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2024年06月30日 20:20
WWEのPLE「マネー・イン・ザ・バンク(MITB)」(7月6日=日本時間7日、カナダ・トロント)のMITB女子ラダー戦へ向けて、「ダメージCTRL」イヨ・スカイの新たな対戦相手が決まった。 MITBラダー戦でブリーフケースを奪取すれば、いつでもどこでも最高峰王座に挑戦できる権利を得る。イヨは昨年大会を制し、WWE女子王座奪取につなげた。今年は連覇から王座奪回を目指す中、ライラ・ヴァルキュリア、チェルシー・グリーンとともに本戦出場を決めている。 28日(日本時間29日)のスマックダウン(米ニューヨークのマジソンスクエア・ガーデン)ではMITB予選2試合が行われ、まずはジェイド・カーギル、ティファニー・ストラットン、キャンディス・レラエがトリプルスレット戦で激突。前女子タッグ王者で筋肉ムッキムキのジェイドが序盤から飛ばして、ティファニーには強烈なスーパーキックをぶち込んだ。さらに、キャンディスをリフトアップして、場外のティファニーめがけてぶん投げる荒技を見せた。 ところが、試合途中で「クイーン・オブ・ザ・リング」覇者のナイア・ジャックスと、ジェイドのタッグパートナー、ビアンカ・ベレアが姿を現した。ナイアはこのところなぜかティファニーの味方になっており、場外に落ちたジェイドをめぐってビアンカと対峙した。この隙にキャンディスのタッグパートナー、インディ・ハートウェルが現れ、ジェイドを鉄柱に叩きつけた。 V本命だったジェイドが戦闘不能となり、ティファニーがキャンディスに三段跳び月面弾「プリティストムーンサルトエバー」を決め、予選を突破した。バックステージでは「私は宇宙の中心なの。すべてが私の思い通りよ。来週はティッフィー・イン・ザ・バンクになるわ」と豪語。NXTから昇格したばかりで25歳の新星が、堂々のV候補に浮上した。 MITB予選トリプルスレット戦のもう1試合はナオミ、ブレア・ダベンポート、インディが対戦。こちらも激戦となったが、今度はジェイドが逆介入。自身の予選の仕返しで場外に落ちたインディを鉄柱に叩きつけた。リングに戻されたインディをナオミがヒップからマットに叩き落とし、最後はくるりと丸め込んで勝利した。 最高峰王座獲得2度の実力者も「私があのラダーを上り、ブリーフケースを奪い、ミスMITBになる」とV予告。これでMITBラダー戦はイヨ、ライラ、チェルシー、ティファニー、ナオミの5人が決定。残り1人が加わり、6人でブリーフケースを奪い合うが、イヨには強敵ぞろいのメンバーとなった。 この日のスマックダウンは「ABEMA」にて放送された。
2024年07月02日 23:23
WWEのイヨ・スカイは、PLE「マネー・イン・ザ・バンク(MITB)」(6日=日本時間7日、カナダ・トロント)のMITBラダー戦を連覇できるのか。またまた悪女ユニット「ダメージCTRL」をめぐり大騒動が起きた。
MITBラダー戦で天井からつるされたブリーフケースを獲得すれば、いつでもどこでも最高峰王座に挑戦できる権利を得る。昨年覇者のイヨは同8月のPLE「サマースラム」でキャッシュイン(権利行使)し、WWE女子王座を奪った。今年の女子MITB戦にはイヨ、ライラ・ヴァルキュリア、チェルシー・グリーン、ティファニー・ストラットン、ナオミの出場が決定している。
1日(日本時間2日)のロウ(マサチューセッツ州・ボストン)では最後の1枠をめぐり、イヨの仲間でダメージCTRLのダコタ・カイ、ゾーイ・スターク、アイビー・ナイルがMITB予選トリプルスレット戦で激突した。3人がめまぐるしく攻守が入れ替わる激闘となったが、アイビーがダコタに攻撃を仕掛けようとしたところで、ダメージCTRLのカイリ・セインが花道を走ってエプロンに駆け上がった。そのまま両手を広げてアイビーをかく乱した。
