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2026年06月26日 06:00
「格闘技世界一決定戦」が1976年6月26日に日本武道館で行われてから、26日で50年を迎える。プロレス王者のアントニオ猪木と、ボクシング世界ヘビー級王者モハメド・アリの異種格闘技戦は、3分15ラウンドを戦い抜いて引き分け。当時は世紀の凡戦と酷評されたが、後年は総合格闘技の源流として評価を一変させた。伝説の一戦の裏側で何が起きていたのか。 来日時にアリの身辺警護を担当した小川眞澄氏(74)が、50年越しに証言した。 アリが来日したのは決戦10日前の1976年6月16日。宿泊先は東京・新宿の京王プラザホテルだった。当時、綜合警備保障(現ALSOK)に勤務していた小川氏は、明治大学農学部に通いながら同ホテルで夜間警備にあたっており、アリが滞在した12日間、41階のスイートルーム周辺で身辺警護を務めた。初めて見た世界的スーパースターの印象を、小川氏はこう振り返る。 「デカいなあと思ったけれど、本当にフランクな人だった。トラッシュトーク? 調印式の時以外は黙っていましたね」 印象に残っているのはファンへの対応だ。アリは猪木戦に向けた調整として、深夜1時から2時頃にロードワークに出た。その情報を聞きつけたファンが集まり、アリは数十人を従えて走ったという。ホテルに戻ると、待っていたファンも含め全員に気前よくサインした。小川氏にもサイン色紙を4枚プレゼントしてくれたが、小川氏は自身の宿泊先に戻ると、会社の先輩らにねだられ4枚すべて渡したという。後にテレビ番組でアリの直筆サインが鑑定され「20万円でした。私は80万円をあげてしまった」と笑う。 もっとも、ホテル内の空気はのどかなものばかりではなかった。アリは当初、猪木戦をエキシビションのようなものと考えていたとされ、試合形式やルールをめぐって調整は難航。小川氏は部屋の前で待機しながら、関係者が何度も出入りする様子を見ていた。 「プロモーターの方が当日まで『試合ができない』と困っていました。アリの部屋に入っては出て『弱った、弱った』って言ってましたね」 そんな緊迫ムードの中、6月23日に同ホテルで行われた調印式では事件も起きた。猪木の言動にアリが激高。場内が騒然となり、フレッド・ブラッシーらが止めに入った。 「猪木さんがアリを怒らせたみたいで、アリが怒って(フレッド)ブラッシーが止めた。『ガードマン、早く下げろ!』と指示があったので、私が舞台に飛び乗った。それでアリさんの背後から腹に腕を回して、思い切り後ろに引っ張ったんです」 学生時代に重量挙げの有力選手だった小川氏は、世界ヘビー級王者を相手にもひるまなかった。ただ、その時に触れた肉体の感触は意外だったという。「おなかが柔らかかった。女性みたいにフワフワで、『何これ?』と思いましたが、(アリが)ぐっと力を入れるとカチカチになった。アスリートのすごい筋肉でしたね」 小川氏にとって、アリの肉体を間近で感じたのはその時だけではない。ある日、2人きりでエレベーターに乗った際、小川氏に空手経験があることを知ったアリが、突然「カモン!」と言ってファイティングポーズを取った。小川氏はミット打ちの要領で両手を差し出し、アリのパンチを受けたという。寸分の狂いなく手のひらの中央に打ち込んできたので、好奇心盛んな小川氏は、さらに右上腕を差し出して「ここを殴ってくれ」と頼んだ。アリは一発目こそ手加減して軽めに打ったが、小川氏が「もっと強く」と食い下がると、「クレージー」とつぶやき、再び右拳を放った。 「7割くらい(の力)だったと思うけど、痛いの通り越して『ズシーン!』ときて、エレベーターの端まで1メートルくらい吹っ飛ばされましたよ」 半世紀たった今、その衝撃は単なる思い出ではない。「面白かったですよ。言ってよかったです。昔はなんでもなかったけれど、50年たったら重みが違う。殴られた衝撃以上でした」 エレベーターの中で、アリは「俺のパンチは違うんだぞ。普通のパンチではない」とも語っていたという。そのパンチはストレートにツイストを加えたいわゆるコークスクリューブローで、空手師範でコーチのジョン・リー氏から打ち方を習ったと小川氏に説明した。当時の東京スポーツによると、アリはこの必殺ブローを「アキューパンチ」と命名しており、ボディーガードにもその威力を解説するほど自信があったようだ。 