鎌田が上と見ていいはずだ。
▼プレミアリーグへの適正は?
そしてプレミアリーグへの適性も問題ない。技術、俊敏性、サッカーIQを併せ持つ鎌田ならフィジカルコンタクトを避けながらプレー出来るだろう。ワンステップで強いボールを蹴れる点も、寄せが早いプレミアでは重要な資質。守備強度もシャドーなら問題ないはずだ。
唯一の懸念点は言語だろう。20年4月にフランクフルト公式HPに掲載されたインタビューでは「チームにはグループがあって、みんなで連絡を取り合っています。英語でもなんとかなるし、話の内容が理解できれば、ドイツ語も話すようにしている」と明かしているが現時点では、それがどの程度かはわからない。
とはいえ、監督は鎌田をよく知る人物だ。しかも先人たちの活躍もあり、イングランドにおける日本人のバリューはここ数年でかなり上がってきている。英高級紙『ガーディアン』でもこの移籍に対して「フランクフルトの一員として2022年にヨーロッパリーグを制覇して以来、鎌田はグラスナーと再びコンビを組むことになる」と紹介されている。
フリーでの移籍ではあるものの、名もなきアジア人ではなく、唯一のEL王者としてクラブに加入することになるのだ。少なくともマイナスからのスタートと言うことはない。
もちろんプレミアリーグのクラブにフィットするのは簡単ではない。相応の努力が必要だろう。それでも今の鎌田ならば、即フィットする可能性は十分あるのではないか。
文●内藤秀明
2024年07月04日 19:30
スペイン代表DFマルク・ククレジャは代表で共闘するアスレティック・ビルバオ所属のFWニコ・ウィリアムズをチェルシーへ勧誘しているようだ。スペイン『SPORT』が伝えている。
「私は彼にチェルシーへ来るように言いました。全ては彼次第ですが、彼はとても若く、経験も豊富なので、素晴らしい選手になると思います」
ククレジャからチェルシーへ来るよう勧誘されたニコ・ウィリアムズだが、23-24シーズンはラ・リーガ31試合に出場し、5ゴール11アシストを記録。またコパ・デル・レイではクラブの優勝にも大きく貢献し、充実の一年を過ごしていた。
そんなニコ・ウィリアムズは現在、EURO2024に参戦中。ラウンド8まで勝ち進んでいるスペイン代表では目覚ましい活躍を見せており、大会を通して更に自身の価値を高める形に。成長著しい21歳の同選手にはこれまでにバルセロナやプレミアリーグの複数のクラブが獲得に関心を持っているようだ。
争奪戦が予想されるニコ・ウィリアムズだが、ククレジャの勧誘を受けてチェルシー行きを決断するのだろうか。今後の動向から目が離せない。