アイビーが気をとられたところでダコタが反撃するも、ここで先週のロウでダメージCTRLに襲われた、アルバ・ファイア&アイラ・ドーンのWWE女子タッグ王者が登場してカイリを急襲。場外の騒ぎのさなかに、ゾーイがダコタに変型GTSを決めて勝利し、MITB本戦出場を決めた。
無法襲撃を繰り返してきたダメージCTRLには身から出たサビの状況だが、バックステージではさらなる騒動が待ち受けていた。インタビューを受けたイヨ、ダコタ、カイリがイヨのMITB戦連覇へ「問題ない。でも、関係ないやつらがダメージCTRLを邪魔することにはうんざり」(ダコタ)などと語っていると、V候補でダメージCTRLと遺恨のある新星ライラが現れ「3人そろえば自信満々だけど、私はあんたより早くラダーを上がって(ブリーフケースを)取るんだ」とイヨに向かって宣言した。
ここで突如、怒声とともに、これまたダメージCTRLと敵対するカタナ・チャンス&ケイデン・カーターが現れ、ダコタとカイリに殴りかかった。ライラはイヨに襲い掛かって、機材ボックスの上に押し倒した。イヨが「何だよ!」と叫ぶと、ロウのアダム・ピアースGMらが制止に入って大混乱に…。渡る世間は敵ばかりの状況に、ダメージCTRLはどうなるのか。イヨのMITB連覇へ向けても不安は募るばかりだ。
この日のロウは「ABEMA」にて放送された。
2024年07月02日 21:56
6月30日放送のABCテレビ「さらば青春の光の考察バラエティ!表の顔と裏の顔」に、「都内出身24歳の女性美容師」が登場した。
「表の顔」が紹介され、普段の生活風景の映像に隠されたヒントから「裏の顔」を当てる企画番組。昼間は東京・銀座の有名ヘアサロンで働くショート髪のスレンダー美人で、高校生の頃に美容師に憧れ、美容専門学校を卒業後に働き始め、今年4月にスタイリストとしてデビューと説明された。
森田哲矢が「見たことある」と反応した女性の正体は女性K−1ファイターの菅原美優で、アトム級の現王者と明かされた。
「表の顔」である美容師は、2カ月先まで予約が埋まっており、ファンも来店していると紹介された。
2024年07月02日 21:25
禁断のポーズの意味は――。バルセロナ五輪柔道銀メダルの元暴走王小川直也氏(56)が6月20日から26日まで東京・京王百貨店新宿店で開催された、「超・燃える闘魂 アントニオ猪木展」を訪れた。
「超猪木展」では「アントニオ猪木酒場」も復活し、猪木さんと対戦経験のある弟子たちが猪木戦を振り返るトークショーも行われた。藤波辰爾、武藤敬司、蝶野正洋、藤原喜明のレジェンドに加え、同25日にはなぜか猪木さんと対戦経験のない小川氏が登場。1998年4月4日東京ドームの「猪木引退試合」ドン・フライ戦を猪木信者とともにビデオ観戦した。
小川氏は同日の「猪木引退試合対戦相手決定トーナメント」決勝でフライに完敗を喫して猪木さんとの対戦を逃し、プロレスファンを大いに落胆させたはずだが…。動画では弟子で我孫子市議会議員の澤田敦士、猪木元気工場の宇田川強取締役の案内のもと、何ごともなかったかのように「超猪木展」の展示品を見て回った。
さらにトークショーの終わりでは驚きの光景があった。小川氏は「最後にやりますか」というと、観客の求めに応じて「みなさん、『道』の精神で、この後の人生もハッスルしていくぞー!」と叫んで、「ハッスルポーズ」を披露したのだ。最後は亡き師匠に代わって「1、2、3、ダーッ!」で締めたが、猪木さんは「ハッスルポーズ」が大嫌いだったことで知られていた。
プロレスイベント「ハッスル」の大ブームが起きていた2000年代中盤でさえ、猪木さんは「ケツを振る、品のないあのポーズは世界では通用しない!」とことあるごとに力説。強引な小川氏につられてポーズを取ったこともあったものの、燃える闘魂には禁断のポーズだった。もちろん、ハッスルを批判することによって自身のプロレス哲学を際立たせる一面があったのは事実。とはいえ、功績を振り返る「超猪木展」で猪木信者らとともにハッスルポーズとは…。時がたつのは早いとしか言いようがない。