一方、小川氏にはプロレス界との意外な縁もある。全日本プロレスのエースだった故ジャンボ鶴田さん(享年49)は、山梨県の名門・日川高で2学年上の先輩。ウエートリフティング部だった小川氏は、バスケットボール部の鶴田さんと高校時代から親交があった。鶴田さんがプロレス入りした後には、駅で偶然出会い、グリーン車のチケットをプレゼントされて一緒に帰郷したこともあるという。「鶴田さんは尊敬する先輩。本当に優しい人だったから、プロレスラーになるとは思わなかった」という小川氏は、アリと鶴田さんに共通するものを感じている。 「アスリートだけど、他人のことを思う。これは二人とも半端じゃない。ファンへの対応も一緒。(アリは)疲れていて、サインなんて嫌だったはず。鶴田さんも電車の中で子供たちにサインをせがまれると、全員にやっていましたよ」 アリと過ごした12日間から50年。小川氏にとって、あの時間は今も人生の大きな転機として刻まれている。 「人生のエポックです。2発殴られるなんて経験はできないし、すごいことだと思う。猪木―アリ戦に関しては、私の中では人類史上最高の試合です。もうああいう試合は絶対にない。頂点を極めた人たちが異種格闘技で、真剣勝負をするんだから」 世紀の一戦をリングサイドで見たわけではないが、史上最高の拳とスーパースターの素顔を至近距離で見た男の証言は、50年たった今も色あせない。 ☆おがわ・ますみ 1952年5月15日生まれ。山梨・甲州市勝沼町出身。日川高から明大農学部。綜合警備保障に入社しガードマンとして勤務した後、結婚を機に帰郷し、農業に従事。勝沼町議員になり、甲州市の命名にもひと役買った。現在はイオン水を使った野菜などの栽培に取り組んでいる。
2026年06月27日 08:04
新日本プロレスのSANADA(38)が26日、フジテレビ系「坂上どうぶつ王国SP」(金曜・午後7時)にVTR出演し、元SKE48でタレントの桑原みずき(34)と結婚したことを発表した。
VTRで桑原から「今日…ついさっき私の旦那さんになった方です」と紹介されたSANADAは「市役所行って提出してきました」と発表し桑原も「今、籍入れてきました」と明かした。
SANADAは桑原から「普段はギターで人とか殴ったりしている。合法的に絶対、捕まらないところで」と紹介されたSANADAは「仕事はプロレスラー。SANADAと申します」と自己紹介した。
桑原から交際から結婚まで「めっちゃ待たされた」などと明かされ、プロポーズについてSANADAは「寝起きで…朝5時半に」と告白。好きなところを聞かれ「怒るとこが好きですかね」と明かし、桑原は「人として尊敬できる」と話していた。
2026年06月27日 07:54
カナダのプロレス団体「メイプルリーフプロレス」は26日、公式「X」で全日本プロレスの元三冠ヘビー級王者ジョー・ドーリングさんが亡くなったことを発表した。44歳だった。
同団体は「本日6月26日午前9時13分、私たちの兄弟であるジョー・ドーリングが家族に見守られながら安らかに息を引き取りました。ジョーの人生はわずか44年でしたが、その1年1年が1000年分もの人生を凝縮したかのようでした」と伝えた。
ドーリングさんは、1982年4月16日、米シカゴ出身。2004年にプロレスデビューし07年に全日本プロレスへ留学生として来日。当時社長だった武藤敬司らの指導を受け、同年12月の「世界最強タッグ決定リーグ戦」で武藤とのタッグで初出場し優勝。さらに08年1月に武藤とのタッグで世界タッグ王座を奪取し一気にトップ外国人選手となった。
一時全日本プロレスから離れるも復帰し14年7月には諏訪魔を破り、三冠ヘビー級王座を初奪取した。その後、脳腫瘍を患ったことを公表し欠場も17年1月2日の後楽園ホール大会で復帰。同年10月に諏訪魔を破り三冠王座を奪還した。
22年5月31日に後楽園ホールで行われた「ジャンボ鶴田23回忌追善興行」で3年ぶりに来日。メインイベントの歴代3冠ヘビー級チャンピオンプレミアム6人タッグマッチでジェイク・リー、大森隆男と組み宮原健斗、鈴木みのる、秋山準と対戦した。同年9月18日に日本武道館で行う全日本プロレス50周年記念大会に来日予定だったが体調不良で中止となっていた。
2026年06月27日 07:45
プロレスリング・ノアは27日までに7・18インテックス大阪 5号館大会でGHCヘビー級王者のシェイン・ヘイストが「T2000X」OZAWAと3度目の防衛戦を行うことを発表した。
ヘイストは6・25後楽園ホール大会で遠藤哲哉を破り防衛に成功。試合後、OZAWAがリングインし挑戦を勝手に決めていた。
◆7・18大阪大会決定済みカード
▼GHCヘビー級選手権試合
王者・シェイン・ヘイスト VS 挑戦者・OZAWA
▼GHCナショナル選手権試合
王者・丸藤正道 VS 挑戦者・拳王
▼GHCタッグ選手権試合
王者組・征矢学、飯野雄貴 VS 挑戦者組・マサ北宮、杉浦貴
▼N‐1出場者決定ラダーマッチ
※出場選手 タダスケ、アルファ・ウルフ、政岡純、小田嶋大樹、AMAKUSA
▼GHCジュニアヘビー級タッグ選手権試合
王者組・ドラゴン・ベイン、アレハンドロ VS 挑戦者組・JACKY KAMEI、Riiita
▼SMACK THE BEAST/シングルマッチ
Yoshiki Inamura VS 藤田和之
▼<Uncontrollable vs Prince of Madness/シングルマッチ
内藤哲也 VS 清宮海斗
2026年06月27日 06:00
東京女子プロレスのプリンセス・オブ・プリンセス王者・荒井優希(28)が、団体の未来への熱い思いを明かした。
2026年06月27日 06:00
バルセロナ五輪柔道銀メダルでプロレスラーとしても活躍した元暴走王小川直也氏(58)が、自身のYouTubeチャンネル「小川直也の暴走王チャンネル」を更新。新日本プロレスの新体制とレスラーの報酬について言及した。
5月に新日本の親会社ブシロードが、全株式をテレビ朝日とサイバーエージェントに売却することを発表した。今月30日が譲渡日で、テレビ朝日の連結子会社として新体制がスタートすることになり、話題を集めている。
小川氏のプロレスデビュー戦は1997年4月の新日本・東京ドーム大会。破壊王橋本真也との最後の一騎打ちは、2000年4月にテレ朝で「橋本真也34歳 小川直也に負けたら即引退スペシャル」としてゴールデンタイムで生中継されただけに、小川氏も注視している。
中でも新日本の棚橋弘至社長とは、現役時代の2004年11月に大阪ドーム大会のタッグ戦で対戦経験がある(棚橋、天山広吉組vs小川、川田利明組)。それだけに「逆に心配しちゃう。社長業って大変じゃん。棚橋君、頑張ってるなあと見てたが、野球選手と同じでレスラーもリング上にあるからこそ、価値があるっていうのはあるし。事務職・棚橋を応援するかって言ったら、そうじゃないじゃん。別ものになるし、選手とは違うから。それが大変だなあと思う。頑張れよって意味でね」とみている。
新体制で選手の給与がどうなるかと質問された小川氏は、現役時代に新日本、テレ朝の関係者と話す機会があったと明かし、ブシロード時代は比較的に安定していたと聞いたという。「それが戻るってことは…。でも、わかんない。オレはブシロードの給料見たことないんで、言えないけどな」と語った。
その上で「オレは昔、月割り(月給)でもらうのが好きじゃなかったからさ。新日本のレスラーはそれがありきだったから、いつも『サラリーマンみたいなこと、やってんじゃねえ』とバンバン口撃してたけどね」と振り返る。
小川氏も柔道時代はJRAの職員で社宅に住んでおり、プロレスラーに転向したのも「サラリーマン生活が嫌だったから」と公言してきた。ある時、記者から質問され「サラリーマンみたいなこと聞かないでよ」と答えると「私、サラリーマンですけれど…」と返され、苦笑いされたこともある。
元暴走王は「プロレスラーは1年契約だから、そんなこと、こだわらなくていいと思ったんだよね。こだわってないからあちこち(のリングに)行けてたんだけど。今のレスラーの気持ちはわからないし、どうなんだろね。オレは社長とか(運営)の興味はなかったから」と持論を述べる。
最後は「変わった新日本プロレスには頑張ってほしい。新日本を良くするための人たちが戻ったという感覚になってほしい」と、古巣にエールを送っていた。
2026年06月27日 02:05
全日本プロレスなどで活躍し、脳腫瘍のため闘病中だったジョー・ドーリングが26日、死去した。44歳。カナダのプロレス団体「メープルリーフプロレスリング」が発表した。