1週間で約3万人の来場者が訪れ大盛況に終わった「超猪木展」に、小川氏は「やっぱりファンは温かい。これは猪木さんがファンを手のひらに載っけてきたからだよ。今も猪木さんの手のひらに載せられているんだ」と語った。小川氏自身もいまだに猪木さんの「掌(たなごころ)」に載っているのは間違いない。
2024年07月02日 18:22
4月にマイケル・マグネッシ(イタリア)とのWBC世界スーパーフェザー級王座挑戦者決定戦を制した力石政法(30)が、LUSH緑ジムから2日付で大橋ジムに移籍したことが同日、横浜市内で発表された。
2024年07月02日 17:21
6月30日(日本時間1日)に米ニューヨーク州で行われたAEWと新日本プロレスの合同興行「Forbidden Door(禁断の扉)」で強烈なインパクトを残したのが、AEW世界王者のスワーブ・ストリックランドだ。
元IWGP世界ヘビー級王者で新日マットでも大活躍したウィル・オスプレイの挑戦を受け、27分を超える激闘の末に、ハウスコールからJMLドライバーを決めて王座防衛に成功。世界的にも評価の高いオスプレイを驚異的な身体能力で退け、日本のファンも驚かせた。この「スワーブ・ストリックランド」とはいったい何者なのか?
ワシントン州タコマ出身の33歳。父親は陸軍の兵士で幼少期はドイツ・フランクフルトにある米軍基地で暮らした。ストリックランドが5月に米ニュースサイト「TMZスポーツ」のインタビューで語ったところによると、米国に戻った後は「高校を卒業して2週間後に基礎訓練に行ったんだ。自分の力で率先してやらないと何も始まらない」と、父親の後を継いで陸軍予備役に入隊。2007年にサウスカロライナ州での基礎訓練を修了し、15年に退役するまで8年間軍隊に勤務した。
元軍人のストリックランドは同サイトに、軍務で忙しかった父親となかなか一緒に暮らすことはできなかったが、米軍での経験がレスラー人生に生きているという。「軍隊を通して、大人になれたことは良かった。さまざまな人生を歩んできた男たちに囲まれ、苦労しながらも男としてのあり方を学んだ。朝4時に起きて規律正しく行動する。今の社会では多くの男性が見逃しているが、俺は早くからそういうことを学んできた。それはプロレスラーとしてになるための準備だったと思う」と語っている。
同時にプロレスラーになるためのトレーニングも積み、12年にデビューすると、米インディ団体を中心にサーキットしてドイツやメキシコのリングにも上がった。19年に世界最大団体・WWEと契約して、「アイザイアスワーブスコット」としてNXTで活躍。NXT北米王座を獲得としてメインロースター昇格も見えてきたが、21年11月に契約を解除された。22年3月には新日本の米国大会に参戦すると、「スワーブ・ストリックランド」としてAEW入り。キース・リーとのコンビでAEW世界タッグを獲得するなどメキメキと頭角を現し、今年4月にはサモア・ジョーからAEW世界王座を奪取してついに頂点に立った。
ダンスが得意なマネジャーのプリンス・ナナを従え、1990年代のヒップホップ風ファッションに身を包み、自身もラッパーとして活動。元軍人とは思えないストリートなキャラで、人気を得ている。来年1月5日には東京ドームで新日本とAEWの合同興行「レッスルダイナスティ」が開催されることが発表されたが、ストリックランド初来日の期待も高まりそうだ。
2024年07月02日 17:21
センダイガールズプロレスリング(仙女)は2日、20日の仙台PIT大会にスターダムのスターライト・キッド、白川未奈、天咲光由が初参戦することを発表した。
4月に極悪ユニット「大江戸隊」を追放されたキッドは、先月22日のスターダム代々木大会で鈴季すず、星来芽依と共闘することを決意。クイーンズ・クエストから強制追放された天咲光由とAZMも勧誘し新ユニット結成を企てている。仙女の仙台大会ではキッドと天咲がコンビを結成し、女子最強タッグの「チーム200キロ」(橋本千紘&優宇)と対戦することが決定した。