同団体は公式X(旧ツイッター)で「本日6月26日午前9時13分、兄弟であるジョー・ドーリングが家族に囲まれながら、安らかに息を引き取りました」と発表。「この地上での彼の時間はわずか44年でしたが、ジョーはその一つひとつに千年の価値ある人生を詰め込みました。ジョーには愛する妻リンジー、家族、そして世界中にいる無数の友人や熱心なファンが遺され、彼らは彼の強さ、勇気、そして精神を永遠に心に刻み続けることでしょう。安らかに眠ってください、ジョー。あなたは決して忘れられません」と追悼した。
米メディア「TMZ」は近年の闘病生活をこう伝えている。「トータル・ノンストップ・アクション・レスリング(TNA)など、複数のプロモーションで活躍したドーリングは、10年以上にわたり脳腫瘍と闘った。彼は2016年に脳腫瘍と診断され、腫瘍摘出手術を受けた。しかし、残念ながら、22年にガンが再発し、再び手術を受けた。ドーリングは昨年末に3回目の脳腫瘍と診断され、今月初めにホスピスケアに入った」
ドーリングは全日本のスター選手で、14年7月に諏訪魔を破って3冠ヘビー級王座を戴冠するなど活躍した。同メディアは「TNAでの名声に加え、ドーリングは全日本プロレスでも人気を博し、両団体でチャンピオンに輝いた」とその実績をたたえた。
その早すぎる死に、プロレス界で深い悲しみが広がっている。
2026年06月26日 22:10
FMWで邪道姫として活躍したゼロワン・工藤めぐみGM(56)のYouTubeチャンネル「くどめチャンネル」が本格始動。第1弾ではアジャコングと対談した模様を公開した。
工藤GMとアジャは1986年に全日本女子プロレスに入門した同期。工藤GMがFMWの女子エースとなった後は、全女の人気選手となったアジャとリング上でしのぎを削った。動画内では2人で、東京・目黒区下目黒にあった全日本女子プロレス道場の跡地を訪れた。「私たちが生まれた場所」(アジャ)という道場があった場所は現在、コインパーキングになっている。
道場付近の風景もさま変わりする中で唯一、残っていたのが「公衆電話ボックス」だ。さまざまな通信ツールが普及した現代ではほとんど見られなくなったが「あの電話ボックスから、夜な夜なみんな交代で家に電話して『もう帰りたい』って電話」(アジャ)を「かけた、かけた!」(工藤GM)と言って笑い合った。
さらには電話ボックスと道場前にあった道路では、工藤GMによると「朝、ここでみんなで縄跳びし、ウサギ跳びもみんなで毎日のように練習していた」という。アジャは「今考えたら、よくこんな人さまの通る公道で道いっぱいで縄跳びとかよくやってたよ」と苦笑いする。
昭和時代のスポ根練習の代表だったウサギ跳びは、現代では筋肉向上に役立たない非科学的なトレーニングの代表とみられており「今はやらない練習」(工藤GM)だ。アジャも「ヒザを壊す練習ばっかりここらへん、ずーとやりながら」と振り返り、ネットフリックス「極悪女王」でも有名になった全女の地獄の練習を懐かしんだ。
40年ぶりに訪れた地で工藤GMとアジャは「私たちここで育ったんだって感慨深い」と話し、次に訪れた思い出のステーキハウスでもハイテンションで昔話に花を咲かせていた。
アジャは工藤GMの40周年記念大会「邪道姫伝説」(10月17日、東京・国立代々木競技場第二体育館)に、参戦を予定している。
2026年06月26日 20:50
新日本プロレスのSANADA(38)が、元SKE48でタレントの桑原みずき(34)と結婚していたことを26日に公表した。
2026年06月26日 18:45
新日本プロレスの真夏の最強戦士決定戦「G1クライマックス36」の福岡大会が8月2日に福岡国際センターで開催される。学生時代を福岡大学で過ごした上村優也(31)が26日、東京スポーツ新聞社西部支社(九州スポーツ)を訪れ、悲願のG1初制覇と第2の故郷での勝利へ意気込みを語った。
コンディションは「もう絶好調ですね」と自信たっぷり。春の「NEW JAPAN CUP」はカラム・ニューマンとの決勝で敗れ、あと一歩で初優勝を逃した。同世代が次々とタイトルを獲得する中、自身だけが主要タイトルに手が届いていない現状も率直に受け止める。「僕だけタイトルを取っていない」と悔しさをにじませ「あと一歩を今回のG1で優勝という形で見せたい」と悲願達成へ意欲を見せた。
7月11日(日本時間12日)の開幕戦(米・シカゴ)では、そのカラムと再戦する。NJC決勝の雪辱を果たすとともに、G1優勝へ勢いをつけたい重要な初戦だ。「カラムは実力もすごく上がってきているし、これからの新日本を担う選手なのは間違いない。ここできっちりリベンジして、開幕戦でいいスタートを切りたい」と言葉に力を込めた。