一方、白川は同大会で現在スターダムのワンダー王座を保持している岩田美香と激突する。先月のスターダム代々木大会でワンダー王者の安納サオリを破り新王者となった岩田は、放心状態の安納に今月15日の仙女後楽園大会での再戦を提示したが、いまだ返答はなく、スターダムの岡田太郎社長の提案で4日のスターダム後楽園大会に出場することが決定。岩田は愛海と組み、安納&なつぽいと対戦することが発表されている。昨年ワンダー王者に君臨していた白川と現王者・岩田の対決に注目が集まる。
2024年07月02日 16:00
【ブル中野・告白(10)】1986年8月にダンプ松本さんとWWWA世界タッグ王座を巻いた後、2人の関係が疎遠になった時期がありました。ダンプさんは話題になることや派手なこと、音が出るもの、みんなを驚かせることに重点を置いたと思う。でも私は、悪役でも感動させられる試合とか、レスラーとして見てもらいたい部分が強くなっていました。クラッシュ・ギャルズさん(長与千種&ライオネス飛鳥)に対抗し、少しは戦えるようになって、ダンプさんに言われたことだけじゃ「物足りないな」と思い始め、そこから確執が出てきてしまったんですかね。仕事はいつも一緒なんですけど、話さない期間もありました。
結局レスラーは一人なんだなと自覚し始め、18歳ぐらいのときからダンプさん、クラッシュさんには全女を任せておけないという気持ちになっていたのです。全女はどうしていくべきか、プロレスとはどうあるべきかを自分の中で考え始めている時期で、リングに出て「キャーキャー」だと続かないとわかっていたので、どう変えていくかを考え始めていました。
青森・八戸の体育館から北斗晶たちと逃亡したのも、このころです。当時、北斗と堀田祐美子はペアを組んでいて勢いがあった。会社もクラッシュを超えるペアをつくろうとしていました。この2人のペアなら、うまくいくかなという感じになっていたんですけど、それでまたイジメが起きたんです。(86年2月に)ジャガー横田さんが引退されてすぐ、デビル雅美さんがトップでやっていたころでした。
派閥ができたりして毎日地方巡業の練習で100発投げとかされていました。人気になりそうな選手、出るくいは打つってことですよね。このままじゃ殺されると思いましたが、中堅なので何も意見は言えない。何か行動を示そうと思った結果が脱走でした。
東京に戻った翌日、会社にイジメの現状を説明しました。そうしたら「わかった。お前らが練習で半殺しにされているとき、知らないふりして行って『何やってんだ!』って怒るから」って言ってくれたのですが…。何だそりゃ? 今この場で怒れよと思いましたけど(笑い)。
結局、私がいるときは表立ってイジメをすることはなくなりました。だけど、脱走者はそれから半年くらいは大変な思いをしましたね。ちなみに脱走による罰金は私が20万円で、北斗たちは10万円でした。87年4月には北斗が首を骨折するという事故が起こりました。それはイジメとは関係ないのですが、嫌なうわさが流れました。イジメは止められたけど、北斗の首が折れてしまったのは事実です。こうして88年、ついにダンプさんが現役を引退することになるのです。
2024年07月02日 15:15
「ボクシング・10回戦」(7月7日、両国国技館)
WBA世界スーパーフライ級王者・井岡一翔(35)=志成=とIBF王者フェルナンド・マルティネス(32)=アルゼンチン=の統一戦のセミファイナルでウィーラウット・ヌーレ(タイ)と対戦するWBA世界バンタム級2位の堤聖也(28)=角海老宝石=が2日、東京・江古田のDANGANジムで公開練習を行った。
2024年07月02日 11:41
1分間最強を決める格闘技イベント「BreakingDown(ブレイキングダウン)」の人気選手で、ラグビー系YouTuberのノッコン寺田が1日、自身のXを更新。韓国版のBDともいわれる「FIGHTER100」のオーディションで、韓国の元極道戦士、キム・ジェフンが壮絶な乱闘を繰り広げる動画を投稿した。