8月2日の福岡大会では成田蓮と対戦する。思い入れの深い福岡ではシングルマッチ未勝利。さらに成田はデビュー戦以来、一度も勝てていない相手でもあり、上村にとって雪辱の意味合いも強い。「好きな福岡で勝ちたい」と闘志を燃やした。
成田については、高い技術を認めながらも反則を織り交ぜるスタイルを警戒。「令和の勧善懲悪の試合をしたい」と真っ向勝負を宣言した。
学生時代を過ごした福岡は今も特別な場所だ。街の空気を吸うだけで当時の思い出がよみがえり、知人や後輩、友人、親戚らの存在も大きな励みになっているという。「そういう人たちの前で勝つ姿を見せたい」と笑顔。最後は「ぜひ会場で僕のヒートストームのプロレスを見に来てください。みんなのハートを熱くするのは、この俺、ヒートストームだ!」と力強く締めくくった。
2026年06月26日 11:00
プロレス王者のアントニオ猪木とボクシング世界ヘビー級王者モハメド・アリが、「格闘技世界一決定戦」として東京・日本武道館で戦ってから、26日でちょうど50年がたった。全世界注目の今世紀最大のスーパーファイトは3分15ラウンドを戦って引き分け。一方で「世紀の凡戦」と酷評を浴びた。猪木は当時、どう感じていたのか。決戦翌日に東京スポーツ記者で試合中継の解説を務めた桜井康雄氏(故人)が、東京・代官山の自宅を訪れ直撃インタビュー。最も信頼を寄せていた記者に語った胸のうちを、一部抜粋して再録する。
――さて戦い明けてアリ戦の感想はどうです。はっきりいって巷間では面白くなかったという声が多いようですが、改めて試合をふりかえってみて、猪木さん自身はどうですか?
猪木 うーん、まあ新聞は、けさ、いろいろ読ませてもらいました。みなさん、それぞれの見方をしておられる…だが、はっきりいえることは、わたしも死力を尽くしたし、アリも死に物狂いだった。この試合がいかに真剣に戦われたものであったかということはアリとわたしと二人だけが一番よく知っている。アリを蹴っていてわたし自身、確かにヒットしていた手応えというか足応えがあった。アリにはわたしの蹴りが効いていた…朝、わたしの足の甲やスネにこんなにアザができていた。
(そういって猪木はズボンをまくり上げてみせる。確かに猪木の右足首のあたりはすごいアザになって内出血したようになっている)
わたしの足がこれほどなんだから、アリの左足は相当ダメージを受けているはずだ。その意味ではわたしがアリに対して行ったローキック戦法は正しかったし、いまでも、あれ以外の最良の攻撃法はないと信じている。結果論的にいえば何でもいえる。わたしはわたしの戦い方はあれで正しかった…悔いはないと思っている。残念だったのは、あの戦法でアリを倒せなかったことだ。
プロフェッショナルである以上、面白い試合をやってファンにサービスするのは当然だが、はっきりいってモハメド・アリというのは、やっぱりすごいヤツだ…こっちは死に物狂いで、そのすごいヤツにぶつかっている。闘志の出しおしみは絶対にしていない…。精一杯、戦った。それが面白かったか面白くなかったかというのは、みなさんの判断、見方による。ショービジネスではなくスポーツの試合なんだから、精一杯、死力を尽くして戦って面白くなかったといわれてれも仕方がない。
実際、猪木は「足応え」でアリの脚が内出血していたのが、わかったという。試合後のアリは満足に歩けず、宿泊先の京王プラザホテルでは関係者によって肩を担がれ部屋に戻ったことが目撃されている。試合翌日から韓国、フィリピンを経由し米国に戻り、自伝映画の打ち合わせのためロサンゼルスに到着したが、映画監督との対談中に突然激痛に襲われ歩けなくなった。救急車でサンタモニカの病院に運ばれると、左脚は筋肉、血管の損傷と血栓症の重症で緊急入院を余儀なくされた。この逸話は、いかに「アリキック」の威力がすさまじかったかを物語る。
続けて「わたしは試合前に、はっきりお断りしているはずだ。この試合を茶番だとかショーだとか中傷する人がいたが、この試合をショーだと思う人は見にきていただかなくていい、とね。わたしは…プロレスはショーではなく真剣なものだということをわかってもらうために、この試合をやった。アリを倒すことは私の力不足でできなかったが、あの手かせ足かせはめられたような厳しいルールの中で、わたしは精一杯やったという自負は持っている」と断言する。では極めて不利なルールを受け入れてまで、なぜ試合を強行したのか。
猪木 キングオブキングスと呼ばれるアリを日本のリングに引っ張り出して、いままで誰もやったことのなかったレスラーとのファイトをさせる…そこにわたしのロマンがあった。結果からみると、わたしとわたしの陣営には甘いところがあった。アリ側…とくにアリの参謀たちは大変なビッグビジネスマンだ。試合前の駆け引きでは、はっきりいって、こっちの負けだった。ドタン場まで「試合をやめて帰国してもいいぞ」という伝家の宝刀をちらつかされて、こっちも無理なルールをのまざるをえなかった。
わたしが、何としてもこの試合をやりたい、どんなルールでもアリをリングにさえ引っ張り出してしまえば倒せると思ったのが、あのルールをのんだ原因。しかし、アリはわたしが想像していた以上に根性のある強者だった。あれほどダメージを受けながら絶対に痛みを顔に出さず、倒れずに戦い続けた。わたしは、さすがにアリだと思った。と同時に、これほどの男とあのルールで勝てると思った自分の甘さを反省した。世界には強い男がいるものだ…。
猪木は2022年10月、アリは16年6月に死去。当事者たちがいない50年たった今だからこそ、猪木の言葉には一語一語に含蓄がある。
(敬省略)
2026年06月26日 06:00
「格闘技世界一決定戦」が1976年6月26日に日本武道館で行われてから、26日で50年を迎える。プロレス王者のアントニオ猪木と、ボクシング世界ヘビー級王者モハメド・アリの異種格闘技戦は、3分15ラウンドを戦い抜いて引き分け。当時は世紀の凡戦と酷評されたが、後年は総合格闘技の源流として評価を一変させた。伝説の一戦の裏側で何が起きていたのか。
来日時にアリの身辺警護を担当した小川眞澄氏(74)が、50年越しに証言した。
アリが来日したのは決戦10日前の1976年6月16日。宿泊先は東京・新宿の京王プラザホテルだった。当時、綜合警備保障(現ALSOK)に勤務していた小川氏は、明治大学農学部に通いながら同ホテルで夜間警備にあたっており、アリが滞在した12日間、41階のスイートルーム周辺で身辺警護を務めた。初めて見た世界的スーパースターの印象を、小川氏はこう振り返る。
「デカいなあと思ったけれど、本当にフランクな人だった。トラッシュトーク? 調印式の時以外は黙っていましたね」
印象に残っているのはファンへの対応だ。アリは猪木戦に向けた調整として、深夜1時から2時頃にロードワークに出た。その情報を聞きつけたファンが集まり、アリは数十人を従えて走ったという。ホテルに戻ると、待っていたファンも含め全員に気前よくサインした。小川氏にもサイン色紙を4枚プレゼントしてくれたが、小川氏は自身の宿泊先に戻ると、会社の先輩らにねだられ4枚すべて渡したという。後にテレビ番組でアリの直筆サインが鑑定され「20万円でした。私は80万円をあげてしまった」と笑う。
もっとも、ホテル内の空気はのどかなものばかりではなかった。アリは当初、猪木戦をエキシビションのようなものと考えていたとされ、試合形式やルールをめぐって調整は難航。小川氏は部屋の前で待機しながら、関係者が何度も出入りする様子を見ていた。
「プロモーターの方が当日まで『試合ができない』と困っていました。アリの部屋に入っては出て『弱った、弱った』って言ってましたね」
そんな緊迫ムードの中、6月23日に同ホテルで行われた調印式では事件も起きた。猪木の言動にアリが激高。場内が騒然となり、フレッド・ブラッシーらが止めに入った。
「猪木さんがアリを怒らせたみたいで、アリが怒って(フレッド)ブラッシーが止めた。『ガードマン、早く下げろ!』と指示があったので、私が舞台に飛び乗った。それでアリさんの背後から腹に腕を回して、思い切り後ろに引っ張ったんです」
学生時代に重量挙げの有力選手だった小川氏は、世界ヘビー級王者を相手にもひるまなかった。ただ、その時に触れた肉体の感触は意外だったという。「おなかが柔らかかった。女性みたいにフワフワで、『何これ?』と思いましたが、(アリが)ぐっと力を入れるとカチカチになった。アスリートのすごい筋肉でしたね」