動画の中では審査員席とみられるキム・ジェフンが頰づえをついている中で、参加者が「おい、こら!」と怒鳴り散らし、机を蹴り上げた。キム・ジェフンが「やめろ、マジで」と立ち上がったが、参加者が胸ぐらをつかんだところで、ブチギレして乱闘。関係者が参加者を抑えこんだ参加者に対して、容赦なく拳を振り下ろして、殴り続けた。ノッコンも止めに入ったが、なかなか止められず、関係者が緊迫した声で「ジェフンさん、ジェフンさん」と声をあげていた。
ノッコンは「160キロに喧嘩売るヤンキーはなかなか根性あったな。でも相手がちょっと悪すぎたな」と、つづった。
コメント欄では「こわい」、「ノッコンが止められなかったら、誰が止められるんだよこの巨体」との声が寄せられていた。
2024年07月02日 11:00
女子プロレス界の盟主「スターダム」のかじ取り役を担うのが、岡田太郎社長(37)だ。昨年12月に社長に就任すると、わずか半年の間にエグゼクティブプロデューサーを務めたロッシー小川氏の解任や5選手の退団などがあり、団体の景色は様変わりした。一方でユニット再編の動きや、これまで交流のなかった他団体との関係構築など、岡田スターダム色が次第に出ている。世界一の団体を目指す若き社長のプロレスの原点とは――。
――社長就任から半年が経過した
岡田社長(以下岡田)社長交代、選手離脱、分裂と過去のプロレス史で何回か起きていることを体験させてもらって本当に濃密な半年間でした。この1、2か月ぐらいは会社としても団体としても、地盤固めをしてきました。昨年末にデビューした新人たちの顔つきがちょっと変わって、力がついてきた。第一線で試合をしている選手たちが、自分のことに集中して自身の苦悩などに向き合い始めたのもある意味、土台がある程度固まってきてる証拠かなと。ただ毎日、夢の中でもプロレスのことばかりで目が覚めてしまいます。
――プロレスの原点は
岡田 小さいころから祖父母の家で相撲、K―1、PRIDEをテレビで見ていて、新日本プロレスはG1をずっと見てましたね。「橋本真也負けたら即引退スペシャル」も本気で応援してたので、負けたことがショックで少しプロレスを離れた時期もありました。でも、明確にプロレスにハマったのは2002年のWWE「レッスルマニア18」のザ・ロック vs ハルク・ホーガンです。画面越しでも地響きが聞こえてくるような試合で、プロレスってすごいコンテンツだと惚れた瞬間ですね。中3の時にWWEの日本公演に行ったのが初めての生観戦。厳しめの野球部だったので、土日は練習で体が空かなかったので、お小遣いをためて、何とか毎年1・4の東京ドームは行くようになってましたね。
――どんな少年時代を
岡田 親も働いていたので、1人で好きなことに熱中しているような子でした。野球にハマったら選手名鑑見て研究しているような。体を動かすことも好きだったので、サッカーや野球もやって。背も高くて足も早かったです。でも、あまり裕福な家庭ではなかったので、どこかに行くとかよりは、家にこもって勉強してましたね。
――麻布中・高校を卒業したエリートだ
岡田 何をやったらいいかわからなかったから、とりあえず勉強して野球してプロレス見て、みたいな生活でした。大学受験の時期にレイザーラモンHGさんが大ブレークして、学生プロレスサークルの存在を知ったんです。しかも棚橋(弘至)さんも学プロ出身で、関西がどうやら有名らしいと耳にして。学校を絞る上で、国公立に行けたら野球を続けよう、私大に行くんだったら学生プロレスをやってみたい。プロレスもできて面白そうぐらいのテンションで同志社大を受けました。一番最初に受かってしまったので、もうプロレスをやる頭になっていました。
――プロレスサークルに入った
岡田 ここでどんな恥をさらそうが何をしようが、誰かが笑ってくれたらいいなという気持ちで入りました。うちのサークルはプロの人を呼んで講演会とかをしてたりした過去もあって、前田日明さんが来てくださった時の教えが、自分の代まで受け継がれていたんです。前田さんから「プロレスは潰し合いだからこうやって投げるけど、君たち学生はケガしちゃいけないんだから、首をちゃんと守ってこうやって投げろ」と教わった技術があって、それをみんなで真剣に研究して、試合をしてました。棚橋さんも巻いたベルトを、僕も巻きました。就活終わってすぐの試合でテンションが上がって普段と違う動きをしたら疲れて…。1つ下のオルカ宇藤くんにベルトを取られました。
――大学時代にイベント業務を経験した
岡田 学園祭や他の大学との交流戦とかをやってましたね。その中でイベントの運営やタイムスケジュールを組み立てたりしていたので、就職はイベントとかエンタメ企業に入って大きいイベントをサポートできる人間になりたいなとは思ってました。最初に就職した「アニメイト」では、お子さま向けのイベントから、大きいアニメファン向けのイベントまでいろいろやってました。
――プロレスとの関わりは
岡田 プロレスラーになるには身長が低いしとか言い訳して、プロレスラーは目指さなかったですね。でも、ファンでした。休みの日は後楽園や両国国技館、新木場とか各団体の大会に行ってました。アニメイトを辞めてからは仕事を転々として、12年10月の新日本プロレス両国大会に行ったら、会場で木谷(高明)社長がカードゲームを売ってたんですよ。その時に社長が前に立って盛り上げようとしている面白い会社だなと思ったのと、あわよくばプロレスの仕事もできるかなと思って、ブシロードを受けました。
――入社後は声優ユニット「ミルキィホームズ」を担当した
岡田 入社して数か月たった時に配属されました。最初の2年ぐらいは新日本の野球部に参加してたので、選手のみなさんとは会う機会が多くて。たまにブシロードのイベントに出演していただく時は、自分が案内したりしてましたね。でも、仕事での接点はあまりなかったので、入社してからもチケットを買って見に行ってました。ミルキィホームズのメンバー(三森すずこ、徳井青空、佐々木未来、橘田いずみ)とも一緒に試合を見にいくこともありました(笑い)。
――今後のスターダムについて
岡田 8月は「5★STAR GP」があるので、そこに向け選手それぞれがしっかり答えを出せるんじゃないかなと。その先に控える年末の両国大会(12月29日)、来年に向けて選手たちがより激しく動いていくと思ってます。海外戦略については(6月30日=日本時間1日の新日本とAEWの合同興行)「Forbidden Door」に3選手が出場したりで、4月に続き前進しています。また、7月中には新しい発表ができると思います。(インタビュー・木元理珠)
☆おかだ・たろう 1987年6月10日生まれ。神奈川県出身。麻布中・高を卒業後、2006年に同志社大に進学。卒業後、アニメイトに就職にイベント運営に携わる。13年にブシロードに入社し、声優ユニット「ミルキィホームズ」を担当。23年5月に劇団飛行船の社長に。同年12月1日付でスターダムの社長に就任。新日本プロレス取締役も兼務する。
2024年07月02日 06:00
因縁の対戦は実現するのか。GLEATの1日東京ドームシティホール大会で伊藤貴則との「LIDET UWF世界王座決定戦」を制し新王者となった××スタイル中嶋勝彦(36)が、全日本プロレスの暴走男こと諏訪魔(47)を挑戦者に指名した。新王者が見せたまさかの仕掛けにGLEATの鈴木裕之社長は動揺を隠せなかったが、全日本との交渉に入ることを明言した。
鈴木社長からのラブコールを受けて初参戦した中嶋は、伊藤をノーザンライトボムから腕固めで捕らえてギブアップ勝利。3冠ヘビー級王座から陥落した全日本の3月30日大田区大会以来、3か月ぶりの試合でベルトを巻いた。バックステージでは「諏訪魔! 何であの時、3冠王者だった俺の指名を断ったんだ? このUWFの中立なリングで逆指名してやる。UWFのベルトを取りに来いよ!」と、突如因縁の男に対戦を呼びかけた。