小川氏にとって、アリの肉体を間近で感じたのはその時だけではない。ある日、2人きりでエレベーターに乗った際、小川氏に空手経験があることを知ったアリが、突然「カモン!」と言ってファイティングポーズを取った。小川氏はミット打ちの要領で両手を差し出し、アリのパンチを受けたという。寸分の狂いなく手のひらの中央に打ち込んできたので、好奇心盛んな小川氏は、さらに右上腕を差し出して「ここを殴ってくれ」と頼んだ。アリは一発目こそ手加減して軽めに打ったが、小川氏が「もっと強く」と食い下がると、「クレージー」とつぶやき、再び右拳を放った。
「7割くらい(の力)だったと思うけど、痛いの通り越して『ズシーン!』ときて、エレベーターの端まで1メートルくらい吹っ飛ばされましたよ」
半世紀たった今、その衝撃は単なる思い出ではない。「面白かったですよ。言ってよかったです。昔はなんでもなかったけれど、50年たったら重みが違う。殴られた衝撃以上でした」
エレベーターの中で、アリは「俺のパンチは違うんだぞ。普通のパンチではない」とも語っていたという。そのパンチはストレートにツイストを加えたいわゆるコークスクリューブローで、空手師範でコーチのジョン・リー氏から打ち方を習ったと小川氏に説明した。当時の東京スポーツによると、アリはこの必殺ブローを「アキューパンチ」と命名しており、ボディーガードにもその威力を解説するほど自信があったようだ。
一方、小川氏にはプロレス界との意外な縁もある。全日本プロレスのエースだった故ジャンボ鶴田さん(享年49)は、山梨県の名門・日川高で2学年上の先輩。ウエートリフティング部だった小川氏は、バスケットボール部の鶴田さんと高校時代から親交があった。鶴田さんがプロレス入りした後には、駅で偶然出会い、グリーン車のチケットをプレゼントされて一緒に帰郷したこともあるという。「鶴田さんは尊敬する先輩。本当に優しい人だったから、プロレスラーになるとは思わなかった」という小川氏は、アリと鶴田さんに共通するものを感じている。
「アスリートだけど、他人のことを思う。これは二人とも半端じゃない。ファンへの対応も一緒。(アリは)疲れていて、サインなんて嫌だったはず。鶴田さんも電車の中で子供たちにサインをせがまれると、全員にやっていましたよ」
アリと過ごした12日間から50年。小川氏にとって、あの時間は今も人生の大きな転機として刻まれている。
「人生のエポックです。2発殴られるなんて経験はできないし、すごいことだと思う。猪木―アリ戦に関しては、私の中では人類史上最高の試合です。もうああいう試合は絶対にない。頂点を極めた人たちが異種格闘技で、真剣勝負をするんだから」
世紀の一戦をリングサイドで見たわけではないが、史上最高の拳とスーパースターの素顔を至近距離で見た男の証言は、50年たった今も色あせない。
☆おがわ・ますみ 1952年5月15日生まれ。山梨・甲州市勝沼町出身。日川高から明大農学部。綜合警備保障に入社しガードマンとして勤務した後、結婚を機に帰郷し、農業に従事。勝沼町議員になり、甲州市の命名にもひと役買った。現在はイオン水を使った野菜などの栽培に取り組んでいる。
2026年06月26日 06:00
女子プロレスラーの太陽神Sareee(30)が、彩羽匠(33=マーベラス)との「スパーク・ラッシュ」でタッグの最高栄誉受賞を狙っている。
2026年06月26日 05:00
ノア25日の後楽園大会で、「ロス・トランキーロス・デ・ハポン」の内藤哲也(44)、BUSHI(43)が「情熱MAX」こと征矢学、飯野雄貴組に敗れGHCタッグ王座から陥落した。
征矢のオクラホマスタンピードをデスティーノで切り返すなど奮闘した内藤だったが、挑戦者組の合体技攻勢を浴びて場外へ。最後は孤立したBUSHIが合体技「情熱IS」で沈められた。
フリー転向後、国内初戦となった元日の日本武道館大会で奪取したベルトをついに失った。大会後に取材に応じた内藤は「今までは黙ってても試合が組まれる状況でしたから。ベルトだけではないですね、失ったものは。内藤哲也がノアに上がる理由、ノアが内藤哲也を使う意味を、また自分で作らないといけないですね」と胸中を明かした。
約半年間の参戦でノアマットへの思い入れが芽生えつつあったのは事実だ。「何なら日本武道館で負けてたらここまで悔しくなかったし、何の未練もなかったかもしれない。でも今は純粋にこの緑のリングに立っていてすごく楽しいのでね。この日々を続けるためにも、次の清宮(海斗)戦は正念場になるでしょうね」と7月18日大阪大会での清宮とのシングル戦へ必勝宣言。「もし負けてしまえば、このリングから俺の居場所がなくなってしまう可能性もあるとさえ思うので。俺にとってはただのスペシャルシングルマッチではなくなったのかなと」と悲壮感を漂わせた。