大会後、取材に応じた鈴木社長は中嶋について「修羅場をくぐっている数が違うだけあって、新風を吹き込んでくれましたよね。令和のUWFをつくってくれるんじゃないか」と満足げな表情。「王者のうちは彼が『やる』っていうことを形にしていきたい。それがいかにでたらめなことだったとしても」と、さらなる期待をかける。
だが、諏訪魔を逆指名した件を伝えると表情を一変。「えっ? 聞いてない! マジで…?」と絶句し、ヒザを震わせた。それでも「できる、できないの約束はできないけども、やりたいということに私は最善を尽くさせていただきます。全日本さんに『大変恐縮なんですが、うちの王者が』って、平身低頭に最大限の誠意を尽くして一回、お話はさせてもらいます」と約束。「僕の胃が痛くなればなるほどファンは喜んでくれるはずなので、どんどん私の胃を痛めてくれれば。血を吐くまでやります」とおなかを押さえた。
なお、この日をもって契約解除になった河上隆一が「河上ファイヤー隆一」を名乗りフリーとして参戦すると一方的に宣言したことについては「は? アイツはクビですけど。許さないです。勝手なこと言ってんじゃない。最悪ですね。退場です」。こちらもモメるのは確実で、社長の胃に穴があかないことを祈りたい。
2024年07月02日 06:00
ミスター女子プロレスこと「LLPW―X」の神取忍(59)が、「マリーゴールド」勢を一蹴だ。
2024年07月02日 05:00
「ボクシング・WBA・IBF世界スーパーフライ級王座統一戦」(7日、両国国技館)
マルティネスとの2団体王座統一戦を行う井岡一翔が1日、都内で練習を公開した。29日(日本時間30日)に米国で、対戦を望んでいたWBC同級王者フアンフランシスコ・エストラダ(34)=メキシコ=が、ジェシー・ロドリゲス(24)=米国=に7回KO負けで王座転落。ロドリゲスは井岡−マルティネス戦の勝者との統一戦を求めた。
井岡はライバルの敗戦を「若手には負けないところを見せてもらって、僕も勝って、エストラダとできるのが一つのストーリーだと思っていた」と惜しんだが「ショックはない」ときっぱり。
「バム(ロドリゲスの愛称)も評価が高いし、僕も兄(元WBA世界同級王者ジョシュア・フランコ)と戦っていてつながりもある。僕の中でもチャンピオンじゃなくなったエストラダは評価が落ちた。この試合に勝ってWBCのチャンピオンとできるなら、それが一つのストーリーだと思う」と切り替えはできている。
井岡は「彼(バム)を倒すことによって、自分が評価を得られることは変わらない。2団体統一して、彼との試合に臨みたい」と、3団体統一のチャンプロードを描いていた。
2024年07月02日 05:00
日本相撲協会は1日、大相撲名古屋場所(14日初日、ドルフィンズアリーナ)の番付を発表し、夏場所で初優勝を飾った大の里(24)=二所ノ関=が新関脇に昇進した。幕下付け出しデビューから所要7場所での新関脇は、昭和以降2位タイのスピード昇進。愛知県安城市の宿舎で臨んだ会見では、起点を築いた大関とりへの意欲をにじませ、発生から半年となった能登半島地震の被災地である地元・石川県に元気を届ける活躍を誓った。
あっという間に番付を駆け上がった。幕下付け出しデビューから所要7場所での新関脇は、武双山と並ぶ昭和以降2位のスピード。夏場所で史上最速優勝を果たした大の里が、また記録に名を連ねた。
昨年の名古屋場所は東幕下3枚目。3勝3敗から勝ち越し、何とか新十両昇進を決めた。「生きた心地がしなかった。苦しい経験をして、ひと皮も二皮もむけた」というデビュー2場所目からまだ1年。「想像していなかった」という速さで出世し「充実した場所を送れている」とうなずいた。