制御不能な言動で敵も多い内藤だけに、主戦場で自身の存在価値がなくなれば即リストラの危機にひんするのは自然の摂理だ。「別に所属が甘やかされてるとは言わないですけど、やっぱりフリーにはフリーの厳しさがあるわけで。ただ一方で、今まで感じたことのないこの危機感を味わえることにワクワクしてしまう自分もいますよ」。もはやこの男に、のうのうとファミレスで食い逃げを繰り返す余裕はなくなってきた…はずだ。
2026年06月26日 05:00
プロレス王者のアントニオ猪木が、ボクシング世界ヘビー級王者モハメド・アリと戦った「格闘技世界一決定戦」(日本武道館)から、26日でちょうど50年がたつ。昭和から語り継がれる伝説の一戦を、令和のトップレスラーはどう見ているのか。燃える闘魂が憧れの存在だという太陽神Sareee(30)に聞いた。
Sareeeは父親が猪木さんの大ファンだけに、子供の頃から伝説の一戦の話を伝え聞いてきた。「15ラウンド(R)引き分けで、『すごい試合だった』と。その試合で猪木さんは何もできなくてバッシングされたんですよね?」と話す。
その言葉通り、猪木はアリのパンチをくらわないため、背中をつけた状態でグランドからキックを放つだけ。アリも何もできずに、15Rが終わり「世紀の凡戦」と酷評された。ただ猪木が取った戦法はルール上、勝利するにはこれしかないというものだった。しかも後にPRIDEやK―1などの総合格闘技(MMA)戦で、「猪木アリ状態」と呼ばれるほど頻出したこともあって、「MMAの源流」としての再評価につながった。
Sareeeは「プロレスを広めるためのすごいチャンレンジ。猪木さんって、何にでもチャレンジする人で、プロレスラーの強さを見せつけるために、守るために出たと思う。負けることなんて考えるわけないし、勝つ気でいっている。それに挑めるってすごい。やっぱり猪木さんはすごいと思います」。猪木さんの後の名言にも触れながら、アリを相手に勝ちにいった姿に驚嘆する。
猪木さんはアリ戦のおかげで世界中にその名を知らしめた一方、アリのファイトマネーなどでばく大な借金を背負ったとされている。「選手としてもプロモーターとしても、全部をかけて戦った。だから、50年たっても歴史に残っているってことですよね。私にそれができるのって言えば、どうなんだろうって思う。すべて知っているわけではないですが、猪木さんの話を聞くと、私自身、こんなんじゃダメだと刺激になるし、もっと頑張らなきゃと思うし、背中を押されるなあというのはあります」
Sareeは25日、自主興行「Sareee―ISM」の第11弾を8月24日、第12弾を9月26日に東京・新宿フェイスで開催すると発表。3月のデビュー15周年記念興行後には、将来的な目標に猪木アリ戦が行われた日本武道館での大会開催をぶち上げている。
伝説の一戦が、アントニオ猪木を知らない世代にも少なからず影響を与えているのは間違いない。
2026年06月25日 22:17
「プロレス・ノア」(25日、後楽園ホール)
GHCタッグ選手権試合が行われ、王者の内藤哲也&BUSHI組は、ネオ・グローバル・タッグリーグ覇者の「情熱MAX」征矢学&飯野雄貴組に敗れ、4度目の防衛に失敗した。エネルギッシュな相手に押され、最後はBUSHIが合体技「情熱IS」を食らって3カウントを奪われた。
ノアマットに初めて本格参戦した1月1日の日本武道館大会でいきなり奪取して以来、約半年間持ち続けてきたタッグ王座から陥落した内藤は、鼻から出血しながらバックステージに現れた。「別に欲しいなんて一言も言ってないGHCタッグのベルトが手に入ってしまい、防衛戦を重ねていくうちに若干の思い入れができてしまった。だからこそ、今負けてすごく悔しいよ。俺、BUSHIが負けたってことはロス・トランキーロス・デ・ハポンが負けたってこと。今すぐにでもやり返したいよ」とコメントした。
ベルトは失ったものの、7月18日大阪大会では清宮海斗とのシングルマッチが決定しており、「今の全力の内藤哲也を、今のノアの象徴である清宮選手にぶつけたいと思いますよ。きっと、すごく楽しい試合になるでしょうね。俺自身は楽しみ」と腕をぶした。