夏場所は新小結で12勝。大関とりの起点を築いた。名古屋場所は足固めとなるが、連続優勝などの好成績を残せば、一気に昇進機運が高まる可能性はある。「三役に上がった特権。上に目指せるものがある。やっぱりこの場所はすごく大事な場所になってくる。しっかりアピールして頑張ります」と大関への意欲を隠さず。何度も「今場所がすごく大事」と繰り返した。雅山ら初土俵から所要12場所での昇進という昭和以降の最速記録更新も、十分に射程圏だ。
この日で能登半島地震発生から半年。6月に避難所を訪問した際は、被災者に大歓迎された。7日には故郷の石川県津幡町でパレードも予定されている。「またしっかり結果を残して、喜んでもらえるように頑張りたい」と気合を入れたちょんまげ頭の新関脇。被災地への思いも胸に、猛暑の名古屋でも主役を張る。
2024年07月02日 05:00
新日本プロレスと米国・AEWの合同興行「Forbidden Door」(30日=日本時間1日、米ニューヨーク州)で行われたIWGP世界ヘビー級選手権は、挑戦者の内藤哲也(42)がジョン・モクスリー(38)を撃破し第10代王者に輝いた。次なる使命は真夏の祭典「G1クライマックス」(20日、大阪で開幕)の連覇だ。実に24年ぶりとなる王者でのG1制覇が、現在の新日本に必要な理由とは――。
4月の新日本シカゴ大会でベルトを奪われた相手との雪辱戦。内藤は、モクスリーの必殺技デスライダーを浴びながらも3カウントだけは許さない。最後はバレンティアからデスティーノを炸裂させ逆転勝利を収めた。
大会後に取材に応じた内藤は「改めて海外でプロレスの難しさを感じましたね。ただ、だからこそ面白いし、だからこそ俺はいまだにプロレスが好きなのかもしれないなと」と激闘を振り返りつつ、「とりあえずはベルトを取り戻せてホッとしてますよ」と安堵の言葉を口にした。
海外に流出していた至宝奪回に成功したことで、連覇がかかるG1は王者での出場が決定。王者の優勝は過去に武藤敬司(1995年)、佐々木健介(2000年)の2回しかない。そして内藤は、現在の新日本に必要なのはこの24年ぶりの記録達成だと主張する。
その理由は昨年の自身の扱いにある。オカダ・カズチカが生み出した「権利証システム」により、13年大会以降のG1覇者には翌年1月4日東京ドーム大会でのIWGP王座挑戦権が与えられてきた。だが、同システムは22年、オカダによって事実上廃止に。昨年の内藤は優勝直後に挑戦時期が明言されなかったため権利証を自作したが、争奪戦直前に団体から東京ドームでの挑戦が本人不在の会見でシレっと発表されるズンドコ劇に巻き込まれた。
「確かに権利証システムは、最初は新鮮味がありましたよ。それが何年も続くと、G1から東京ドームまで期間が長すぎるんじゃないかとか疑問も出てきたわけで…。それでいざ廃止されたらされたで、去年の俺の中ぶらりんな扱いを見れば分かるように、会社としてG1覇者をどう扱っていいか分からなくなってしまっているんでしょう」と分析する。
長年続いた「G1覇者が年間最大興行で王者に挑戦」を断ち切る最も単純な方法は、王者がG1を制覇することだ。「どうせ今年も何も考えてないんでしょ? G1覇者以外の挑戦者でも1月4日東京ドーム大会は盛り上がるんだということを、久しぶりに証明しないとダメなんじゃないかなと。俺が優勝して、挑戦者を指名することでね」とマンネリ打破を義務づけた。
今年のG1は2ブロック制が復活し、公式戦の試合時間も20分から30分に戻った。内藤は「意味の分からない史上最多(出場人数)みたいな売り文句もなくなりましたしね。数年前まで行われていた、おそらく俺が見てきた中で一番いいやり方がこれじゃないですか」と歓迎する。
さらに「何で30分に戻すのかは、ひと言欲しかったですね。スピーディーな試合展開はもう期待されていないのかなと。新しいことを取り入れるのは悪くないけど、それにしても最近の新日本プロレスにはちょっとツッコミどころが多いですね。本当に会社として議論が行われてるのかな? 誰かの意見が押しつけられてるんじゃないの? そこらへん、あなたもちゃんと取材…」と不穏なことを言い始めたところで残念なことに電波が急激に悪くなり、国際電話は切れてしまった…。